05 喧嘩するほど?
衝撃は様々だった。
瑠璃の「恋人になってください」発言に、凛花と美晴はぎょっとし、海人はその場に崩れ落ち、言われた当の秀はポカンとしている。
スネコスリは退屈そうに成り行きを見守るばかりだ。
「……えーと?」
「え、ね、ねえねえ! 瑠璃ちゃん! 何それ!? すぐるんのこと好きなの!? 初めましてだよね!? 一目惚れ!?」
「美晴、ちょっと、ストップ、ストップ」
興奮して食い気味に問いかける美晴を慌てて引き剥がす。
瑠璃もさすがに驚いたらしい。どぎまぎした様子でネックレスを握りしめていた。
彼女はまたボソボソと喋り出す。
「あの……本当の恋人じゃなくてもいいんです。ただ、私……恋が知りたくて。だからデート……してほしくて」
「恋が知りたい……?」
瑠璃はコクリと頷いた。
どうも嘘を言っているようには見えない。
それにしたって。
「……妖怪たらし……」
「凛花ちゃん、視線スゲー痛いんすケド。オレ別に悪いことしてないっしょ」
「うっうっ、妖怪たらしぃ……」
「海人さんはなんかすんません」
海人は子供を抱えたまま男泣きしていた。
苦笑した秀がポンポンと海人の肩を叩く。
相変わらず慰め方は雑のようだ。
「すぐるん、どうするの? 可愛い子だよ。このままじゃ流されるままにフォーリンラブしちゃうかもよっ?」
「あはは、美晴ちゃんは恋バナ好きなのな」
「笑い事じゃないよー!」
「実際、どうするんですか。……そんな暇、ないじゃないですか」
何となく面白くない気持ちで、凛花は問いただす。
――自分たちは、ここへ遊びに来たわけではない。
何より自分たちが呪いにかかっているのだ。
デートなどと浮ついた気持ちでいられるはずもない。
だというのに、秀は「んー」と気楽な声を上げるばかりだ。
彼には緊迫感というものが備わっていないのだろうか。
――先ほどの説教が、ある意味一番緊迫していたけれど。
「あのですね、瑠璃さん。オレたち、この辺で聞こえる呪いの歌について調べてるんすよ」
「呪いの歌……ですか」
「それで明日も色々動き回ると思うんです。だから……問題なければ、瑠璃さんも一緒に来ませんか?」
「え?」
断られると思ったのだろう。
秀の言葉に徐々に眉を下げていった瑠璃は、最後の質問にきょとんと顔を上げた。
「あんまりがっつりデートはできないと思うんで、それは申し訳ないんすケド……ただオレも純粋にお礼はしたいんで、妥協案っつーか。調査デート? みたいな? 瑠璃さんが良かったらですケド」
「……いいんですか……?」
「むしろ中途半端でほんとすんません」
「いえ」
改めて秀の目の前に移動した彼女は、表情を綻ばせた。
きゅ、と秀の手を握り、ポツリと。
「よろしくお願いします」
「あは、お願いします」
「……ってなんかほのぼのしてるよ!? ねえ凛花ちゃん! いいの!? あれいいの!?」
小声ながらも強い勢いで、美晴が凛花の両肩をつかみぶんぶんと揺さぶってきた。
シェイクされながら凛花は表情をひきつらせる。
「い、いいも何も。ちゃんと調べるっていうなら、私がとやかく言えることじゃないし……」
「手なんか握っちゃってるよ!?」
「仮とはいえ恋人なら、手くらい握るものなんじゃないの?」
「そんなのダメなんだぜぇ……健全なお付き合いじゃないとオレは認めないんだぜぇぇ……」
「「うわ」」」
男泣きを一層パワーアップさせた海人の姿に、凛花と美晴は思わず一歩後ろに引いた。
ボタボタと落ちてくる涙を被った子供が「うーん」と唸る。
悪夢を見ていないといいのだが。
パッと切り替えた秀が笑う。
「そろそろ日が暮れそうだし、一旦戻ろうぜ? その子も親御さんのとこに帰してあげなきゃだし、いい加減テンさんとコン姉も呼ばなきゃだし」
「でも秀さん、まだ何も」
「何より美晴ちゃんも早めに休んだ方がいいっしょ」
「ボクは大丈夫だよ!」
「だーめ。今は分かんないかもだケド、ぜってー疲れてっし。はい行くぞー」
凛花はやはり、彼のことがよく分からない。
リミットはおよそ三日。
とはいえ、解決が早いに越したことはない。現時点では何が起きているのかも把握しきれていないのだ。
とてものんびりしている場合ではなかった。
凛花は懸念する。
何を考えているか分からないとは思っていたけれど。
もしかして。
もしかしてだけれど。
単に美少女に求愛されて浮かれているだけなのではないだろうか。
疑念が膨らみ、抗議しかけたそのとき。
岩の向こうから一人の人影が飛び出してきた。
そして。
「コラ――っ!!」
「ぐっはぁ!?」
その人影は、海人めがけて盛大に飛び蹴りをかましたのだった。
海人が盛大に吹っ飛ぶ。
拍子で吹き飛ばされそうになった子供は凛花が慌てて受け止めた。
――危なかった。
「ったくお前はいつまでもほっつき歩きやがって!」
海人に飛び蹴りをかました相手は、言うなりフンッと大きく鼻を鳴らした。
逆光になって、凛花からはよく見えない。
ハスキーな声で、とっさに男性か女性かも判別がつかなかった。
しかしシルエットがスラリとしていることはすぐに分かる。
海人と比べると随分と華奢だ。
比較対照が規格外であることを考慮に入れたとしても。
「さ、沙羅……」
倒れた海人がよろよろと立ち上がった。蹴られたのは腹部だったようで思い切り庇っている。
「いきなり暴力は良くないんだぜ」
「あたしは何回も何回も注意しただろうが。おやっさんだっていい加減怒るんだからな。……おや」
そこで相手――沙羅も凛花たちの存在に気づいたらしい。
振り返った沙羅は、ニコリと笑う。
中性的な顔立ちだった。赤いショートの髪は夕焼けよりも熱く元気に見える。一方で浮かんだ笑みは涼しげだ。
「驚かせて悪かったな。あたしは沙羅。そこの坊主のアルバイト仲間だ」
「ど、どうも……」
「沙羅さんっすねー。オレは有馬秀でっす。どうも初めまして! 海人さんとはシャイな関係です!」
「どーゆう関係なんだぜ!?」
「秀さんは大体言動が恥ずかしいですよね」
「凛花ちゃん辛辣!」
秀の泣き言――何故か楽しそうなのが癪である――を流し、凛花もまた頭を下げた。
「咲坂凛花です」
「ボクは江中美晴だよっ」
「……」
相変わらず瑠璃の声は聞こえなかった。
しかし口は動いているので喋ってはいるようだ。
不審に思った沙羅が彼女に耳を近づけ――。
「……瑠璃といいます」
「……あ? もしかしてあんた、ルリイロじゃねーか?」
「……るりいろ?」
沙羅から出た単語に、一同はきょとんとしてしまった。
ただ秀だけが「……ああ!」と遅れて声を上げる。
「なんか聞いたことある声だと思ったら……え、マジで? ルリイロさん?」
「……一応」
ボソリと肯定した瑠璃に、秀と沙羅は「ああ~」と納得したように顔色を明るくする。
しかし凛花にはさっぱり分からない。何だか疎外感だ。
「何ですか、ルリイロって」
「えっとな、歌い手って言って分かる?」
「あ、ボク分かるよ! ワイワイ動画を中心に歌った動画をアップしてる人たちでしょ?」
ワイワイ動画。
誰でも動画を共有・公開できるネットサービスだ。
世界中の様々な人がアクセスしており、凛花も時々利用する。
クラスでは面白い動画を共有して盛り上がっている者たちもいるようだった。
そのサービスを利用し、歌を公開しているのがいわゆる「歌い手」なのだろう。
プロではなく素人でも――語弊がありそうだが素人の方が――歌ってさえいれば「歌い手」なのだと美晴は語った。
瑠璃はそこで「ルリイロ」という名義で活動しているのだという。
「あたしも元々ワイワイ動画で聴いたことあってな。それとあんた、近くで練習してんだろ? たまに外で聞こえてたよ。だからあそこで歌ってんのはルリイロなんじゃねーかって密かに思ってたんだが……そっか、やっぱりか」
話す沙羅は楽しげだ。
しかし凛花にはいまひとつピンと来ない。
確かに彼女の声は可愛らしい。
しかし、歌っている割に随分と小声ではないだろうか。
あの声量でマトモに歌が歌えるのだろうか。
「また新作上げるんだろ? 楽しみにしてるな」
「……あ……」
不安げに瑠璃の瞳が揺れる。
右手でネックレスを、左手で秀の手を握り込んだ瑠璃は、静かに首を振った。
「……今は、歌ってないから……」
「は? 何でだ?」
「……スランプ、みたいなもので。歌えないんです」
それきり彼女は俯いてしまう。
「ふぅん……綺麗な歌声なのにもったいないな。いつかまた聴かせてくれよ」
「沙羅! 瑠璃さんを困らせるんじゃないんだぜ!」
「ああ?」
「瑠璃さん困ってんだぜ! お前怖いから威圧感もあるんだぜ! やめるんだぜ! 瑠璃さんを困らせたらオレが承知しないんだぜ!」
「ルリルリうるっせぇな。女にばっかうつつ抜かしてんじゃねーよ。そもそも……」
半目になった沙羅は、改めて瑠璃に視線を向けた。
まじまじと穴が空きそうなほどの視線だ。
瑠璃も居心地が悪そうに秀の陰に隠れてしまう。
「……確かにお前好みだろうさ。でもな、無理だ」
「なん!?」
「お前にゃ望みねーよ。高嶺の花すぎる。諦めな」
「何で沙羅にそんなこと言われなきゃならないんだぜ!?」
憤慨した海人は地団駄を踏んだ。
「大体沙羅は人のことに踏み入りすぎなんだぜ!? 口も悪いし手も早いし! おやっさんもちょっと呆れてんだぜ!」
「ああ?」
「沙羅こそ瑠璃さんを少しは見習ったらどうなんだぜ――ぶべらっ!」
海人が一瞬で沈んだ。
沙羅の蹴りが炸裂したらしい。
長い、スラリとした足が高く高く上がっている。
この華奢な身体のどこにどれだけのパワーがあるのか。
――凛花も他人のことは言えないけれど。
「やかましいわ! 大体あたしだってお客さんからは看板娘って評判なんだからな! プレゼントだって貰ったことあるし!」
どこかズレた主張のようだが、しかし、事実なのだろう。
実際、口の悪さはさておき、沙羅はまた整った顔立ちをしていた。
短くサラサラとした髪には清潔感があり、女性にしては長身だが、モデル体型ともいえる。
暑苦しいを代表しそうな海人といれば、余計にスマートさが際立つことだろう。
そんな彼女に好感を抱く者は多そうだ。
ただ、女子校にいればさらにモテそうな人種なのも確かだった。
「はんっ! 物好きな奴もいたもんなんだぜ!」
「お前よか審美眼あるわ!」
「プレゼントだってどうせその辺で拾ったものなんだぜ!」
「お洒落な香水だよ! お前の残念な頭とは違うんだからな!」
「残念な頭って何なんだぜ!?」
言い合いはどんどんヒートアップしていく。
喧嘩するほど何とやら、なのかもしれない。
しかし。
凛花は秀の背中をトントンと突いた。
振り返った彼がヘラリと笑う。
それを見て、互いの意見が一致していることを知る。
――今取るべき行動は。
「海人さーん。オレら、先に宿行ってるなー?」
「はあああ!? シュウさん見捨てないでほしいんだぜー!?」




