01 「やだわ、罪な男」
ハローハロー。夏です。朝です。
クーラーは電気代が怖いからあんまり使ってないんだケド、それでも昨日はさすがに寝苦しくて、悩んだ末に扇風機をつけておいた。
その風がそよそよとオレの身体を撫でていく。
夜の寝苦しさから解放されたのもあってなかなか気持ちいい。
今何時かなぁ。
まだ寝れるかなぁ。
レポートがうっかりノっちゃって昨日は寝るの遅かったんだよなぁ。
そんなぼんやりした夢と現の行ったり来たりを、邪魔する何か。
顔の辺りがくすぐったい。
何かが当たって、離れて、また当たって、少し動いて――いっそ叩いてくれれば思い切って無視できるってのに。
繊細すぎるソレは脳の奥を控えめに執拗にノックしてくる。
むずがるように顔を逸らそうとしたところで、ふわりと優しい匂いが鼻腔をくすぐった。
何だろな。お日様みてーな。
あれってダニの死骸だとかいう話もあるケド。
夢も何もあったもんじゃない。
男ってのはロマンを大事にしたい生き物なのだ。
それにしてもこの匂いは覚えがあるような――……。
「…………」
色んな感覚に引っ張り起こされるようにして、ようやく目を開けたオレの視界に飛び込んできたのは、眩しい黄金色だった。
実りの色だ。豊かな大きな波の色。
ニィ、と、ソレは笑う。
オレに覆い被さるように見下ろしながら、大きな耳を、嬉しそうにピンと立てて。
「おはよう、シュウ坊」
「…………寝込みを襲うのはやめていただけませんか」
ジョォクだよ、ジョォク。
そうコロコロと笑うお狐様に、オレはため息を一つプレゼントしてやった。
朝からオトコノコに何つージョークをかましてくれやがるんだ。毎度毎度。
***
「んふふ。シュウ坊のそのフットワァクの軽さはいいもんだねェ」
相も変わらず楽しげに笑うお狐様――オレは勝手にコン姉と呼んでいる――はくるりと振り返って目を細めた。
スカートの裾がひらりと揺れる。
街を歩いているためか、今日は尻尾は隠してるっぽい。
耳も大きな麦わら帽子で隠れてる。
まあ、目立つからな。
そういう特殊な部位はオレ以外にはほとんど見えちゃいないんだろうケド。
「それに比べてテンさんったら出不精なんだから」
「テンさんはネトゲ好きだからなー」
「今日も朝からダンジョンに潜るんですってよ」
「精が出ますなあ」
テンさんは天狗だ。
ネットゲームが趣味で毎日飽きもせず遊んでいる。
オレも遊び程度にはやるんだケド、いわゆるガチ勢のテンさんにはたまに叱られもするもんだ。
秀殿、ネトゲは遊びじゃないのだぞ、って。
ゲームなのに遊びじゃないって何なんだろな。不思議だ。
「んで、コン姉。今日は何するって?」
「ショッピングさね」
「何買うん?」
「洋服をちょっとねェ」
「今も持ってんのに?」
「シュウ坊とのデェトに備えてさ」
「オレ、今日も『デェトだよ』って連れ出されてるんすケド」
「次のデェトに向けてに決まってるじゃないか」
あっさり言うコン姉。
次回もその次のデェトに向けてだよ、って連れ出されるんだろうか。
無限ループって怖くね?
コン姉と出掛けるのは嫌いじゃないから別にいいケド。
ちなみに今日のコン姉の服装は、白レースのワンピースにカジュアルなGジャンだ。
多分清楚系ってやつ。
コン姉の雰囲気のせいか、金髪のせいか、主張しまくっているお胸様のせいか、やたら目立ってっケド。
この視線を当たり前のように受け止めるコン姉の度胸はさすがっすわ。
「ってコン姉、道違う。こっちな、こっち」
「あら」
それなりに都会な街は、どこもかしこも四角くて分かりにくい。
色んな看板が所狭しと主張し合ってて逆に埋没しそうなくらいだ。
だからまあ、うっかり同じに見えて間違っちゃうこともあるってもんだ。
「もー、はぐれたら大変だぜ? ほら」
「……」
「どした?」
「やだわ、罪な男」
「え」
コン姉はよく意味深に笑う。
今だってそうだ。
まー、人生経験の豊富さ? 経験値?
そーゆうもんが全然違うからな。しゃーねぇんだケド。
「意味分かんないんだケド。こっから人混み増えるし、ほら、手」
「シュウ坊ったら心配性だこと。あたしが迷うはずないだろう?」
「オレが見失うかもって言ってんの」
「とは言ってもねェ……」
一向に動かないコン姉に首を傾げる。
差し出した手の行き場がないんすケド。
放置プレイってやつっすか。
オレそーゆうの苦手なんすよ。いやマジで。
コン姉は視線が少しばかり行ったり来たり。
あー、だか、うー、だか、呻いてるみたいだった。
珍しい。いつもはけっこー、グイグイくるんだケド。
これじゃあまるで。
「あの、コン姉」
「何さ」
「もしかしてなんだケド」
「はっきりしないね」
「照れてる?」
「……」
「なぁんて」
まさかな。だってコン姉だし。
いやいや、ほら、だってコン姉だし。
人の寝室にも躊躇いなく出入りするし、普段からやたら密着してくるし、いつも余裕ぶってオレを子供扱いしてくるし。
そんなコン姉だし。
うんうん、だってコン姉だし。
そんな、もはや根拠も何もかもがふわふわすぎる思考になっていたオレの前で、コン姉はぽつりと呟いた。
ほんの少し、拗ねたように。
白い頬を幾分赤らめて、じっとりとこちらを見て。
「……そりゃあ、あたしだって照れるさ」
えええええええええ。
あんぐりと開いた口が閉まらない。
自分で思うケド、スゲー間抜け面。
いやでも仕方ねーっしょ。
あれだけ人に胸やら何やら押しつけまくってるってのに、手を繋ぐだけで照れるって……えええええ。
えええええええ?
困惑するオレとは反対に、コン姉はもじもじと手を組んだり離したりしている。
ほんとのほんとに恥じらっているらしい。
レアい。なんかレアい。
「だってねェ……そういうのは、ほら、恋人たちがやることみたいじゃないかい」
「普段あんなにくっついてて今更じゃねーっすか」
「あれはコミュニケェションってやつさ」
コミュニケーション過激派か。
まあスキンシップって意味じゃオレもあんま他人のこと言えねーケド。
まあ。いやいや、うんまあ、そうな、確かに不躾だったかもしれない。
相手は妖怪とはいえ、そんで昔馴染みとはいえ、れっきとした女性なワケで。大人なレディなワケで。
そんな相手にいきなり手を繋ごうだなんて、言われてみれば失礼極まりない行為だったような気もしてくる。
最近感覚が麻痺してきてたのは否定できねぇし。
「そこまで嫌なら無理強いはしないっすよ」
「バカだねシュウ坊。嫌だなんて言ってないだろうに」
「うん?」
む、と唇を尖らせるコン姉。
お狐様に年齢なんて野暮なもんだケド、見た目も二十代半ば――少なくともオレよか上っぽい――コン姉がそんな表情をすると、何つーのかな、ギャップあるよね。
って誰に言うまでもなく語りかけてみるオレ。誰か分かってくれ。
「でも手はやっぱり恥ずかしいのさ」
「……えーと?」
どないせぇと?
「だから、そうだね」
「おわ」
「こうしようじゃないか」
「……、……あの、コン姉さん」
「何だい」
「腕組むって、むしろ距離近いし色々当たってんすケド」
「直肌じゃないから安心おし」
「そういう問題かなぁー?」
色々おかしい気がすんだケドなぁー?
でも、隣に立つコン姉は、んふふと満足げに笑った。
いつものコン姉だ。
まあいーや。楽しそうで何よりってことで。
「女心は複雑っすね」
「どんどん勉強おし」
「あはー。ついでに周りの男共の視線が痛いんすケド」
「やぁね、デェト代だと思って我慢おし」
「ウィッス」
上機嫌になったコン姉に引っ張られて、オレも街の中に足を進める。
今日も今日とて、オレはこのお狐様に振り回されること確定みたいだケド。
まあ、これも人生の勉強料っつーことで。
 




