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22 幕間はべらんめえ

 時は少し遡る。

 背後から腕を捕まれた凛花は、そのまま勢い良く引き寄せられた。

 バランスを崩した凛花はたたらを踏むように何とかその場に踏み止まる。

 しかし羽交い締めされてしまい、身動きが取れなくなってしまった。


 ――いや。

 力付くで強引に振りほどくことはできる。

 しかし、頭上から降ってきた声がとっさの判断を鈍らせた。


「間に合ったああああああ」


「秀……さん……?」


 その声は、たった数日ぶりだというのに、何故だか懐かしい気さえして。

 凛花は自分を抱え込んでいる青年を呆然と確認した。

 深々と息をついている彼は、紛れもなく凛花の思う人、有馬秀だ。


「シュウ君!」


「サッキーさんもこんちゃっす。凛花ちゃんと一緒にいてくれたんすか? ありがとうございます。そんなヒールじゃ大変だったでしょ」


「ううん、そんな、私なんて何もできてないし……!」


 あわあわと顔の前で手を振る口裂け女。

 お礼を言われ慣れていないのか、それだけで顔が赤くなっている。

 そんな緊迫感のないやり取りに、凛花はハッと我に返った。


「何であなたがここに……!」


「あ、待って待って。オレちょっと今酔ってんの。暴れないで」


 無理矢理振り返ろうともがけば、見当違いな言葉と共に頭を撫でられる。

 なだめているつもりらしいが、そんなことではさすがの凛花も絆されない。

 とはいえ、覗き見えた彼の顔色は確かに悪い。


「酔う……って、お酒でも飲んでたんですか」


「いや運転の方。スゲー荒くて……」


 ちら、と秀は視線を横に流した。

 そこにはライダースーツの男性が木陰に寄り添っていた。

 傍らには立派そうなバイクがある。


 ――この森の中をあのバイクで? そんな馬鹿な。


 にわかには信じられなかったが、凛花はその疑問を一度脇に置いた。

 緊急性は高くない。

 それよりも。


「離してください! 産女がそこにいるんです!」


 産女は一定の距離を保ったまま、動かない。

 感情の見えない目からは意図が全く読み取れなかった。

 それがまた不気味さを煽って仕方ない。

 分かっているのか、いないのか、それでも秀は呑気に笑ってみせる。


「うん、まあ。オレも産女さんに話があって来たんだよ」


「え……? どうして……だって、秀さん、私の話……」


「信じないなんて言ってないでしょ」


 苦笑した彼は、ようやく凛花を拘束する腕を緩めた。


「なんか誤解されてっかもだケド。オレは色んな可能性を疑ってたよ。妖怪は全部善い奴だなんて言う気もねーし。まあ善いも悪いもオレらにとって、っつー勝手な基準だケドさ」


 言いながら、彼は少しだけ笑みを自嘲的なものに変えた。


「だから神隠しだって、妖怪の可能性も、人の可能性も、妖怪が人に憑いた可能性も疑ってた。ただあのときも言ったケド、産女は憑く妖怪じゃねーし、かといって女子供をさらう妖怪でもないはずなんだよな」


「でも、現に美晴は……!」


「だったら、疑うのは動機の方だ」


「――……え?」


 凛花は混乱する。

 妖怪が人を襲うことに動機などあるのだろうか。

 妖怪とはそういうものなのではないのだろうか。

 確かに秀と出会ってからは奇妙な妖怪ばかり見てきた気もするが――。


 秀はそこで、言いにくそうに目を泳がせた。

 その視線は凛花と産女の間で落ち着かない。

 何でも笑い飛ばしてきた彼には少々珍しい。


 凛花も産女に目をやるが、彼女は相変わらず茫洋とした目で立っている。

 しかしよく見れば、長い前髪に隠れているものの随分と整った顔立ちだった。


 言いたいことがまとまったのだろうか。

 うん、と気合いを入れた秀が口を開きかけ――。


「仕方ねーなバーロォ、オレが話してやらぁ!」


 ふいに、つんざくような高い声が響きわたった。

 凛花はもちろん、口裂け女も「ひぇ!」と短い悲鳴を上げる。

 秀は目を丸くし、ライダースーツの男は我関せずと煙草を吸って――煙草!?

 森の中で煙草だなんて。

 眉をひそめる凛花だが、その意識を声の主が強引に引っ張り寄せた。


「男がうじうじしてちゃどうしようもないぜ兄ちゃん!」


「あ、あはー……」


「さぁて、どっから話してやろうかッ」


 やけに語調の強いその声は、産女の方から発せられていた。

 厳密に言うと彼女の胸の方からだった。

 より確かなことを言うと、それは、産女の抱える赤ん坊の口から飛び出ていた。


 もぞもぞと動いた赤ん坊はつぶらな瞳をくりくりと愛らしく動かし、口の端を上げる。


「おうおうベッピンさん揃いじゃねえか。こりゃあオレも胸が高鳴っちまうねぇ。いいねえいいねえ久々のテンションだよこりゃあ」


「あ、あなたは……?」


「おっと申し遅れたな。といってもオレに名前はねえ。強いて言うなら産女の姉ちゃんのコレよコレ」


 コレ、と言って小指を立てる。

 ふくふくとした柔らかな小指がぴこぴこと動く。

 あまり見たい光景ではなかった。


「……水子の集合体みたいなものだと思ってください」


 か細い声が産女からこぼれ落ちた。

 「まあ、そうとも言うな」と赤ん坊はあっさり首肯する。

 大きな白いタオルに包まれているので大きな動きではなかったが。


「ははっ。愛らしいだろぉ? 抱いてもいいんだぜそこのお嬢ちゃん」


「え、遠慮しときます」


「そこの姉ちゃんでもいいぜぇ?」


「えっ。い、いや、私もいいかな」


「ちぇー。何でぃつまんねぇ。こんな愛らしいオレからのお誘いを断るたぁニクいねぇ。はっは焦らし上手な姉ちゃんたちだ」


「何ならオレが抱っこしましょっかー?」


「バーロォ男はお呼びじゃねーんだよっ」


 カッと目を見開く赤ん坊。

 秀は調子を取り戻したのか「ひでぇ」とケラケラ笑っている。

 そんな彼にコホンとわざとらしく咳払いをし、赤ん坊は場を取り繕った。


「いけねぇついはしゃいじまった。悪いな。それで話ってのはだな、まあつまり要するにだ。産女の姉ちゃんはこの子らを守ってやりたかったのさ」


「……え?」


 いともあっさり告げられた言葉は、すぐには凛花の脳に馴染まなかった。


「この子らは悪逆非道な男に狙われてたからな。そんなのはお天道様が許してもオレと産女の姉ちゃんが許さねえ。狙うならムサい男にしろってんだ。しかも最初はオレと同じ可愛い可愛い赤ちゃんだったじゃねぇか。これからベッピンに育っただろうに痛ましいったらないね。本当に世の中ってやつぁ残念にできてやがる」


「それってどういう……」


「今じゃ神隠しなんて言われてんだってな? それはオレたちの仕業かもしんねーな。はっは、ニュースになるたぁオレらも大物になったもんだ。とはいえ元々はただのつまらねー誘拐事件よ。そんで胸くそ悪い殺人事件。それだけさ。その一件だけなら終わっちまったことだし仕方ねえ。オレらもあるのか分かんねぇ来世に期待しながら涙に暮れるそれだけだった。ただなあ、あいつはそれだけじゃ終わらなかった。次を狙った。こうなりゃ連続誘拐事件だ、そんでそのまま連続殺人事件だ。それは産女の姉ちゃんとしても気になっちまったらしい。オンナが心を痛めてんのに黙ってるのは漢じゃねえぜ。だからオレも協力したよ。まあ大人しく姉ちゃんに抱かれてるだけだけどな。この柔らかさがたまんねーな」


 ベラベラと威勢良く赤ん坊から話が飛び出て脳をかき回していく。

 頭が痛くなりそうな話だった。

 本筋を見極めるのが非常に疲れそうだ。

 苦笑した秀が後を引き継ぐ。


「凛花ちゃんの話を聞いて、オレらも産女さんのとこに来たんだよ。そんで今の話を聞いたってワケ。女の子たちに直接の危害は加えてないみたいだケド、やっぱり満足な環境じゃないから衰弱してる子たちもいるし……解放してあげてほしいって言ったんだケド」


「あいつが歩き回ってる世の中じゃあまたいつ狙われるか分かったもんじゃねぇぜ! そんな危ないことさせられるかってんだバーロォめ!」


「って断られたんすよ」


 秀は肩をすくめてみせた。


「だからもうちょい話を聞いてさ。その『あいつ』ってのを捕まえれば安心して解放してくれるって言うから……」


「……誰なんですか。その、『あいつ』って」


 当然の疑問だった。

 しかし、秀は表情を曇らせる。

 そこに見え隠れする感情は何とも表現しにくい。

 同情なのか、憐憫なのか、それとも――。


「あいつはあいつよ! あんな善人面しやがってなぁ! ちょっと男前だからって調子に乗りやがって気にくわないぜちくしょうめバーロォ!」


「だからあいつって……」


「武山先生だよ」


「……え……?」


 秀の言葉が、聞こえなかったわけではない。

 理解できなかったわけではない。

 ――いや、やはり理解できなかったのかもしれない。

 ただの文字の羅列としてしか捉えられなかったのかもしれない。

 だってそれは。

 凛花の知る意味と繋げるには、あまりにも不自然だった。

 違和感が波のように襲ってくる。


「そうそうそんな名前だったな! 本当にひどい奴だぜバーロォ! 確かに赤ん坊を亡くしたことには同情するしオレにもその苦しみは深く濃厚に繊細に分かるってもんだがなぁ! でもそれとこれとは話が別よ! その悲しみを当たり散らしてどこが漢なんだってんだ! 漢ってのはもっと堂々としてなきゃいけないぜ! それなのに、それなのにだっ!」


「……少し、黙って……?」


「そりゃないぜ産女の姉ちゃん! オレは今とてつもない怒りと悲しみに満ちている! もっと言っても言い尽くせないほどのなぁ!」


 おろおろと産女が取りなすも、赤ん坊は構わない。

 むしろヒートアップしていく。

 それを見かねたのだろうか、秀は産女に近づいた。

 ヘラリと笑う。


「ちょっといいです?」


「あ、はい……」


 あっさりと頷いた産女は、赤ん坊を秀の手へ。

 あざっす、と笑った彼はひょいと赤ん坊を抱え直した。

 それに黙っていないのはもちろん赤ん坊だ。


「おいおいバーロォちくしょうめ! 女を寄越せよ男の硬い胸なんてお呼びじゃねーんだよてめぇコラ! 兄ちゃんさっさと離さないとその喉噛み切っちまうぞバーロォ! おいコラやめろそんな繊細な手つきに絆されてなんてやんねーぞスヤァ……」


「……シュウ君? その子、もしかして寝た?」


「みたいっすねー」


 ケロリと笑った秀が産女に赤ん坊を返す。

 もしかすると手当の効果だろうか。


 ともかく、そんな賑やかな場面を凛花はどこか遠い気持ちで見ていた。

 未だに理解が追いつかない。

 ――というよりも、理解することを脳が拒絶していた。

 口裂け女も気遣わしそうにこちらに目を向けてくる。


「……とりあえず、そんな話を聞いてオレらも動いてみたんすよ。勘違いならそれはそれでいいワケだし。とはいえ時間もあんまなかったから……そこのエンラさんにお願いして、先生の部屋に忍び込んでもらいました」


「えっ」


 そこでライダースーツの男に視線が集まる。

 男性は煙草をくわえたまま顔を上げた。

 ――よく見ると煙が出ていない。電子煙草のようだった。


「煙々羅のエンラさんでっす」


「どうも」


 【煙々羅(えんえんら)】。

 煙の妖怪、または煙に宿った精霊とされている。

 煙のため様々な姿や形でさまようことができる。

 煙の中に人の顔として現れることもあるようだが、中には純粋な心を持っていないと見ることが難しいなどと言われることもある。

 特に害を与えるような話は耳にしたことはないが――。


 ――なるほど。

 煙ならば、ちょっとした隙間からでも忍び込めてしまうのかもしれない。


 凛花は改めて彼を見やる。

 背は高くスラッとしている。

 それこそ身長は天狗と変わらないかもしれないが、天狗よりも細身だろう。

 黒い髪が風にたなびくような形をしているのがやや特徴的だ。

 どうでもいいが、そんな髪でヘルメットは被れるのだろうか。


「それで、エンラさんが家捜しをしてくれたワケなんだケド」


「犯罪じゃないんですか、それ」


「俺は風に流されてたまたま入り込んじまっただけさ」


 大して美味しくもなさそうに煙草をふかしながら、いけしゃあしゃあと煙々羅は言ってのけた。

 全くもって反省している気配は見えない。


「実際、あんな日記と写真を見つけちまったらな」


「え……」


「シュウ」


「……うぃーっす」


 その場から動かず、煙々羅は顎だけで秀に指示をした。

 正確に読み取ったらしい彼は肩を落としてワイフォンを取り出す。


「エンラさん、運転も荒けりゃ人使いも荒いんだからさぁ」


「シュウが急げって言ったんだろうが。そもそも最初に理不尽なお願いをしてきたのはそっちだろ」


「おっしゃる通りで」


 あっさり降伏した彼は、ワイフォンを軽く操作し凛花に手渡した。

 凛花は恐る恐るそれを覗き見る。

 無機質なその物体が、何故か、いつもより重く感じた。


「……」


 そこに記されていたのは、狂気に染まった日記と写真だった。


 妻に先立たれた悲しみ。

 残された子を大切に思う気持ち。

 それさえも雨の日の事故で喪ってしまった絶望感。


 やがて、それは代理を求め始める。

 隙間を埋めるように、決して成立するはずのない代わりを求めてやまない気持ちが溢れていく。


 一人目の時点では、まだ葛藤があったのかもしれない。

 しかしそれも徐々に思い込みと狂気で事実と歪みが入り交じっていく。

 また、一人目を弾みで殺してしまった辺りから――その歪みは加速した。


 ぽつりと産女が口を開く。


「……私の場合、子を産めなかった無念が形になった妖怪でもあります……だから子を求める気持ちは、分からなくもなかったんです……」


 相変わらず生気の感じられない表情だったが、彼女の目には悲しみも混じっているようだった。


「初めはそんな気持ちから共鳴したのかもしれません……私はその人をひっそりと気にかけていました……だからその人が犯人だということはすぐに分かったんです……その人が誰を狙っているのかも」


 産女は優しく赤ん坊を抱え直した。


「とはいえ、初めは上手く止めることもできなくて……三度目からようやく先回りすることができました。子を亡くしたのが雨の日だったからなんでしょうか……雨の日がその人のスイッチになるということも、そこでようやく分かって……」


「……先生ってさ、頭良さそうじゃん。だからこんな証拠になりそうなもの、残しとくのかなぁってオレも最初疑問だったんだケド。でも読んでたらこれ……なんつーか、育児日記でもあるんだよ。きっと。歪んじゃってるケド、……一生懸命愛した記録をどうしても残したかったんだろうな、って。皮肉なもんだよな」


 凛花は呆然と話を聞いていた。

 だから漏れ出た言葉はほとんど無意識だった。


「……嘘……でしょう……?」


 視界が揺らぐ。

 動機が激しくなっていく。


 だって、あの武山だ。

 生徒に人気があり、部でも適切に指導し、よく自分たちを気にかけてくれた。

 爽やかで若々しく、そんな様子などこれっぽっちも見せていなかった。


 しかし、凛花の手にあるワイフォンは、確かに武山の存在を歪つに浮き彫らせていく。


 煙々羅は相変わらず煙草をくわえたまま、ただ目を伏せた。

 口裂け女は先ほどから気まずげに俯いている。

 産女は、無表情に首を横に振った。


(美晴はお守りを、部の全員に渡していた……)


 それは、顧問である武山も――例外ではない。


 凛花はそっと目を閉じた。

 武山の笑顔が浮かぶ。

 彼はよくその笑顔で、大きな手で自分の頭を撫でてくれた。

 安心させようとしてくれた。

 時には楽しげに、時には呆れ、時には力強く。

 自分たち生徒に寄り添おうとしてくれた。


 ふいに頭に重みを感じた。

 静かに目を開ければ、秀が頭を撫でていた。

 いつもの軽薄さはナリを潜めて、気遣わしげに優しく、しかし励ますようにしっかりと。

 それはじんわりと温かい。

 これも「手当」の力だろうか、なんて、この場には関係のないことを思う。


「……」


 凛花は覚悟を決める。


 これが、もし、本当ならば。

 ――真実で、あるならば。


「……止めなきゃ」


 そうして、凛花は彼らの作戦に乗り出した。

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