19 二度目ましてのお友達
三日目。
引き続き髪を下ろし、物干し竿片手にうろついていた凛花はイライラと歩き回っていた。
地図にはたくさんのバツがついている。
しかし、成果はない。
警察も捜査に当たっているという。
だから咲坂は休め――そう武山に諭されたが、凛花は首を縦に振ることができなかった。
じっとしていると不安で叫びたくなる。
(美晴……美晴、どこにいるの)
まさか、もう。
そんな恐ろしい考えを必死に打ち消す。
(……いなくなったのは、私の知ってる場所が多いけど……)
地図を見返すが、どれも凛花の行動範囲だ。
しかし、人をさらった妖怪が同じ場所に留まっているのだろうか。
もうとっくに遠くへ逃げているのでは。
いや、しかし産女は「警告」と言っていた。
それはまだ続くことを意味しているのではないか。
(考えがまとまらない……落ち着け……)
言い聞かせながら深く息を吸い――。
「凛花ちゃん」
「ひゃあ!?」
「きゃああ!?」
突然の背後からの声に、思い切り肩を跳ね上げた。
そんな自分に、それ以上に相手は驚いたらしい。
甲高い声が耳を突く。
慌てて振り向いた先には、不思議なポーズで硬直している、コートを着たマスク姿の女性。
「く、口裂け女……?」
「ど、どうも……」
驚いたのが恥ずかしかったのか、彼女は顔を朱色に染めて口ごもる。
凛花も気まずさを押し殺して彼女と向き合った。
――そういえば、ここは口裂け女がいた河川敷の近くだった。
「えっと、見かけたからつい……そんなに驚くと思ってなくて……ご、ごめんね?」
「いえ。考え事をしていたので……」
「また事件のこと?」
「……ええ、まあ。そうです」
「今日はシュウ君は一緒じゃないんだ?」
無邪気な問いに、凛花は顔を逸らした。
それをどう捉えたのか、口裂け女もそれ以上はツッコんでこない。
ふぅん、とだけ呟いた彼女は、悔しいが少し大人っぽかった。
「……口裂け女さん」
「良ければサッキーって呼んでほしいな」
「口裂け女さん」
「う、頑固」
むぅ、と軽く口を尖らせる口裂け女。
あざとい。
さすがネットアイドルか。
凛花は彼女に向き直った。じっと見上げる。
「……産女の場所を知りませんか?」
「産女?」
きょとんと口裂け女は瞬いた。
その反応から、これ以上の情報は得られないだろうと凛花は判断する。
これが演技ならよほどのものだ。
――以前の秀の判断に賛同する形になるのが、何だか悔しいけれど。
「知らないならいいんです。他を当たってみます。それでは――」
「あ、待って待って! 神隠し関係なんだよね? それならもう少し話聞かせて。何か手伝えることがあるかもしれないでしょ?」
「……」
いくらか迷ったものの、現状では打開策もない。
凛花は一つ頷き、口裂け女に促されるままに土手に座り込んだ。
二人並んで――微妙に一人分くらい空いているが――体育座りをしているというのは、ハタから見て少々シュールかもしれない。
たまにジョギングなどで通りかかる人が不思議そうにこちらを見てくる。
一度座り込むと、どっと疲労感が押し寄せてきた。
凛花は持参していたスポーツドリンクを喉に流し込む。
温くなってしまったそれは、しかし、渇いた喉にはたまらない。
呷った際に視界に入った空は重たげで、また天気が崩れてきそうだった。
「それで? 産女が事件に関係してるの?」
「……そういう目撃証言があって」
「ええっ!? じゃあ犯人が産女ってこと?」
「いえ、まだそうとは。ただ関係している可能性はあるので、話を聞きたいと」
「あ、危ないわよ……?」
「それに、……また、新しい被害も出たので。のんびりはしてられなくて」
凛花は一つ一つ、言葉を選んで押し出していく。
バカ正直に全てを話す気にはなれなかった。
――妖怪は、妖怪の味方だ。
下手に話せばかえって隠匿されてしまうかもしれない。
「そっか……大変だ。でも、うん。それなら私もみんなに呼びかけてみる」
「……」
「ほら、私もシュウ君ほどじゃないけどフォロワーいるし」
「……どうして、そこまで……?」
凛花には不思議だった。
口裂け女が凛花を引き止めたのは、単なる好奇心からだったのかもしれない。
だとしても、口裂け女がそこまで親身になる必要があるだろうか。
それともこれが罠なのか。
それにしては無駄な気がする。
分からない。分からなくてモヤモヤする。
すると、口裂け女はきょとんと瞬いた。
「だって。私たち、お友達……でしょう?」
「えっ」
「……えっ」
驚いて声を上げた凛花に、口裂け女も遅れて声を上げる。
随分と上擦った「えっ」であった。
沈黙。
凍りかけた空気を、口裂け女の顔から出た湯気が打ち消していく。
「え、あ、ご、ごめんなさい。この前色々お話したとき、たくさん言い合えたからてっきり……。やだ、私、もしかして勘違い……っ」
羞恥でじわじわと耳まで赤くなっていき、目も潤んでいく口裂け女。
「あ、あは、あはは、気にしないで」と慌てて取り繕う彼女は、先ほどとは違い、やはり年上には見えにくい。
無駄に手をパタパタさせては髪をいじり、何やら言い訳めいたことを早口で口走っている。
それは何だか、妙に間が抜けていて。
毒気も一緒に抜かれてしまった。
「……びっくりしただけ、です」
「え?」
「……私、友達少ないんで」
言いながらもバツが悪く、ほんの少し目が泳ぐ。
どうも自分は柔軟性に欠け、人よりいくらかズレているらしい。
加えて妖怪が見えることで不可思議な態度もあり――凛花は、自分が周囲から浮いていることを自覚していた。
勉強も、部活も自分なりに一生懸命頑張っている。
その甲斐がありそれぞれの成績も軽く平均よりは上回っている。
しかし――どうにも、人の機微の疎さが交流を邪魔してしまう。
美晴がいなければきっと「ぼっち」だったに違いない。
これでも改善していこうとはしているのだけれど。
――改善の方向がおかしいと、美晴に度々ツッコまれるのだけれど。
恐る恐る口裂け女が窺ってくる。
「じ、じゃあ、お友達……でいいのかな?」
「……ええ、まあ……」
「! あ、あのねあのね、私、お友達とショッピングとかに憧れててっ。凛花ちゃんが良ければ一緒に行ってみたいな! それとね、この前のパフェみたいなところももっと行ってみたくて」
「ちょっと待ってください。一度にはちょっと。それにまずは事件を探らなきゃだし」
「それはもちろんよ」
興奮してしまったことが恥ずかしかったのだろう。
口裂け女はまたわずかに頬を上気させつつ、しっかりと頷いた。
その様子に凛花もツッコミを入れたくなる。
「友達の割に、この距離感は何なんですか?」
「う。……だって凛花ちゃん、臭いんだもの」
「!?」
衝撃だった。
衝撃の一言だった。
鳩尾にアイアンクローをぶちかまされた気がした。
「友達やめます……」
「ち、違う違う! 言い方が悪かったわね。凛花ちゃん、何か持ってるでしょ? 臭いが強烈なもの。それがどうも気になっちゃって……私が敏感なだけだとは思うんだけど」
「……、……、……あっ。もしかしてこのドリアン飴ですか?」
「そうそれ!」
「秀さんめ……!」
「シュウ君のせいかぁ」
あははと口裂け女は声を上げて笑った。
そのまま、彼女は黒目がちな目元を和ませる。
体育座りのまま、首を倒して凛花を見上げる形で。
「ありがとう。これで人間のお友達は二人目」
「二人目?」
「うん。ほら、シュウ君も」
「ああ……そういえば、一緒に現場を見に行ったって……」
「うん……」
口裂け女は頬をかいた。その頬は未だにうっすらと赤い。
「私、人見知りだから。ああやって頼られたこともなくて。へへ、だからちょっと嬉しかったの」
言いながら彼女はぶちぶちとその辺の草を抜いていく。
何かしていないと落ち着かないのかもしれない。
「すごいよねシュウ君。さらっと道路側を歩いてくれるし、荷物持ってくれたりもして。私がドジして迷惑掛けても笑って流してくれたし。軽い子かなーと思ってたら意外と紳士でビックリしちゃった」
「随分とたらし込まれてますね……?」
「ちちち違うよ!? そんなんじゃないよ!?」
「いえ、別に私にはどうでもいいですけど」
「だから違うってば! ただ……シュウ君の噂はちょっと耳にしてたから、それでも私みたいな存在に優しくしてくれたことが嬉しかったっていうか」
「噂……?」
「知らない? シュウ君ね――……」
口裂け女が教えてくれた内容に、凛花は思わず目を瞠った。
「あまり言いふらすようなことじゃないから私が言ったのは内緒ね」と口裂け女は苦笑する。
その言葉に、凛花はただ機械的な頷きを返すしかできなかった。
そのまま彼女はふと首を傾げる。
さらりと黒髪が揺れる様は、妙に涼しげで艶やかだった。
「そういえば……さっきも聞いたけど。シュウ君は今日、どうしたの?」
「……別にいつも一緒にいるわけじゃありませんよ」
「そうかもしれないけど……彼、ここ数日ツブヤイッターにも浮上してないみたいだし。忙しいのかなぁって」
「え……?」
それは知らなかった。
そもそも凛花は秀の動向を把握していない。
妖怪ネットワーク支部だって、美晴が連れさらわれたあの日から止まったままだ。
「……あの。さっきは言えなかったんですけど……新しい被害者というのが、……私の友達で」
「え!?」
「それで……私、頭に血が上っちゃって。秀さんとも意見が分かれて喧嘩みたいになっちゃって……いえ、私が一方的に啖呵切って飛び出しちゃったんですけど」
「ええ!?」
口裂け女がぎょっとして身を乗り出してくる。
その勢いに驚いたらしいカラスがバサバサと羽音を立てて飛び立っていった。
気まずげに姿勢を戻した口裂け女は、眉を八の字にして苦笑する。
「まあ、うん、そっか……友達だったら心配よね。冷静になれなくても仕方ないと思う」
「はい……」
「……その子から連絡なんかは」
「ありません」
「だよね。もしかしたら妖気で阻害されてるのかも」
言いながら口裂け女はワイフォンを取り出した。
手慣れた操作でツブヤイッターを開く。
「ほら、これがシュウ君のアカウント。日付が止まってるでしょ? もしかしてこの日かな」
「そうですね。……? 口裂け女さん、これ」
「え?」
凛花が隣から覗き見ると――臭いに身を引きそうになった口裂け女はぐっと堪えたようだった。大人の対応である――シュウの呟きにコメント、リプライがあった。
アイコンはデフォルト状態なのだろう、写真は何もない。
名前も記号の羅列である。
ただ、コメントの内容が――。
「すぐるん、って……一言だけ?」
「……美晴かもしれません……!」
「ってもしかして、例の凛花ちゃんのお友達?」
「はい!」
彼をそう呼んでいる人は恐らく多くないだろう。
しかもこれは妖怪ネットワークのツブヤイッターである。
ネット上では【シュウ】である彼をそう呼ぶ者はさらに限られるに違いない。
「呟きは昨日……」
「それならまだ無事かもしれないわね。妖気で電波が阻害されても、こっちの妖怪ネットワークの方は平気だったのかも。逆に妖気で受信しやすくなることもあるし」
「位置情報、分かりますか? 確か秀さんも呟きから辿ってたことがあるんですけど」
「この子が設定して呟いていれば……あ、分かりそう。とはいっても範囲は漠然としてるよ。しかもちょっとした森じゃないかなここ。これだけで探せるかな……」
「口裂け女さんならにおいで分かりませんか?」
「私は警察犬じゃないんだってば。美晴ちゃんって確かお守りくれたって子でしょう? そんなうっすらしたものじゃさすがに無理よ」
「……」
凛花は考え込む。
何か分かりそうなものはないか。
手がかりになるものはないか。
何か――。
「……美晴も、この飴、まだ持ってるかも」
「え」
「どうですか」
ドリアン飴をひっつかんで口裂け女の前に差し出すと、彼女は「ヒィ!?」と上半身を仰け反らせた。
何だか彼女を怯えさせてばかりな気もする。
しかし今回ばかりは耐えてもらうしかない。
真剣な目で口裂け女の動向を追っていると――彼女は肩をすくめた。
ばさりと長い髪を後ろに払う。
深い溜息。
「ポマードの次にトラウマになりそうな臭いだわ……でも、これなら分かるかも」
凛花は立ち上がった。思い切り頭を下げる。
「お願いします。一緒に探してください。……サッキー、さん」
「うん」
思いの外即答で、凛花は思わず顔を上げる。
目が合うと、口裂け女はあざとく小首を傾げた。
ウインク。
しかし照れがあるのか、耳はほんのりと赤く。
「だって。私たち、お友達……でしょう?」




