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16 襲撃

 秀、美晴と情報交換を始めて数日。

 進展としては微々たるものすぎて、これでいいのだろうかと不安になる。

 しかし些細なやり取りを彼らと重ねることは、凛花の気持ちをいくらか明るいものにさせていた。

 未だにチャットの入力は不慣れだ。

 それにも関わらず彼らはテンポ良く返してくれる。

 それが何だか小気味良い。


(とはいえ……)


 あれから事件らしい事件は起きていない。

 このまま収束していくのだろうか。

 被害が広まらないのは喜ばしいが、今までの被害者のことを思うと――勝手ながらに気が重くなる。


「咲坂、眉間にシワが寄ってるぞ」


「あ」


「凛花ちゃん、大丈夫?」


「美晴……」


 武山と美晴に傘の合間から覗き込まれ、凛花は苦笑する。

 美晴とはいつものように、そして武山とは偶然一緒になったため、そのまま三人で家路についている最中だった。

 「大丈夫」と笑って答えれば、「そう?」と美晴は小首を傾げる。

 そのまま彼女は、改めて話題を続けることを選んだようだった。

 パッと浮かぶ笑みは陰鬱な雨を掻き消す勢いだ。


「それでね、凛花ちゃんとはこーんな大きなケーキを食べに行ったんだよ! 美味しかったぁ」


「はは、江中は子供っぽいなぁ」


「タケやんひどい! ボク、けっこーいいお母さんになるって言われてるんだからね!」


「子供と一緒に遊び回っちゃうんじゃないか?」


「あ、想像できるかも」


「凛花ちゃんまで!?」


「微笑ましいと思うけど」


「……それって褒めてる?」


「褒めてる褒めてる」


「ああ、褒めてるぞ。江中みたいな娘なら毎日楽しそうだ」


「もう、タケやんは調子いいなぁ!」


 わざとらしく頬を膨らませた美晴が、次の瞬間には弾けたように笑い出す。

 どこか肩に力が入っていた凛花も、その笑い声にそっと息をついた。


「あ、ボクの家もうすぐだ。ちぇー。話してるとあっという間だね」


「明日もまた会えるじゃない」


「明日から夏休みだってのに、二人はまた会うのか? 本当に仲いいな」


「明日は午後からボクが凛花ちゃんを独り占めだよー。タケやん、羨ましいでしょ」


「美晴、こら」


「残念だな江中。部活はあるから、俺も咲坂と会うことになる」


「……そうだった!? タケやんズルい!」


 何がどうズルいのか。

 美晴の感性は時々よく分からない。

 そんなノリにも軽快に付き合ってくれる武山は本当に若々しい。

 ――ついていけない凛花が若くないのかもしれない。そんな馬鹿な。


 ひょい、と美晴が一歩先に出る。

 くるりと傘を回した彼女は前を指差した。


「ボクの家、そこを曲がったらもうすぐだよ」


「着いたら宿題も忘れないようにな」


「うえええ」


「こら」


 叱りつける武山は、しかし楽しそうだ。

 じゃれ合う姿はいっそ微笑ましく、雰囲気は確かに父子のようなものを思わせる。


「……あ、武山先生。今更ですけど、お見送りありがとうございます」


「いや、タイミングが良かったしな。これくらい別に。最近は落ち着いてきたのかもしれんが……物騒なことに変わりはないだろうし」


「うんうん、ボクたちなんて美少女だからねっ。タケやんも心配だよね」


「はは、調子に乗ってるな? とはいえ心配なのは本当さ。先生にも娘がいるからな……他人事な気がしない」


「あれ? 先生、娘さんがいたんですか」


「ああ、可愛いぞ」


「ボクたちとどっちが可愛い?」


「比べられないな」


「ちぇー」


 美晴のおかげか、他愛もない会話が軽く続いていく。

 それを何とはなしに聞きながら、凛花はふいに空を見上げた。

 雨だから重たげな雲が覆っていて、全体的に薄暗い。

 晴れていれば、きっと、今頃はぼんやりと光と闇の境界が曖昧になるような空だったのだろう。

 黄昏時――。


 ――ふいに、凛花は寒気を感じた。

 あまりにも急激な感覚。

 まるで目覚ましに叩き起こされたかのような。

 氷河の中に叩き込まれたような。


「え……?」


 とっさに辺りを見渡すと――いつの間にだろうか。

 女が、立っていた。

 ざぁざぁと降りしきる雨の中、傘も差さず、ただ一人の女が立っていた。


 黒くて長い髪に、白い服。

 腕の中には小さな赤ん坊。

 顔はよく見えないというのに、下腹部の赤さは妙に鮮明に目に映る。

 そして彼女ははっきりとこちらを見ている。

 じっと、見ている。


「あれは……産女うぶめ……?」


「ひっ……!?」


「何だ、あれは……!?」


 たじろいだ美晴と武山の反応に、凛花はハッとした。


(二人にも見えてる!?)


 凛花はぎゅっと傘の柄を握る。


 ――妖怪は、普段、人の目には映らない。

 しかしいくつかの条件によってはその姿を現す。

 例えば――人を襲うのに姿を見せる必要があり、また、その意志があるとき。


 【産女うぶめ】。

 メジャーといえばメジャーかもしれない。

 夜道に現れ、赤ん坊を背負ってくれと頼み、逃げた者を祟る。

 赤ん坊を背負うとどんどん重くなる、赤ん坊に喉を噛み切られるという話もある、妊婦の妖怪だ。

 一方で赤ん坊の重さに耐えきると怪力や報酬を得るなど諸説は様々なのだが――。


 産女が口を開いたようだが、雨の音にかき消されて分からない。

 凛花は傘を畳んだ。

 一瞬のためらいを押しのけ、産女に肉薄する。

 傘を突き出す!


「咲坂!」


「凛花ちゃん!」


 産女は存外素早い動きで傘を避けた。

 音もないその動きは現実離れを助長させる。

 止めどなく叩きつけられる雨が鬱陶しい。

 張り付く髪や服もそのままに、凛花はキッと相手を睨みつける。


「何が狙いなの……!」


『――』


「え……?」


『ケ イ コ ク』


 産女の口は、確かに、そう動いたようだった。


 けいこく。

 警告?

 それはつまり――?


「あっ」


「きゃあ……!?」


「美晴!」


 凛花が呆然とした隙に、産女は美晴たちに接近した。

 産女は悲鳴を上げた美晴に掴みかかる。

 美晴の目が恐怖に見開かれる。彼女の手から傘が落ちる。


「こいつ……!」


 硬直していた武山も慌てて動いたようだが――産女はそれをヒラリとかわす。

 それと同時に引っ張られた美晴が体勢を崩す。

 産女は武山を見た。

 目が合ったのだろうか、ビクリと武山は身体を強張らせる。

 美晴が凛花を見る。

 縋るような目。

 伸びる手。

 それは何も掴むことなく。


「凛花ちゃ、」


 そうして。

 産女は、美晴と共に姿を消した。

 それは、あまりにも忽然と。


「え……?」


 いない。

 先ほどまで一緒にいたはずの美晴の姿が――そこに、ない。

 まるで現実感のない光景。

 ただ、この場にそぐわないポップな柄の傘だけが頼りなげにそこに落ちている。


「江中!?」


「……美晴……?」


 連れさらわれた。美晴が。産女に。

 ――自分が、ついていながら。


 そのどうしようもない現実に、凛花は呆然と立ち尽くすしかなかった。

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