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01 被害者はドラム缶

 ドラム缶が歪つにひしゃげていた。

 ドラム缶に突き刺さった薙刀からはじんとした痺れが伝わってくる。

 その薙刀で左右に分断される形となった二人の男女は、驚きに目を見開いた。

 狭い路地ではぐわんと音が反響する。

 気まずい沈黙が降り立つ。

 目を丸くしていた女の耳が大きく揺れ、男の表情がひきつっていく。


 そんな異様な空気の中、咲坂さきざか凛花りんかは薙刀を握る手に力を込めた。どこか冷静に頭の片隅で思う。


 ――しまった、力加減を間違えた。





============================


【妖怪ネットワークどっとあや】

挿絵(By みてみん)


============================





「凛花ちゃん、ほんと凄かったよ!」


 興奮冷め切らぬ、とはこのことか。

 目を輝かせる友人、江中えなか美晴みはるに、凛花は小さく笑みを返した。


「そんなことないよ」


「でもでも、ズバッと! ドバーッと! ビシッと! しかも優勝なんてさぁ! ほんとカッコ良かった!」


 ざわめく街中でも、はしゃいだ美晴の声はよく通る。

 ショート髪の彼女はその風貌に違わず元気いっぱいだ。

 明るい髪色も、ヒラヒラと揺れる少し短いスカートも、彼女にはよく似合っている。

 惜しげもなく露出された生足が夏らしくて目に眩しい。


 先ほどから美晴の頬がほのかに赤く見えるのは、決して夕日の反射のせいだけではないだろう。

 そこまで本気で褒められれば凛花だって悪い気はしない。

 大会終わりの疲労も軽減されるというものだ。


「ほら、写真も撮っちゃった。いい出来でしょ」


「それはさすがに恥ずかしいよ……」


 自慢げに見せてきた美晴のワイフォン――よく使われる多機能携帯電話――には、賞状を持った凛花の写真。

 防具を着用し、黒い髪を高く結った自分は、生真面目な表情をしていて我ながら面白味がない。


「いつも応援、ありがとね」


「何言ってんのさ。凛花ちゃんの薙刀持ってる姿見るの、ボク好きだもん。こっちこそありがとうだよ」


「いつもそう言ってくれるけど……美晴はやってみないの?」


「うーん、興味はあるけど。今更かなぁって。それに来年は受験だもんなぁ。凛花ちゃんは勉強もできるからいいけど、ボクは親から嫌な顔されちゃいそう。こーんな顔してさ」


 言いながら美晴が人指し指で目を吊り上げる。

 それは可愛らしい彼女がやるとどこか間が抜けていて、凛花は思わず声に出して笑ってしまった。

 この友人は本当に明るくて人を和ませる。


「それよりお腹空いちゃったね。凛花ちゃん、どこか寄って……わぷっ」


 強い風が吹き、どこからか飛んできた紙が美晴の顔に張り付いた。

 美晴がバタバタと手を振り回す。

 慌てたその様子は壊れたおもちゃみたいで、可哀相だが少しばかり微笑ましい。

 込み上げる笑いを堪えて剥がしてやる。


「美晴、大丈夫?」


「ビックリした……何それ?」


「新聞ね」


 言いながら、何の気なしに凛花はその新聞を広げてみた。

 今日の夕刊だろうか。

 見出しには「女児行方不明、同一犯か」「五人目の神隠し」などと不穏な言葉が並んでいる。


「……」


「怖いよねぇ」


 一緒に覗き込んだ美晴の表情は、分かりやすく曇っている。

 凛花も一つうなずいた。


 連続で起きている行方不明事件。

 ここ最近のニュースはその件で持ちきりだ。

 初めはただの、数ある中の事件の一つ――当事者からすればたまったものではないだろうが――に過ぎなかった。

 しかし数日と経たずに、そう離れていない場所で行方不明になる人が続出した。

 被害は女子供に多く、目撃証言はほとんどない。

 唯一あった目撃証言だって、「目の前でいきなり消えてしまった」などと不可解なものだという。

 さらに――現場と思しき場所には大量の血痕が残っているケースもあるというのだから穏やかでない。


「凛花ちゃんはどう思う?」


「どうって……」


「妖怪。……だと思う?」


「……分からないけど」


 ――妖怪。


 その、かつては人々の恐怖の対象であったろう存在は、技術の進歩ゆえか、長らく誰からも忘れられていたかのようだった。

 しかしここ最近は、都市伝説のようなものとして再びそれらに纏わる噂が広がりつつある。

 今回のような不可解な事件を妖怪のせいだと囃し立てる風潮すらあった。


 とはいえ、信憑性は薄い。

 本気でそう信じている者は間違いなく少ないだろう。

 ほとんどが面白半分の戯れ言だ。

 畏怖の象徴だった妖怪は、今や娯楽に成り果てたのだと言う者もいる。

 そもそも今の世の中では、分からないことは全て妖怪の仕業だなんて、思考の放棄だと揶揄されても仕方ない。

 しかし。


「可能性は……あるかもしれない」


「そっかぁ。怖いね」


 凛花の呟きに、美晴はあっさりすぎるほど素直な反応を示した。


「あんまり怖そうには聞こえないけど?」


「だって、いざとなったら凛花ちゃんが助けてくれるでしょ?」


「善処する」


「あっ、それってダメなやつ!」


 澄ました顔をしてみせた凛花に、大袈裟に声を上げた美晴がじゃれついてくる。

 そんな他愛のない戯れは自分たちの日常茶飯事だ。

 ついつい笑い声も大きくなってしまい、我に返った凛花は多少の気恥ずかしさから周囲に目を配り――。


「でさー! そこの空き地でツチノコ見たとか言うからスゲー気になって!」


 すれ違いざま、自分たち以上にはしゃいだ声に、何となくホッとした。

 しかも内容が内容なので、むしろ自分たちより悪目立ちしていそうだ。

 空き地でツチノコとは。

 一体何事なのか。

 うっかり気になってしまった凛花はそっと振り返り――。


(……え?)


 やたらと通る声で楽しげに笑っているのは、何てことのない青年だ。

 控えめに染めた茶系の髪に、身長は百七十ほどだろうか。

 クラスに一人はいるムードメーカーかもしれない。

 離れていく今でもなお、ケタケタと屈託のない笑い声が凛花の耳に届く。


 問題はその隣だった。


 青年に並び、口元に艶やかな笑みを浮かべる女性。

 大人の色香を纏わせながらも、肩をさらけ出したワンピースからは若々しさも伺える。

 そして清純の象徴でもあろう白色のワンピースを、「清純」には似つかわしくないほど押し上げる胸。

 目を惹くほどの鮮やかで曇りのない金髪。


 思わず同性ですら目を奪われるような「美女」なのだが――凛花の気を引いたのは、そんな要素ではなかった。

 なぜなら、圧倒的な違和感がそこには在るのだ。


 絹糸のような髪から覗く――いや、そんな控えめなものではなく、むしろ堂々と自慢げにさらけ出されている――黄金色の、ふさふさとした獣の耳が。


「だからオレはカレー粉の方がいいと思うワケ」


「シュウ坊ったら斬新ねェ。あたしはワサビも風流だと思うけど」


「えええ、ツチノコにワサビは可哀相っしょ」


 いつの間にやら話題が明後日の方向にかっ飛んでいる二人組は、女性が誘導する形で細い路地へと消えていく。

 ――行ってしまう。


「……今の人」


「凛花ちゃん? ……また、何かいたの?」


「……うん……」


 気遣わしげな美晴の声に、凛花はぼんやりと答えた。

 路地の向こうから目が離せない。


 迷いは、一瞬だった。


「ごめん、美晴。えっと」


「いいよ。荷物も持っててあげる」


 説明に窮し眉尻を下げる凛花に、美晴はいつもの笑みと手を差し向けてくれた。


「でも気をつけてね! ケガしちゃやだよ!」


「ん、――ありがと」


 凛花は、いつもこの友人の笑顔に救われる。

 彼女の優しさに甘え、凛花は薙刀以外の荷物を預けて駆け出した。


 路地は薄暗く、夕日も届きにくい。

 日が沈みかけているため尚更だ。

 夏の湿りが一層強く感じられる。

 どんどん翳り、宵の気配が色濃くなる。


(もうすぐ、黄昏時……)


 黄昏時。

 日が沈む、夕焼けの名残が広がるこの時間。

 凛花は時々思い出す。

 黄昏は、誰そ彼だと――「あちら」と「こちら」が入り交じる、「人間」と「そうでないもの」の見分けがしにくくなる、曖昧で不吉な時間だと。


 ――関わらない方が良い。そう思う。

 美晴が特殊なだけで、大半の者は凛花の行動を訝るだろう。

 厄介なことに首を突っ込んだところで損をするだけだと、批判するかもしれない。

 そもそもにおいて、妖怪だの、怪異だの、現世においてはふざけているのだ。

 馬鹿馬鹿しいことこの上ない。

 凛花だって客観的にはそう理解している。

 けれど。

 けれど――。


 路地の奥、男女の姿が見えてくる。

 楽しげに話しかける青年に、女性がうっそりと微笑んだ。

 そのまま彼女は青年に近づく。

 彼女の大きな耳が震える。

 新たに姿を見せた尾が、戯れに揺らめく。

 ゆらりと重たげな空気を絡め取る。

 彼女の鋭い爪が、青年にそうっと伸び――。


 凛花は、二人の間を裂くように薙刀を突きつけた。

 ぐわんと不気味に音が響く。

 分かたれた二人がぎょっとしたようにこちらに顔を向けてくる。


「何!?」


「薙刀……!?」


 「そうでないもの」なんて不確かで非日常的なものには、その存在の真偽を問わず、関わらない方が良い。

 本当に、心の底からそう思う。

 ――けれど。

 けれど、凛花はどうしたって、放っておくことなんてできやしないのだ。


「その人から、離れて」


 だって、自分には、はっきりと見えてしまうのだから。

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