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ダブルリング  作者: 理湖
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傷痕(アベル視点)

春だというのにその日は日差しが強く夏のように暑い日だった。地面からゆらめく影楼を見つめながらアベルはお商店街の一角でおばさんが「…5、6」とお釣りを数え上げるのを待っていた。


明日はバトラー夫人の18回忌。毎年彼女の命日には果物や彼女の好んでいた甘味を供えていた。アベルはその供物を買いに屋敷から歩いて1時間ほどかかる商店街まで足を運んでいた。屋敷の近くにも商店街はあるが甘味を作るための砂糖が売り切れており、屋敷の仕事は他の使用人に頼んでその次に近いこの商店街まで歩いてきたのだ。革命後街の作りが少し変わってしまったので砂糖を売っていた店を探すのに手間がかかってしまい、ようやく代金を払い終えた今、1日のうちで気温が最高潮に達していた。


「はい、1300ベル。ってあんた凄い汗だねえ。なんで長袖なんか着てるんだい。腕をまくったら少しは楽になるよ!」


ぼーっと遠くの地面を見つめていたアベルに向かって快活におばさんが声をかけてくる。気のいいおばさんはお節介を発揮して釣りを受け取ったアベルの手を取りその袖を捲ろうと裾を持とうとした。


肌に触れた感覚で我に返り釣り銭を握っていた手を咄嗟にばっと胸に引き寄せた。


急に手を振り払われたおばさんは思いがけない反応に驚いた様子だが、慌てていたアベルは大きくぺこりと一礼するとそのまま買い取った商品を両手に持って逃げるように走り去った。


重い荷物を両手に提げているのもあって息が上がってしまい、少し店から離れたところで立ち止まってしまった。暑さと走ったのとでさらに汗が額を流れる。空気を取り込むのに大きく深呼吸するその動きですら服と汗で湿った肌とが張り付いたり離れたりを繰り返して気持ちが悪い。商店街を行き交う人々はこの炎天下で長袖長ズボン姿の自分をチラチラと見つつ、そのまま通り過ぎていく。


自分も好んでこんな暑苦しい格好をしているのではない。


そっと誰にも見えないよう袖の下を覗く。本来なら手の甲と同じ日焼けしていない白い肌が見えるはずだが、そこには同じ組織とは思えない紫や黄色に変色した腕が見える。この服の下は大体同じ模様だ。


昔から暴力は振るわれてきたが、まだ老爺の使用人が生きていた頃、彼はこの肌の色を見てなんとも悲しそうな顔をして心配してくれたものだ。手当てしてくれる手つきや心配してくれる彼の言葉が照れくさい反面、繰り返しそんな顔をさせてしまうのが申し訳なくて、いつからか長袖を着て傷を隠すようになった。


彼は死んでしまったけれど肌を他人に見せるのも抵抗ができてしまって傷の露わになる服は着られなくなってしまった。


アベルは再び力の入らない足を無理矢理一歩一歩前に出した。足を踏み出すたび両手に提げた袋の重みに身体を揺らされて右に左にとよろめく。


(どうしてこんなに袋が重いのだっけ?)


地面を見つめながら自分の足取りを重くする左右の買い物袋に思いを馳せる。


何を買ったっけ?砂糖にリキュールにオリーブ油に砂糖に清酒に砂糖に…。


段々考えもまとまらず、この暑さで脳細胞が死んでいる気すらしてくる。そして目の前の光景がぐにゃりとおおきくゆがんで見えた。


途端にがくりと足から力が抜けるのがわかるが、両手に重りを下げている状態では前に手を出せない。


重力に抗う力もなくアベルは地面に倒れこむ。人々の足が自分から一歩足を引くのが見えた。


(あぁ、地面も熱いや。)


肌に当たる地面の熱を感じるが、その感覚も、周りの喧騒も、瞼を貫く日光の明るさも遠のいていく。


その喧騒の中に「アベル」と自分を呼ぶ声が聞こえた気がするが、確かめる間もなくアベルはそのまま意識を失った。




アベルは夢を見た。どこからか既視感のある声が聞こえる。女性のすすり泣く声だ。


「アベル、ごめんね。」


視界は真っ暗で何も見えない。自分が立ってるのか座ってるのか、五感のうち聴覚以外使いものにならない。


「ごめんね。アベル、愛しているわ。」


あなたは誰?


知らないはずの声なのにどこか懐かしく感じる。

聞いていたいのに、酷く悲しく苦しげな彼女の声を聞いているとこっちまで心臓をつかまれたみたいに苦しくなる。


「どうか、どうか、ーー。」


(え?)


最後だけ、彼女が何と言ったのか聞き取れなかった。


大事なことを彼女は言っていた気がする。すがる声で何と言った?彼女の最後の望みは何?


疑問が声になる前にアベルは夢から醒めた。

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