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ダブルリング  作者: 理湖
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アベル(アベル視点)

馬鈴薯を掌で翫びつつ、ナイフでその皮をリボンの様に剥いていく。剥き終わった白い素肌の馬鈴薯はアクを抜くため水の張った鍋の中にころんと放してやる。


ほぅと一息吐くと数日前まで白かったはずの息が透明化している。気づけば手のかじかみも最近は感じない気もする。15度めの春がやってきたのが感じられるが、それですら毎年恒例であり、何の感慨も湧かなくなってしまった。


「アベル!芋は?!」


少し離れたところで自分、というより芋を呼ぶ声がする。

それには答えず痛む右膝に鞭打って馬鈴薯の入った鍋を両手で抱え上げる。そのままこの調理場の主の元へ運ぶ。


「あぁ、ご苦労さん。そこ置いといて。こっちはもういいからそろそろ馬の世話でもしておいで。」


さばさばした姉御肌の料理人は目の前のフライパンを見つめたまま自分を気遣ってくれる。

見てないのはわかっているが、こくりと1つ頷いて鍋を彼女の足元にゆっくりと置き調理場を後にした。


僕の名前はアベル。物心ついた頃からバトラー家のお屋敷の使用人をしている。この屋敷の主の名はウィリアム・ルイス・バトラー。雇用主でもあるため、旦那様と呼んでいる。


バトラー家は代々続く歴史の古い貴族だ。本来なら歴史深ければそれだけ高い地位を拝命するのだが、わけあってこの家は中階級にとどまっている。


旦那様の仕事は国立図書館の蔵書管理をの副長をしている。その息子ディエゴは現在19歳で今年騎士隊に入隊したばかりだ。この屋敷の主人はこの2人だけだ。バトラー夫人は体が弱く、ディエゴを産んで間もなく亡くなったらしい。


僕ら使用人の毎日は決まっている。僕は毎朝5時に起きて調理場で食材を切り分ける手伝いをする。屋敷の主人は2人だが屋敷が大きいため調理場の料理人も料理をしない時間帯に我々の管轄する仕事を手伝ってくれる。そのかわり、彼らの忙しい時には僕も彼らの仕事に手を貸す事になっている。使用人の面子は数年毎に変わるがお互いにギブアンドテイクなのでこの仕事形態は引き継いでもらっている。


料理人でないが昔から手伝っていたおかげで物心ついた頃から握っているナイフは慣れたものだ。


7時頃には旦那様やディエゴ様の靴や杖を磨く。二人がそれぞれの職場に出発すると、部屋の掃除をしたり、飼っている馬の世話をしたりとやることは山積みだ。そしてまた晩御飯の準備をしているうちに二人は帰宅し、食事をとる。その間、風呂の準備をしたり寝具を整えたりする。


もちろん全てを一人でしてるわけでなく、その他に4人の住み込みの使用人がいるが、2人は料理人、1人は庭師、もう1人は自分と同じような仕事をする従者であるが、この屋敷に雇われてからまだ日が浅い。


自分がより負担を負うのは当然で、毎日寝る頃にはへとへとだ。


馬小屋に向かって廊下を早歩きで歩いていると、角を曲がった方向からコツコツと響く足音が徐々に大きくなってくるのが聞こえてきた。アベルはその角の手前でピタリと足を止め、自分と同じ丈ほどある大きな振り子時計の陰に隠れる。


これはディエゴの足音だ。いつもより早いがこの時間なら食事のため食堂に向かっているところだろう。


旦那様の足音も同じようにコツコツと響くが、細身なので軽い音がする。ディエゴは騎士としてふさわしいがたいの良さなので少し重く響くコツコツなのだ。使用人はゆっくり歩くようなことはほとんどなく、早歩きで履く靴も安物の布生地なのであまり響く音はしないので聞き分けられる。


予想通り足音の主はディエゴであった。彼はこちらに振り向くことはなくそのまま真っ直ぐ廊下を進んでいった。時計の陰からそれを確認し、ディエゴが来た方向へ足を進める。


雇われの身として屋敷の住人に対して姿を隠すのはどうかと思うが、これには訳がある。


ディエゴはアベルを見かけるとばかだのうすのろだのと罵倒し、虫の居所が悪いと憂さ晴らしに剣術の相手をさせられるのだ。ディエゴは幼少期から剣術の稽古を受けている一方、アベルは木製の剣すらまともに振ることができない有様だ。しかし小柄な事が幸いして避けるのは得意になった。だが面倒なことに避けると彼は癇癪を起こしてなかなか攻撃を止めてくれないので適当なところで攻撃を受け、大袈裟に痛がるのがいい。それを見た彼は大抵満足して自分の部屋に帰っていく。


彼にも仕事があるので朝から相手をさせられることはないが、こちらは今だって仕事の真っ最中で彼の罵倒のためにわざわざ足を止めて礼をするほど暇ではない。


だが、ディエゴはまだいいほうだ。


アベルがウイリアム氏とディエゴの2人の足音に気をくばるのはそのためだ。ウイリアム氏の虫の居所が悪いときに屋敷内でうっかり顔を合わせようものなら場所がどこであれ暴力を振るわれる。


最近顔を合わせたのは2日前で、運悪く彼の機嫌が悪く目が合った途端に顔を平手打ちされた。今でも踏みつけられた右足の膝下が痣になっていて痛い。


彼の体格はどちらかというと痩躯であまり威力はないが、彼の機嫌が悪ければ気が収まるまでとことん折檻される。


僕を痛めつける間、旦那様は何も言わない。僕も何も言わない。


たまに息の漏れたような音が口から零れるが、言葉として意味をなす声は一言もない。物と物とがぶつかる音と時折漏れる互いの息のみ。


泣いたりしようものならもっと酷い目にあう。それがわからなかった幼い頃は酷くなる暴力に耐え切れず獣のように喚き、その度に口に布を詰められ暖炉に焚べていた焼けた鉄槌を背中に押し当てられ、その激痛に失神を繰り返した。


ある日、虐待がエスカレートした末に、ウイリアム氏は手に持っていた鉄の棒でアベルの首を強く打ったことがあった。


そのまま呼吸ができなくなり一時気を失ったアベルが目を覚ました時、声が出なくなっていた。もちろん医者に診てもらうことはなかったが、衝撃で首の構造物の何かが壊れたのだろうことは想像できた。


元々喜怒哀楽の感情に乏しい自分はその事を悲しいと思わなかった。


ただ自分の声が出なくなったという事実が自分の性質の1つに加わったのだとアベルは理解した。始めは不便だったが、アベルには不思議な力があった。手をかざしただけで思った事を青い光を纏う文字として対象物に浮かべることができた。


これはフォリエというものらしい。


5年前まで同じ屋敷で働いていた白髭の老爺がアベルに教えてくれたのだった。この世界にはこん不思議な力を持つ人がたくさんいるそうだ。ディエゴにはしょうもないと一笑されたが、アベルにとってこの力はちょうどよかった。スケッチブックを持ってそこに手をかざせば伝えたい事を示せる。初対面の人には驚かれるものの会話に不自由はなかった。



パンと馬鈴薯のスープとサラダというささやかなお昼ご飯を食べ、今日残っている仕事について考える。


今日は見習いにスーツのアイロンのかけ方を教えようか、それとも馬の世話の仕方を教えようか。教えることはたくさんあるが、その使用人は文字を読むことができないため仕事を教えるのも一苦労である。こういう時くらいはやはり声が出せる方が便利だなぁと思ったりするが、出ないものは仕方がない。1つ1つ身振り手振りで見せ、手順やポイントを掴んでもらうしかない。


自分も使用人だが自分の他に先に働いていた老爺の使用人が面倒見が良く、フォリエのこともだが、文字の読み書きを教えてくれたのだ。優しく、微笑んで自分に話しかける彼の存在は自分の人生において稀で、居心地よく思っていた。


そんな彼が1年前に流行病で亡くなった時はあまりに突然だった。


今でも彼は好々爺といった笑顔でひょっこり顔を出しそうな気さえする。やはり彼はこの屋敷にいないのだと思うと身体の真ん中にぽっかり穴が開いた感じがするが、それが何かはわからない。それに答えてくれるその人はこの屋敷にはいないし、他の使用人もそこまで交流があるわけでもないので聞く気にもなれない。


けれど、最近この感覚を忘れさせてくれる存在に出会った。


それはたった一枚の絵画だった。


この屋敷には絵が一枚もない。ウイリアム氏は肖像画が好きでなく、先代から今の旦那様に家名が継がれた時に自らの手で屋敷に飾られていた全ての絵を焼いてしまったらしい。それを教えてくれたのもその老爺だったが、彼が亡くなってからは彼の仕事は自分の仕事になり、ウイリアム氏の部屋の掃除も仰せつかることになった。


ある日、アベルがウイリアム氏の部屋を掃除していて、大きな壁掛け鏡を掃除しようと外した際に、その鏡の木の枠が絵の額縁のようになっていることに気づいた。背面を見るとやはり留め具があり外してみると、鏡は薄い板のような物で更に背面の板との間に一枚の絵が挟まれていた。その絵には女性が描かれていた。少し幼さの残る淑女で15歳より少し上くらいだろうか。女性は美しいというより可愛く微笑んでいた。髪は軽いウェーブのかかったブロンド。瞳の色は透き通るような青色。驚いたことに自分と同じ色だった。


そのことに胸が震えた。


とくりと初めて感じる心臓の高鳴りが怖くてその時はすぐにその絵を元に戻し、今見たものを隠すように鏡を最初のように壁にかけた。が、仕事をしている最中でも絵の女性のことを思い出して気にかかってしょうがなかった。それから2日ほどしてまた鏡をはずし、絵を眺めると心が落ち着いた。


他に興味も好物もない自分にとって、旦那様の留守中にこっそりとその絵の女性に会いに行くことは密かな楽しみになっていた。


どんな目にあっても彼女の絵を見ると心が穏やかになり、面白みのないこの日々を繰り返すのも悪くないと思えた。


そう思っていた自分の人生を変える人物がこの屋敷に訪れたのはいつもと変わらない春の、とある一夜だった。

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