連行(ネロ視点)
開け放った窓から吹き込む春の爽やかな風で目が覚めた。
窓から日の光が差し込んでいる。いつもと変わらぬ朝が来た。
ネロが目覚めたのは朝とは言えど、太陽が空の頂上に至る少し前頃。健全で全うな19歳なら外で商売をするなり、騎士としてこのアトランティス王国に仕えるなりして働く年頃だ。だが、ネロは絶賛ニートを満喫中であり、目が覚めたのが昼前だろうと夜だろうと彼を叱咤する者はない。
「ふわぁ。」
1つ、大きく欠伸をする。
春の気温とやわらかい日差しに、うつらうつらし始める。再び瞼がおりはじめ、このまま二度寝といこうかと布団の中でごろりと寝返りを打つと、ふと、いつもと変わらない光景に一部だけ違和感を感じた。
(ん?手紙?)
ぱちくりと瞬きをした。玄関のドアポストに白い手紙が挟まっているのが見える。
自分に手紙が来るのは珍しい。
変わらない毎日に少し飽きかけていたところだ。こんなことを言うと大家さんから早く働けと言われそうだが…。まぁまぁ。
退屈しのぎを見つけた彼はよろよろと布団から立ち上がり頭の冴えないままの情けない足取りで、ドアに挟まった手紙を抜き取る。
手紙を抜いたときにひらひらと薄い紙が舞い落ちた。どうやら手紙の陰になっていて見えなかったらしい。
「よっこらせと。」
年寄りくさい掛け声で紙を拾う。
そういえば市営のバギーから降りるときにこの掛け声言ったら「兄さん、こんな若い歳でよっこらせって年寄りくさいわぁ。」と運転手に気の毒そうな目をして言われたのを思い出して何だか惨めな気持ちがぶり返した。
いいんだよ。見た目は大人、心はすでに隠居してんだ!
頭の中でおじさんに意味のないツッコミを入れつつ、紙を見ると一面真っ白。
裏を返すと、【壺:25万、フェールの絵画:300万、絨毯200万・・・・】
よくよく見てみると、それは請求書だった。
「げ!あいつ、こんな額俺が払えないって知ってるくせにふっかけてきやがった!確かに壊したのは俺だけど、弁償って!何桁だよ!?一、十、百、千、万、十万、百万…。」
これは、あれだ、あれしかない。
「夜逃げしかねぇ。てか、もう今すぐ逃げるしかねぇ!あいつのことだからすぐにここに誰か向かわせててもおかしくない!」
(とりあえずここをすぐ出るとして、そういやもう一枚のこっちの手紙は何だ?)
まだ封を開けていない手紙の内容は気になるが、一刻も早くここを出なければ。この紙の送り主は指をぱちんと鳴らすだけで自分を連行してゆけるだけの権力を持っている。いつこの紙を持ってきたかは知らないが、まだ間に合うかも。
急いでリュックに荷をまとめ、背に背負う。靴を履くまでに5分とかからなかった。もともとここは仮住まいだったので、荷物は少なかった。
靴のかかとを踏み潰しながら駆けだす勢いに任せて、ガチャと玄関の扉を開けると、そこにはきらびやかな銀色に輝く鎧を身に付けた8人の騎士が待ち構えていた。
騎士隊はいくつかあるが、各隊によって人数も性質も違う。その特異性に見合ったエンブレムが与えられており、2か月前に新皇帝が誕生したときに騎士隊が設立した。目の前の騎士隊の身に付けている肩当てなどには『龍』のシンボルが施されている。雄々しい龍の模様は15の隊の中でも皇帝が最も信頼を置く第一騎士隊で名をはせていた。それぞれマークに意味はあるらしいがよくは覚えていない。
ともかく、その第一騎士隊が出動するのは皇帝の勅命があったときくらいだ。そんな部隊がこんな街中に出没するなんて過去2か月なかった。あるとすれば極悪人が潜んでいるときくらいじゃないか?
つまり第一騎士隊は大事件を意味する。
最悪な状況に棒立ちになっていたネロは、加えて見知った顔を見つけ顔を引きつらせた。
「おまえ、ヨハン!」
「ネロ様、おや、急いで荷物を持ってどこかお出かけですか?申し訳ありませんが、今日の予定はすべてキャンセルしてくださいねー。これは、陛下の勅命なんですよ。ってことで、真っ直ぐ宮殿までご同行願いますー。逃げないで下さいよ?」
相変わらず何を考えているのかわからないしまりのない笑顔でゆるゆると話すこのピンク頭の男は第一騎士隊の隊長ヨハン。彼は皇帝の補佐も務めており、皇帝の右腕とも称されるほどの力を持つ。彼とは故あって顔見知りである。だが断じて仲良しではない。断じて。
(こいつが来たってことは、完全に逃げ遅れちまった。)
そんな彼らを少し遠巻きに眺める人々の姿が見える。
さっきも言ったが第一騎士隊はよほどのことがない限り出動しない。
第一騎士隊から逃げ出すそぶりを見せる時点で俺は死刑台への切符を切られることになる。そんでもって勅命を拒否することはイコール死を意味する。今の皇帝になって死刑になった奴はいないと聞くが、少し前までそれは日常茶飯事で、民衆にも恐怖の記憶としてしみついている。ヨハンが『勅命』とわざわざこの場で言ったのは拒否権を奪うためだ。第一騎士隊が迎えにきた上に、勅命に背くような行動をとれば、俺は自ら自分を悪人だと白状しているようなものだ。
そしてその光景を周囲の人々に目撃されると俺は今日をもって国の指名手配犯の欄に名前を連ねることになる。
ここにおいて、俺が何もやってない、心当たりすらないという真実はどうでもいい。近所のおばちゃん達にとっては平凡な毎日に刺激を与えてくれる話題は好物なのだ。興奮と熱を伴って伝えられていく伝言ゲームの果てに自分はこの国の大犯罪者になっているに違いない。
やれやれと、ネロは両の手を頭の高さほどまであげ、投降、いや同行の意を示す。これではまるで本当に確保されるみたいで体は悪いが仕方がない。
「わかったよ。逃げるつもりなんてないからこの見世物みたいな状況をどうにかしてくれ!こんな大勢に注目されてお兄さんもうお嫁にいけない!」
「大丈夫ですよー。その時は陛下の元で死ぬまでこき使ってさしあげますから。」
はははと笑顔で不気味なことを言う。最後は茶化していってみたものの、ヨハンの返答に背筋が凍って冗談を言う気も失せた。
ヨハンはげんなりした顔を浮かべるネロからちらりと挙げられた彼の手に握られたままの手紙に目をやった。
「手紙は…その様子ではまだ読んでないみたいですね。まー、その手紙は直接陛下からうかがえると思うので気にしなくていいですよ。」
(そんな適当でいいの?)
そう思ったのは手紙の扱いではなくヨハンの上司の扱いに対してだ。
そうしてとぼとぼとネロはヨハンと7人の騎士らとともに宮殿に向かうことになった。
その日の昼ごろから、とあるアパートで空前絶後の極悪人が騎士隊に連行されたという噂が町の一角で囁かれたが、夕刻には別の噂でもちきりになるのだった。