手紙(エピローグ)
本編と少し離れた時系の話になるので、次話から読んでいただいても大丈夫です!
(ここを訪れるのは何年振りだろうか。)
深い森の中、ひっそりと建つ小屋を眺めて感慨に浸る。周囲に生い茂る木々は記憶と相違なく、蔦や木の葉が優しく小屋を包み込んでいる。いつ建てられたのかは知らないが、樵が使っていた小屋だと聞いたことがある。この森は日の差し込む爽やかな印象を感じる一方で、国の人々は神隠しの森と畏怖していた。そのため、近隣の人々も滅多に近づかない場所だった。しかし、神隠しなど信じなかった自分たちにとってはむしろ隠れ家として都合がよかった。
この小屋を使っていた人間は自分のほかにもう一人いた。ここを基地として使っていたのは遠い昔だが、今にも彼がこの扉を開き出てくるんじゃないかと思う。
あの日ほぼ毎日目にしていた光景が今となっては再現されることがないことを自分は痛いほど知っている。
苔のはりついた木製の戸を震える手でそっと開くと、隙間の空いた屋根からきらきらと光が差し込んでいて、中は思ったより明るく奥まで見通せた。小屋の中はかつて暮らしていた頃のまま、旅の道具が机の上や床に雑多に転がっている。いつか見た森の地図が広げっぱなしだ。
次の日もこの小屋に来ることが当たり前だった日常が、予想外に絶たれてしまったことが思い出されてギシリと奥歯をかみしめる。
外から見た小屋は何一つ変わっていないように見えたが、ほこりの積もった机やランプ、雨漏りで腐った穴あきの床を見ると、この空間だけが年をとった感じがした。
15年間おそらく誰も立ち入らなかったのだろう。自分たちの思い出が誰にも侵されなかった痕跡をうれしく思うと同時に、楽しかった日々が時を止めてしまったことが悲しく感じられて、やるせない気持ちになる。
(手紙を、探さなきゃ。)
目を閉じ、ゆるゆると首を小さく左右に振る。
自分はここにあるものを探しに来た。
そのためだけに、自分は何年も遠ざかっていた避けていたといっても過言ではないこの場所に来た。
今まで来なかったのは、思い出の場所であると同時に、ここは自分が死なせてしまった大切な人を思い出す場所だったから。
(ネロ…。)
この世界では珍しいくらい真黒な髪をたなびかせながら快活に笑う彼を思い出して、胸がきしむように痛みを感じる。
(今は、手紙を探さなきゃ。)
自分の中で今しなければならないことをはっきりさせる。目的を明確にすることで怠惰していた理性が働く。
次第にきりきりとした痛みが遠のいていく。
そうやって自分は今まで気持ちを抑え込んできた。
気持ちを切り離すことだけは上手になった。自慢できることではないが、その術を身につけなければ生きていけなかった。
人からネロの残した手紙の存在を聞いた。しかもその手紙は自分宛だと言う。
「まさか」と始めは信じなかった。だれが他人の過去の事情を、しかも死んだ人間しか知らないようなことを知っているといわれて信じられるだろうか?自分もその口である。
しかし、話を聞くうちに信憑性が増し、いよいよその存在を確かめなければ気が済まなくなった。
故人の自分宛の最期のメッセージは受け取る義務があるように思えたし、なにより手紙に何が書かれているのか知りたかった。
細く長く息を吐き出し、目を開く。
床を踏み壊さないように気をつけながら、ゆっくりと目的の場所まで歩みを進める。足元からみしりと音が響く。
もともと広くはない小屋の隅にたどり着くのはすぐだった。
ここにあるはず。
けれど、そこには何もない。
謎かけでもなんでもなく、自分は手紙の在処を教えられていた。この小屋の南西寄りの角だと。
その場所がこの場所だが、もともと何かを置いていた記憶もなく、床に積もった埃しかない。
誰かに持ち去られた可能性がよぎり、慌てて自分が歩いてきた足跡を確認すると、床の埃に着いた足跡は自分の物だけだったことが分かり安堵する。そうだ、この小屋は思い出のまま他人にも本人たちにも侵されなかった場所なのだ。
視線を戻し、角の床をよく見ると、壁と境界をなす床の一辺にはかすかに隙間がある。ふわりと舞う埃に目もくれず、しゃがみこんで床を叩いていくと、隅の床だけ違う音がする。下が空間になっているらしい軽い音。隙間に爪をひっかけて持ち上げてみると、かぱりと容易に一枚の板が床から外れた。中にはぷっくりと膨らんだ封筒と5冊のノートがある。水に濡れないようにと配慮したのか、それらは土埃で所々汚れたビニール製の袋に入っていた。
こんな仕掛けがあるなんてこの小屋を使っていた頃には考えもしなかった。
(相変わらず、ちゃっかりしてる。)
この仕掛けを施した人物を思い出し、張りつめていた心が微かに和らいだ。
再び彼の悪戯めいた笑顔が脳裏に浮かぶ。
手持ちのナイフで袋を裂くと、中から現れた封筒だけは時間が止まっていたかのように色褪せず、その白さに息を呑んだ。手に取り観察すると、封筒の口は糊付けされてしっかり封がされているが、切手が貼られていない。宛名にはやはり自分の名前が、差出人の欄には“ネロ”と、書かれてある。
どくりと心臓が跳ねる。
恐る恐るナイフで封を切り、破らないように手紙をゆっくり取り出す。手紙を開こうとして、自分の手が震えているのに気づいた。
今まで何人もの命を奪うのに抵抗しなかった身体が初めて思うように動かない。
(これ以上最悪な結末なんてない。)
全て受け止めるつもりで来たのだ。口の中のつばを飲み込み、ゆっくりと手紙を開く。
そこにはみっちりと、殴り書きの字は蚯蚓のようにうねっていた。間違えたのか、所々ぐしゃぐしゃに塗りつぶしてある。
(ネロらしい…。)
一つ一つに彼の残滓を感じ、目を細める。
一気に読んでしまうとショックで心臓が止まってしまいそうだから、咀嚼するようにゆっくり、ゆっくりと文字を追う。
『ごめんな。びっくりしたよな。俺、この若さで死んじゃうんだもんな。』
と、この始まり文句にびっくりした。目をそらすまいと決めていた現実というべき手紙から不覚にも目をそらしてしまった。
自分の死を予想していた?
そしてノリが軽い。ネロらしいと言えばネロらしいか・・・。
思わぬ障害にぶつかりつつも先ほどより気持ちは落ち着いて手紙に向かった。
『でも俺はこの結末で満足してる。強がりじゃねえよ?もっと生きたかったとか、金持ちになりたかったとか、ハーレムしたかったとか、そんな胸のときめかない人生に心残りは一切ない!いや、正直ハーレムだけはちょっとしたかったこともなくはない!
それはさておき、本当にこれ以上の望みなんてないんだ。
唯一未練があるとすれば、それは‘お前’のことだ。お前のことだから、きっと自分のせいで俺が死んだと思って苦しんでるんじゃいないか?
違うからな。これは俺が選んだ未来だ。お前が気に病むことは何もない。
って言っても無駄なんだろうなー。
そこでお前のために人生の分かれ道を用意した。
Q.ネロに対して罪悪感があって自分が幸せになるなんてとてもとても、なんて思ってる?
→YES→①へ
→NO→②へ
①を選んだあなた!俺に罪悪感とか、そんなものを持ってるようなら、手紙の続きを読みなさい。お前にはすべてを知る権利がある。これを読めば、俺がお前のことをこれっぽっちも恨んでないことがわかると思う。それで、少しはお前が救われることを祈る。
②を選んだあなた!罪悪感があってもなくても、もし今幸せに暮らしているなら俺から言うことは何もない!お前が幸せなら、俺にとってもこれ以上の幸せはないんだ。本望だ。だから、この後、いろいろ書いてるけど、ここでハッピーエンド!で、この手紙の続きは読むな。読まずに、置いてったノートとこの手紙を燃やしてくれ。
①を先に読んじまうとどうしても続きが気になるよな。でもな、誰にでも知られたくない秘密や性癖の一つや二つあるだろう。いくら気になっても好奇心で人の秘密を知って得することなんてないのが世の常だ。秘密を知られる方も、うっかり歯にはさかった食べ物の欠片を指摘されるような気恥ずかしさを覚えるんだ。エロ本の趣向を知られてしまうような気まずさがあるんだ。― ちょっと違うか?
何はともあれ、お互いにここで訣別しよう。お前だって俺のエロ本の趣向なんて知りたくないだろう。だけど、その前に、一言だけ、お前に伝えたいことがある。本当は直接お前にずっとず-っと言いたかった。
ずっと傍にいるって言ったのに、お前ひとり残して逝ってごめん。
どうか、この手紙がここで終わることを祈る。 ネロより』
予想外の内容に一瞬二瞬、息を忘れた。
遺書のような始まりに驚いたのは束の間だった。その後の心理テストまがいの展開には完全に置いてきぼりをくらった。大体、生来楽観的とはいえ遺書の中身までここまでおちゃらけているなんてあっていいのか。
おかげで先ほどまでの鬱々としていた気持ちまで置いてきてしまった。
彼の、にやりとした顔が思い出される。あの顔に何度不貞腐れたことか。
少しは彼の思考に少しでも近づけたのかと思ったが、甘かった。何度でも予想の斜め上を行く彼は、この先もきっと自分が予想だにしなかった展開を用意しているのだろう。
あっけにとられている間に爆走を忘れていた心臓が再び激しく脈打ち始める。
自分が楽になるためではない。心理テストで①を選んだからだと、誰に言うでもなく心の中で言い訳をする。
自分の子の性格を知ったうえでこの形式をとったのではないかと勘繰ってしまうが、どこか悟いところのあるネロならそんなこともあるかもしれない。
そう、①を選んだから自分は手紙の続きを読まなきゃいけない。
救われるには自分は罪を重ねすぎた。
一度、自分を戒める意味を込め過去を思い返す必要がある。
これは自分の人生でもあり、彼の人生でもあるのだから。