女王
女王に即位してからというもの、私は手探りで政治を進めた。もちろん良い政治をするわけがない。この国を腐敗させるための政治だ。
私は全てが憎かった。この国そのものが憎かった。私は憎悪で生きているも同然だった。
まずは魔導師を国から追放した。私の呪いに勘づかれては全てが水の泡と化すからだ。魔導師追放は思ったよりも簡単にいった。それで私はコツを掴んだ。次々と私は私の思う通りの政治を進めた。
次に税を上げた。国そのものが私が憎むものなのだから、民の嘆きなど耳に入らなかった。いやむしろ煩わしいものとしてでなく、心地良いものとして楽しんでいたのかもしれぬ。
そしてその金で貴族との交流という建前の元に舞踏会を幾度か開いた。そこで使い物にならないゴミのような貴族に何人か目を付けた。放逐するためではない。使うためだ。国を腐らせるために。
私に後ろ楯は何もない。表で私を支持しているように見える貴族達も、裏で何を思っているか、知る術はない。
今はまだあちらこちらの貴族を衝突させて自滅へと導いているが、それもいずれ限界が来る。
私には絶対の味方が必要だ。私の言うことだけを聞く、従順な者が。それこそ死ねと命じれば躊躇いなく首を差し出すような者が、だ。
そのようなことを考えていた折に私は町へと降りた。憎悪に染まった私の瞳にはこの国の全てが滅ぼすべきものとして映らなかったが、その中で私は目的のものを見つけた。
馬車を道に停まらせて、改めてその浮浪児を観察した。とにかくみすぼらしい身なりのそれは通常であれば追い払いたくなるものだった。しかし私はそれにひどく惹かれた。
私は御者に命じた。
「あれが欲しいわ」
「は? 女王様、しかしあれは……」
「私は、あれが欲しいと言っているのよ」
掃き溜めで生きる姿が、かつての私を目の前にしているように見えた。
拾ったものは私の召使いにした。召使いはよく働いた。物分かりもよく、私の望んだように、私にだけ従順であったし、いい拾い物をしたものだと思った。
私は常に召使いを側に置くようになった。多少言葉が足らずとも、召使いは私の要求を理解し、満たそうと努力した。これまで持ち得なかった真の従者を手に入れて私は酔いしれていた。
時々召使いが部屋に飾る花の香りが私は好きだった。その香りに包まれて読書をすることが私の習慣だった。それはとても心が落ち着く時間だった。
ある日、ある一冊の本を読み終えた。もうこれ以上読み込む必要がなくなった。ふと視線を上げるとそこにはいつものように召使いがいたので、気紛れにその本を与えた。すると召使いはすぐに賢くなった。無理に時間を作って勉強をしたことは目の下のクマから容易にわかった。
「必死なものね」
嘲ると、召し使いははにかんだ。
「女王様のお役に立ちたいですから。僕は女王様のためだけにありますから」
その瞬間、私の心の中の何かが割れて壊れた。
「下がってちょうだい……」
「え?」
「一人になりたいのよ。早く下がって」
狼狽しながらも、召使いは素直に部屋から退出した。私はふらふらと寝台に歩み寄って、今朝召使いが取り替えたばかりのシーツに倒れ伏せた。
寝台の付近にまでもあの花の香りがする。先ほどまで飲んでいたアフタヌーンティーは召使いが淹れたものだった。私の身の回りにはどこにでも召使いの痕跡がある。けれどそれは嫌なものではなく、むしろもっと、と渇望するものだった。
途端、自分がとても汚らわしいものに思えて仕方がなかった。所詮私の中にはあの男の血が流れているのだ。あの色狂いの男の血が!
「うわぁあああああ!!」
私は枕に顔を押し付けて泣いた。母を亡くした時以上に泣き喚いた。こうして私が嘆いた時慰めるのは召使いの役目であるのに、今回に限りそれが許されなかった。
私はこの世を恨んだ。あの男に復讐を誓った時以上のものが私の心を蝕んだ。
私は召使いを愛してしまった。
次の日私は再びあの魔女の元を訪れた。また来たのかい、と魔女は言ったが、私を追い払うようなことはしなかった。この魔女は私に対し親身になるもので、魔女らしからぬ行為が私は気に入っていた。
「それで、今度は一体何の用なんだい? また別の呪いが知りたいのかい?」
「魔女の秘薬が欲しいの」
「何だって!?」
魔女は手に持っていた薬草を床に落とした。
「あれが何なのか知っているのかい!?」
「知っているわ」
「知っていて……誰に使うつもりだ!?」
「私が飲むのよ」
そう言うと魔女は絶句した。
「だめだだめだ。あんなものは渡せない」
「どうしても欲しいのよ、私は」
「あんたはまだ若い。やり直せるチャンスがあるんじゃないのか?」
優しく諭す魔女の姿を、私はおかしなものと捉えた。魔女が人を気に掛けるだなんて、変なものだ。しかし私も引き下がれない。
「どうしてもくれないと言うのなら、軍を向かわせるわよ。この森を焼き払うわ」
なんてことだ。魔女は呆然と呟いた。
私が命令すれば、あの従順な召使いは身も心も私に差し出すだろう。その先に待ち構えているものは空虚なものでしかないと、また私は知っていた。
早くと机を指で叩いて催促した私に、魔女はのろのろとした動きで、ある薬瓶を取り出した。色だけは美しく、しかしそれがどれほど危険なものかを語っている。
「やっぱり考え直した方が」
ここまで来てまだ説得しようとする魔女の手から私は薬瓶を奪い取り、躊躇なくその秘薬を飲み干した。なんてことだ。魔女はまた呟いた。
私は生涯子供を孕めぬ体になった。
決して私の心を召使いに明かすことができずとも、彼は唯一私のものであることに違いなかった。魔女の秘薬を飲んだ後、私はこれまでと同じように日々を過ごした。もし私に幸せというものが存在するのならば、それは召使いの隣にあるのだろう、と馬鹿げたことまで考えた。
そうして幾数か月後、宰相が私に縁談を持ってきた。ある絵姿も携えてだ。
「こちらは隣国の王弟殿下でいらっしゃいます。眉目も麗しゅう、女王様のお眼鏡に敵うでしょう。いかがですかな?」
あの復讐を誓った日以来肌身離さず持ち歩いているナイフで、その王弟とやらの絵姿を切り破いてしまいたかった。
この貴族どもはわかっていたのだ。あの男の正体を。賢王だなんだともてはやしておきながら、その実好色めいた者であることを知っていた。それを見て見ぬふりを貫き通してきたのだ! こんな下劣な輩を許せようか。いや、許せるはずがない。
私の心はすでにある一人に傾いていた。それが今頃別の誰かの方へ向くはずがない。あの男と違い、私は彼のみに心を誓っている。
私に対する侮辱だ。いやそれ以上に復讐心が燃え盛った。
「宰相の首を斬りなさい。口答えは許さなくてよ」
私はそう言いさえすればいい。




