第7話
小柄な少年が草原を駆ける。銀色の髪に蒼い瞳、幽だ。
彼は人間ではない速度で現世の山を駆け下りていく。
彼の目的地は…
「…ご先祖様繋がりのやつを集めてるってとこか?」
「ご名答です」
廻と名乗った夢魔は感情の読めない頬笑みを浮かべる。
「それで、僕たちに協力していただけますか?」
「…まず瑠禍に会わせろ、あんたに協力するかはあいつと話して決める」
相手の質問の答えを保留する返答をする。
それに、確信があるわけではないが…こいつの言葉にはどこか嘘を感じる。
「…面倒な方ですね、あなたには詐欺の類いも手を焼くことでしょう」
「どういう意味だよ」
廻はそれ以上口を開くことなく、俺をどこかに案内する。
扉を抜けた先には血臭が広がっていた。
「おや、見張りにおいていた幻獣を皆殺しにしましたか」
血の海の中に瑠禍が立っている。妖緋眼を爛々と光らせ、さながら殺戮に飢えた猛獣のようだ。
「…殺す」
静かな忠告だった。だが、俺の本能は警笛をならしている。
「血気盛んで困ったものだ」
廻はそんな殺気など微風以下とでもいうように悠然と進んでいく。
「大人しくしていてもらいましょう」
そう言うと、廻は瞬時に瑠禍を狙って移動する。咄嗟に瑠禍の前に飛び出した俺の胸元に、廻の腕が抉るように突き刺さる。
「かはっ…!」
視界が真紅に染まるほどの激痛。
視界が暗転。
「おや、自分から飛び込んでくるとは」
尽が夢魔野郎の手刀に貫かれている。…心臓を破壊されればさしもの妖精も死ぬだろう。
脳に冷静さが戻ってくる。
「ヘタレ妖精が自殺?」
「自分を庇った者にも冷酷ですね、生き血を啜る化け物なわけです」
夢魔野郎が僕の血族を貶める。が、脳がやけに冷静だ。
「言いたいことはそれだけ?」
「おや、僕の話を聞いてくれる気になったんですか」
夢魔野郎が気持ちの悪い笑みを浮かべる。
「遺言なら聞いてあげる」
殺気を放つが、相手は肩を竦めて困ったように笑うだけだ。手刀から解放された尽はその場に倒れる。
「僕はあなた方の敵ではないと、何度言えばわかってもらえるのでしょうか」
「たった今僕の連れを殺そうとしたやつが言えること?」
「彼が藪の蛇をつついただけでしょう」
夢魔野郎は胸糞悪い微笑みを浮かべるだけだ。
「…それで、言いたいことってのは?」
いい加減こいつとの馴れ合いも飽きてきた。夢魔は気持ち悪いほどの業界スマイルを浮かべる。
「ようやく僕の話を聞いてくれる気になったんですね」
「黙れ、必要のないことを喋るな」
「おや、これは怖い怖い」
夢魔野郎は困ったように笑い、一瞬後には表情を消した。
「僕の望みはただひとつ、世界を知りたい、それだけです」
「…は?」
突然の突飛な発言に間抜けな声が出る。いきなり何言ってんのコイツ?
「その一貫で、今僕たちが関わっている厄介事に手を貸していただきたいのですが」
「ふぅん」
厄介事ねぇ、刕がなんて言うかな。
「僕の情報網では“世界の敵”と名乗る集団が現れたと聞きます」
「…」
僕の電子網にも少し引っ掛かっていた情報だ。だがそれが何だというのか。
「彼らが追っているものがこれまた世界の敵らしくて」
「…意味わかんないんだけど」
「どうやら僕が持っているこのようなカードを欲しているようでね」
夢魔野郎はそう言うと、先ほど尽を貫いた手でカードを出す。描かれていたのはⅩⅣの記号、そしてタロットの節制の絵柄だ。
「タロットカード…しかも曰く付きのか」
「さすが影椿、博識なことで」
長々とコイツと話したくない。
「で、だから何?」
「要はこのカードを集めるのを手伝っていただきたいのです。もちろん悪用する気はございません」
―どうにもきな臭い。コイツの言葉には嘘を感じる。
「見返りは?」
「あなたも知らない耳寄りな情報で」
「ふざけすぎでしょ、大概にしなよ」
腰の紫苑に手をかけようとするが、手は何も掴めなかった。
「危険分子を見過ごすとお思いですか?武器はすべて没収しましたよ」
話している隙を狙い、鳩尾めがけた渾身の膝蹴りを放つ。が、やつは素手で受け止めてきた。
「…この威力、普通の相手だったら被弾した途端柘榴の実ですね」
そこから首を狙った鉤突きを繰り出すも、見もせずに避けられた。
「この空間の支配者は僕です」
夢魔野郎の輪郭がぼやけ、辺りが深い霧に包まれる。
「少し考える時間を差し上げますので、ゆっくり頭を冷やしてください」
霧が晴れたとき、夢魔の姿はどこにもなかった。
血の臭い。気付いて駆け寄ったとき、尽の顔は蒼白になっていた。
「…世話が焼けるアホだ」
妖力を分け、回復は尽の自然治癒力に任せる。
少しすると、傷が塞がり始める。
「残念、生きてたか」
「瑠、禍…?」
うっすらと尽が眼を開ける。
「早く起きて、お腹空きすぎて倒れそう」
「悪りぃ、な…」
尽は弱々しく答えると、再び眼を閉じる。すかさず揺すって眼を開けさせる。
「勝手に死ぬな、死ぬのは僕が殺したときにして」
「わ、わかったからやめろ、傷に響く…!」
振動に尽が呻く。胸元に空いていた傷はようやく完治したようだ。
「もう動ける?」
「…あぁ、もう大丈夫だ」
「じゃこの辺を探知して。武器取り返したらとっととここ出るよ」
そこで尽は雷に打たれたように自分の持ち物を探す。
「…ない、芙蓉がない」
尽はようやく武器を奪われたことに気付いたようだ。
「だからあの腐れ夢魔にとられたんだって」
「おのれ…!」
阿呆丸出しの言い方で怒りを露にする尽を放置し、没収を免れた道具を確認する。
「…あ、いいもの発見ー」
ひとつの道具が目に入る。懐に隠していた巻物だ。
「瑠禍、どうした?何かあったのか?」
尽がこちらを振り返り、訝しげな表情をする。僕は心の底から愉快そうに言ってやった。
「こいつがあれば、あのクソ野郎に一泡吹かせられるかも」
人気の少ない路地のバーに、和装の若い男が入っていく。
男はカウンター席に座る不機嫌そうな女の隣に腰を下ろした。
「いらっしゃい、何にします?」
「うーん、なら烏龍茶で」
隣の気配に気づいたのか、女が不機嫌そうな顔をあげる。
「なんだ、颪か」
かなり酒が入っているのか、若干呂律が回っていない言葉だった。
「俺だと不満そうだな」
「あんた酒飲めないでしょー?」
かなり泥酔した女は、大きな胸の谷間が見えるほど襟元を開き、熱気を逃がす。
颪と呼ばれた男は目のやり場に困り、視線を泳がせる。
「“この時代”の酒は美味いねー、おねーさんには堪らんですわ」
「…あんまり騒いで痕跡を残すなよ、マリア」
マリアと呼ばれた女は小さく肩をすくめ、酒杯に残っていた酒を一気に飲み干す。
「あたしをネロと同じ扱いしないでよ…あ、マスターお代わりー」
「…あいつは派手すぎだっての…」
颪は頭を押さえ、大きなため息をついた。
「既に現地人に、“異物”であるネロの存在は浸透しつつある。例の魔女にも警告された」
異物という単語がどんな意味を示しているかは、この場では颪とマリアだけだ。
「で?ネロのことだから素直に聞いたとは思えないけど」
「『誰かの言うことを聞くなんて、殺したいほど退屈だ』ってよ」
聞いた途端、マリアにもため息が伝染する。
「あいつはすでに殺しすぎてる。質のいい情報屋の一部はすでに俺たちの存在に気付き始めてる」
「だーかーらー、あたしはネロとの仕事はごめんだって言ったんだ」
マリアは愚痴をこぼしつつ、何杯目かもすでに数えていない酒杯を傾ける。
「そう言っても、あいつの戦闘力は俺たちの中じゃずば抜けてるんだ。だからあの魔女にも呼ばれた」
「…魔女、ねぇ」
魔女という単語を口にしたマリアの表情が険しくなる。
「そもそもなんであの女もこんな面倒なことさせるかねぇ、自分でやりゃいいじゃん」
「さぁな」
差し出されていた烏龍茶を飲み、颪は懐から2枚のカードを取り出す。
「俺は2番と3番を狩った。そっちはどうだ?」
「うーん、酒ばっか飲んでて“太陽”しか捕ってないよ?」
マリアも、胸の谷間から似たような装飾のカードを取り出す。
「…そっから出すなっての…」
颪は再び目線を泳がせる。それに気づいたマリアが妖艶に微笑む。
「何?おねーさんに見とれた?」
「それだけは絶対にない」
颪の即答に、マリアが頬を膨らませる。
「少しは気を使いなさいよ」
「年上に対して自分のことをおねーさんなんて言っちゃうあたり、救いようが――」
その時だった。バーの外から発砲音が響く。
「な、なんなんだお前は…ぎゃああっ!」
直後、悲鳴混じりの言葉と断末魔が2人の耳に届いた。
「どうやらお呼びでないのがいるみたいだな」
颪がそう言うと、バーの扉が吹きとび異形の人間が侵入してくる。怪物と化した人間は室内を見渡すと、ゆっくりとこちらに歩み寄ってくる。
「あたしたち狙いじゃね?」
険しい顔のマリアに対し、颪はつまらない漫才でも見ているような態度だ。
「あ、そ。マリア、適当に処理しといて」
そう言って颪は烏龍茶の入ったグラスに口をつける。
「はぁ?あんな野蛮なのを女の子に相手させようっての!?」
「お前は男女だから関係ないし、それとも倒す自信がないのか?」
「うっさい…やってやるし」
彼が心の中で扱いやすいな、と思ったことは口に出さないでおいた。
相手は口元から緑の涎を垂らしながら、指先から伸びた鋭い爪を打ち鳴らしている。
「すぐ終わらせるし」
マリアは懐から手鏡を取り出す。敵が戦意に気づき、行動を阻止しようと爪を伸ばす。
「射殺せ」
襲いかかろうとした異形の敵の肘から先が消失する。敵がその事に気付いたとき、マリアはもう一枚の手鏡を構えていた。
女が手首をひねると、さらに怪物の肩から先も消失する。敵は不可視の攻撃に怯え、出口へ向かって走り出す。
「逃す気ないんだけど?」
マリアが手鏡を持った手をひねる。今度は怪物の足が消失した。
「チェックメイト」
女は太もものホルスターから“特別製の”拳銃を取り出し、引き金を引いた。
銃声が響き、脳天に風穴を開けられた怪物は二度と動かなかった。
―8話に続く―