第1話
東暦3020年3月31日。外は雲一つの無い快晴で、小鳥達が春の訪れを喜ぶように囀る。
今日も“表の街”は綺麗で平和だ。
「刕、今日の仕事は?」
俺は応接椅子に座る美人の女に声をかける。返事はない。
「いきなりシカトかよ…地味に傷つくわー…」
と言いつつ、俺の心は全くの無傷。
自己紹介が遅れたが、俺の名前は尽。黄泉で『何でも屋』として働いている。
目の前の美人の女は、まぁ言ってみれば俺の上司だ。歳は二つほど負けている。
「…今日は尽と瑠禍と、二人だけで行くようになっている」
「や、だからその仕事内容は…」
「瑠禍に聞け」
一蹴されてしまった。ちなみに瑠禍は同じ『何でも屋』で働く仕事仲間である。
俺と瑠禍の先祖は知り合いだったらしく、俺は50代目緋岸花、瑠禍は50代目影椿という異名を持っている。
刕の異名?知るかよ、知りたいけど教えてくんねーもん。
「そういうツンツンしてるとこが好きなんだけどね」
試しにジョークを言ってみた。刕は少し苛立たしそうに俺を睨む。…無言かよ、怖えな。
これ以上何か言うと嫌な予感がするので、さっさと瑠禍のところに行くことにした。
「やっと来たの?豚足」
駆けつけた俺を出迎えたのは罵声だった。瑠禍は俺と同い年だが、童顔のせいか若く見える。
「お前より足速い自信あるっての…んで、今日の仕事はなんだ?」
「辺境に現れた鵺の討伐だよ」
「うへ、鵺かよ…」
鵺といえばなかなか高位の妖怪である。
「要は殺せばいいだけでしょ、楽じゃん」
「そりゃそうだけどさ…」
吸血鬼の本能に忠実なのか、こいつは争いや流血、殺しが大好きだ。『何でも屋』に籍を置いている動機も、明確に違う。
「早く行くよ」
昼間から日傘をさす瑠禍の後ろをついていく。道行く人々から何度もまじまじと見られる。
瑠禍についていくこと小一時間。
あたりは昼間なのに薄暗く、カビが生えそうな湿気に覆われている。鬱蒼とした森の中、瑠禍はどことなく嬉しそうな表情を浮かべている。
「なんか嬉しそうだな」
「暗いところは僕の専門だしね、ここなら傘をさす必要もないし」
瑠禍は傘をしまい、腰の日本刀を抜く。
「いいから早く探知してくれないかな」
「聞いただけだろ…」
俺も刀を抜き、辺りを探知する。
「…いた、3時の方向だ」
「了解」
俺と瑠禍の周りに、音と気配を殺すための結界を張っておく。反応があった付近に近づき、様子を伺う。
巨大な体躯を誇る鵺は、妖怪の死骸を食い散らしていた。
「…やるぞ」
俺の声を合図に、一気に鵺の視界に躍り出る。鵺は敵を認識し、巨大な吠え声をあげる。
「…うるさい」
瑠禍は冷たい表情で鵺に斬りかかる。鵺は体躯に見合わない素早い動作でかわす。
「俺もいるんだよねー」
隙をついて鵺の前足を切断する。鵺は痛みに苦しみ、暴れだす。
「『紫苑』、抜刀」
瑠禍が腰の妖刀を抜く。柄から先には何もない。
「ちょ、俺切るなよ?」
「避けるのが筋でしょ」
問答無用で瑠禍は刃のない刀を一閃。鵺の目には嘲笑。
俺は念のため屈んでおいた。
すると、瑠禍の腕の高さで周囲のものがずれる。“見えない刃”に辺りのものが両断されていた。木、岩、そして鵺の胴体までもがずれていく。
鵺は断末魔をあげることなく絶命していた。
「ったく、それ刃が見えないし間合い変えられるからマジ怖いんだけど」
「うるさい吠え声が消えた」
俺の言うことなど無視し、瑠禍は血まみれの顔で笑みを浮かべる。
「早く帰ろう、お腹すいたし」
「はいはい、わかったよ」
討伐の証拠として鵺の牙を一本切り取っておく。
俺の腹が盛大に鳴った。
「…おかえり」
腹を空かせた俺たちを待っていたのは、同じ仕事仲間の幽だった。
「あれ、刕は?」
「…先に出かけた…今日は外ご飯だって」
外ご飯か、久しぶりだな。
「…食べ放題にするから、瑠禍も尽もたくさん食べていいって…」
「「よっしゃぁぁああ!」」
俺と瑠禍は飛び上がって喜ぶ。食べ放題の時ほど嬉しいものはない。
俺も瑠禍も大食いの分類に入るので、普段はなかなか腹一杯食べられない。
「んで、店はどこ?」
「…神楽亭」
「「よっしゃぁぁああ!」」
再び俺と瑠禍は飛び上がって喜ぶ。神楽亭はこの辺りでは味で評判の有名店だ。おまけに食べ放題である。
「生きててよかった…!」
「刕様マジで神…!」
舞い上がる俺らをよそに、幽は静かな声でこう告げた。
「…ちなみに、今から10分以内に店に着かなかったらご飯抜きだって」
俺と瑠禍の思考が停止する。
「…早く準備しないと間に合わないよ。僕は送ってあげないから…」
そう言うと、幽は立体光学映像のように消えた。分身だったようだ。
「やべぇ、急がねぇと!」
すぐさま荷物を整理し、支度をしに行く。
支度を終え下に降りると、瑠禍が待っていた。
瑠禍も血まみれの服を着替え、肌に付着した血も拭い取ってあった。
「尽、飛行術で神楽亭まで送って」
「…仕方ねぇな、今日だけだぞ」
俺が指を鳴らすと、俺と瑠禍の身体が浮き上がる。浮遊したまま窓から出て、神楽亭を目指す。
なんとか間に合ったようだ。
「あと14秒遅ければお前たちの夕飯はなかった」
極上のヒレ肉を頬張る刕。その隣の幽は無言でサラダを頬張っていた。
「間に合ったんだからいいじゃんよー」
「僕とこんなアホを一緒にしないでよ」
「てめっ!送ってやった恩を忘れやがって!」
「騒ぐなら夕飯はなくなるぞ」
刕のその一言で俺たちは言い争いをやめる。刕の言うことは絶対なのだ。
俺と瑠禍は空いているところに座り、それぞれメニューを開く。美味そうな料理が並ぶ。
「あ、そこのおねーちゃん」
「はいっ、何でしょうか?」
従業員らしき若い女性を呼び止め、メニューを見せる。
「こっからここまで全部」
「…は?」
俺の豪快な注文で、従業員の女性はメモをとり落とす。驚くのも無理はない。俺が頼んだのは普通の成人男性の30食分はあろうかという量だからだ。
「こっちもいいかな」
瑠禍も注文を決めたようだ。
「僕はここからここまで全部、あとデザートも全部ね」
女性は開いた口がふさがらない。俺の1.2倍は頼みやがったぞこいつ。
女性は呆然としたまま厨房の方へ消えていった。
「…あんなに食べても太らない君たちの胃袋の正常性が謎だね」
幽がポツリと呟く。
「幽こそ、そんな少しでよく足りるよね」
瑠禍は嘲弄に近い眼差しで幽を見る。その眼差しには殺意も含まれていた。
そう、こいつは単に殺したいから、この『何でも屋』に所属している。
「…飲み物とってくる」
俺は逃げるように席を立った。
店内には様々な思惑が交錯していた。
「リーダー、恐らくあの四人がtargetかと」
「思いがけず楽しめそうですね」
仄かに甘さのある顔と声の持ち主は、コーヒーを飲みながら済ました表情を浮かべていた。
「そろそろお時間です」
別の人物に時計を見せられると、リーダーと呼ばれた人物は立ち上がる。
「さて、どちらの血が濃いことでしょう」
赤い瞳の先には、平和に食事をする刕たちがいた。
一瞬だが寒気がした。
エスプレッソコーヒーを持って3人のいる席へ戻る。
飲み物コーナーに長居していたからか、すでに料理は運ばれてきていた。瑠禍が猛烈な勢いで食べる、食べる。
「おかえり。長かったね」
「ちょっとお目当てのものがなかなか見つからなくてな」
エスプレッソを自分の席に置き、俺も食事を始める。
ざっと見て標的を決める。七面鳥の丸焼きを狙い、箸を突き出す。が、一瞬早く瑠禍の箸が奪い去っていく。
「チッ、まぁいい、鱸は頂く!」
俺の箸は突き出された瑠禍の箸を弾き、鱸を捕らえる。瑠禍は膨れ面になる。
「死ね」
瑠禍の箸は、今度は俺の方へ飛来してくる。すかさず空になった皿でガード。
「死ぬかよヴォケ」
俺は皿の盾を持って笑ってやる。その隙に瑠禍はコーンスープを飲む。俺も高級和牛のステーキを奪い、食べる。
「はぁ…お前たち、もう少し行儀良く食べられないのか?」
刕はあきれ顔だ。だがこの勝負、負けるわけにはいかない。
1時間もしないうちに注文の皿は全て空になった。久々の満腹感。大の字になって寝転がりたい。
「さて、そろそろ出るとしよう」
刕は領収書を片手に立ち上がる。幽もそれに続く。2人は先に会計に行ってしまった。
「瑠禍、早く起きろ」
俺は横で丸くなって眠っている瑠禍を揺すり起こす。なかなか起きない。
「起きろって、もう店出るぞ?」
そのとき、頬に風。即座に腰の短剣を抜いて受け止める。
「…僕に汚い手で触らないでくれる?」
俺の首筋で小刀が静止していた。力の差でどんどん圧迫される。
「こんな店の中で寝る方が悪いっての…」
瑠禍は無言のまま、感情のない紅の瞳で俺を見据える。
「いいから早く出るぞ」
「…」
返事はない。俺はため息をつき、2人の元へ向かう。瑠禍もちゃんとついてきている。
首元が痒くなって指で触れる。出血していた。
「遅いぞ2人とも」
「誰かさんのせいですよ、誰とは言いませんけど」
「それ僕に対する文句?」
瑠禍が俺を睨む。刕はそんな俺たちの様子を見てまたため息をつく。俺たちに向けられるのは、言うことを聞かない駄々っ子を見るような眼差し。
「わ、なんかその視線地味に傷つくわ…」
「…なら今日の食事代は尽と瑠禍、二人で払ってもらおうか?」
「「えぇー!?」」
俺たちは声をそろえてブーイング。割腹自殺(=自腹を切る)など御免被る。
「なんでこういう時は息がぴったりなんだか…」
幽も呆れている。
「すいませんリーダー!どんな仕事もするから今回は見逃して!」
「ついでにこいつと同等の扱いをしないでほしい」
「おいコラっ!言ったそばから暴言かよ!」
刕と幽は顔を見合わせる。
「ならとっておきの仕事をしてもらおう」
「…げ、なんか嫌な予感」
「魔界に赴いて、この書類をフラウロスという悪魔の方に渡してきてくれ」
刕はそう言うと、鞄からファイルに入った書類を取り出す。
「あれ、意外とまともだった」
「仕事はまだある」
刕は腰の刀を鞘ごと俺…ではなく瑠禍に渡す。
…誰もが一度は聞いたことがあるだろう妖刀屋、村正の100の傑作の一振り、『勿忘草』だ。
「最近こいつの調子がイマイチでな、人間の世界にいるだろう腕のいい妖刀修復屋を探し出し、修理してもらってから持って帰ってきてくれ」
「うへ、現世とか行きたくねぇよ…命の保証ないじゃん」
現世…そこに住まう人族、いわゆる人間が闊歩する世界だ。
だがもし人間でないと奴らに知れれば、穢れとして拷問の果てに処刑される。とても気が進まない。
「僕は行くよ」
しかし、瑠禍はあっさりと承諾する。
「ちょ、勝手に受けるな!」
「バレなきゃいいんでしょ?力を使わなければいい」
間違ってはいないが…
「それじゃ、よろしく頼んだぞ」
刕は満面の笑みだ。とても断れる空気ではない。
「…リーダー、料金払ってきました…」
「ご苦労。それじゃ私たちは一足先に事務所に戻っているからな」
幽と刕はさっさとを店を出ると、事務所の車に乗って去っていった。
「はぁ、またこいつと組まされるのか」
瑠禍は文句を言いながら店を出る。俺も後に続く。
空には大きな夕日が翳っていた。
―2話に続く―