【1/8ゲシュタルトの憂鬱】
『フィギュアはフィギュアを呼ぶ』という都市伝説があるように、フィギュアの収集を始めるとその数はみるみる増殖していく。
収集欲求の高い人間ならこの現象に頭を悩ます者もいるだろう。
だがフィギュアが増殖すると、それと反比例して減少するものがある。
それは財布の中身と部屋のスペースだ。福沢諭吉は忍者の如く姿を消す。そして部屋は物置と化す。
これは自然現象のようなもので、人間の力でどうこうできるものではない。
そしてだんだんとフィギュアの数が増えてくると所有者の行動は変化を始める。
今度は中古屋に売り飛ばしたり、友人に譲渡するのだ。
所有者に十分な満足感を与えたフィギュアはお役御免、部屋からの抹消を余儀なくされる。
戦力外通告、である。
これはほとんどのフィギュアが背負う宿命。抗うことのできない運命。
しかし、どんな物事にも例外は存在する。
その例外が、ここ長尾家フィギュア界だ。
主である長尾虎之助は俺たち以外にフィギュアを購入しない。
なぜ買わないのか?
なぜ買ったのが俺なのか?
それは甚だ疑問だが、とにかく長尾虎之助は無暗に数を増やさない。
話を変えよう。
当たり前のことだがフィギュアは動くはずのない玩具である。
それはフィギュアに限ったことではなく、ドール、からくり人形、こけし、ダッチワイフ、全てに言える定説だ。
感情もなければ意志も知識もない、それが玩具。
しかし『フィギュアと所有者が相思相愛になったとき、フィギュアは突如動き始める』という迷信がこの世には存在する。
俺たち三体は虎之助のことが大好きだ。そして虎之助も俺たちに愛情を注いでくれる。
つまり。
先の迷信の舞台もここ長尾家フィギュア界なのだ。
例外と迷信が混在する場所。
長尾家――――否、長尾虎之助の部屋は玩具にとって伝説の地なのである。
「こんくらいでいいか」
戸板に豆の如く語って俺はテレビリモコンの電源ボタンを踏む。
画面が明るくなるとがやがやと一発芸人たちが騒いでいた。
「今のも独り言―?」
見るとユピテルが机の端から足をぶらぶらと垂らしてテレビを見ていた。
ユピテルの問いに答えようと思ったが、すでにゴージャスの出番が来たらしい。
ユピテルが大爆笑していたのでスルーを決め込む。まぁゴージャスは普通に面白いからな……。
やることもないので机の上をぷらぷらと歩いていると会長と目が合った。
「あなた観ないくせにテレビをつけたの?」
今回はハムスターを見るような目だった。
といっても、ハムスター可愛い! とかではなく、回し車をひたすら回転させているハムスターを見て「お前いつまでそれやってんの?」みたいな目。
だが、この程度の視線なら造作もない。
「もうすぐ金曜ロードショウなんだよ」
俺は軽く切り返す。
それと同時にリビングの扉が開く音が聞こえた。扉を開けた主はそのまま階段を上ってくる。
歩く音は人によって異なる。
長年この家に住んでいる俺たちはその足音が虎之助のものだと分かってしまう。
これぞ学習能力。インプリンティング。……違うか。
扉が開かれて虎之助が入ってくる。すると辺りを見渡して一つ大きなため息をついた。
「リラックスしてるところ悪いんだけど、勉強していいかな?」
すかさず俺は虎之助を睨みつける。おいおい今日の金曜ロードショウはラピュタだぞ?
そんな悠長なこと言ってる暇があったらポップコーンでも作ってこい。ついでにコーラも買ってこい。
俺が心の中で詰っていると虎之助は続ける。
「いいかな、奈央ちゃん」
まーた俺に喧嘩売ってるのか虎之助は。俺とお前は旧知の仲だろ? なんで会長に聞くんだよ!
ちょっと寂しい思いを感じながら虎之助を責めるが、俺の想いは届かない。届け! この想い!
「えぇ、構わないわ。ユピテル、テレビを消しなさい」
「えー、今いいところなのになー」
そう言いながらもユピテルは素直にテレビを消す。
とことこと俺たちの方までやってくると虎之助を見上げた。
「虎ちゃん、今日は何を勉強するの?」
「えーっと、今日は数学の宿題があるんだよね。お願いできるかな?」
「おっけー任せて!」
なにやらユピテルさんがでしゃばっているが、これが俺たちの仕事。
というか会長の仕事。
会長は高校二年までの知識を持っている。しかも成績が優秀なので知識量は抜群。
つまり虎之助に家庭教師をしているのだ。
俺も高校二年なのだが勉強はからっきしで中学校の知識すらままならない。ユピテルはファンタジー世界出身だし、年齢も虎之助と変わらないから教えることが出来ない。
「じゃあ寝る前にお話ししよーね、虎ちゃん」
「うん、分かったよ」
だが、ユピテルはお喋り上手なので、よく虎之助の話し相手になってあげている。
ちなみに俺は……あれ、何もやっていない。
「関数ね。えっとx=2のとき、y=6。こういう値が変わる数のことを変数って呼ぶのは分かってる?」
「うん、それは分かってる。ここってこの数を代入すればいいんだよね?」
「えぇそうね。あ、ここ間違っているわ。この時は――――」
こうなると俺とユピテルは暇を持て余してしまう。
ここで茶々を入れると会長から厳しい叱責を受けるし、いつも優しい虎之助もさすがに怒る。
どうすっかなぁと辺りを見渡すと笑顔のユピテルと目が合った。
「じゃあキャッチボールでもしてよっか!」
「……そうだな」
キャッチボールといっても本物のボールを投げるわけではない。
ビービー弾を使って捕って投げるだけだ。
俺はケースに入ったビービー弾をひとつ拝借してカーペットに飛び降りる。
ユピテルは背中の翼を使ってぱたぱたと舞い降りる。
一定の距離を空けてビービー弾を投げるとユピテルは上手にキャッチして、手首のスナップを利かせてこれまた上手に放る。
最初の頃は捕るのもままならなかったが、やっているうちに上達していった。
会長は言わずもがな剛速球を放る。
長尾家のダルビッシュとは彼女のことである。
ふと、上を見上げる。
そこには懇切丁寧に指導する会長と虎之助の姿。
しばしその様子を眺める。
「……」
会長は会長のやり方で虎之助を支えている。
放っておいても虎之助は出来る奴だが、会長が来てからはかなり成績が伸びた。
もちろん虎之助が自分から家庭教師を頼んだ、なんてことはない。
最初は宿題をやっていた虎之助の様子を会長が眺めていただけだ。
それから小言が入ったり、確認作業だけ手伝ったりして、なし崩し的に現在の家庭教師という立ち位置へと変化した。
ユピテルもユピテルのやり方で虎之助を支えている。
学校であったことを話したり、友人関係の相談を受けたりと虎之助がディストレス状態にならないようにケアしている。
それに虎之助は大人しい人間だ。がやがやと騒ぎ立てる人間ではない。
自分の中にストレスを溜め込む傾向にあるのでユピテルの存在は貴重と言えるだろう。
対する俺はなんだ。三体の中で一番古い付き合いなのになにもしてやれていない。
こんなに愛情持って接してくれているのに何も手伝ってやれてない。
「……」
いつしかビービー弾を握る手に力が入る。
虎之助は俺たちのことが大好きだ。その証拠に俺たちはこうやって自由に動き回ることが出来る。
もちろん俺たちだって虎之助が大好きだ。感謝だってしている。
でも、俺は。俺だけがその感謝を形にできていない。
ユピテルがビービー弾を落とした。
どうやら相当力が入っていたらしい。
俺は金曜ロードショウのことをすっかり忘れていた。
窓の外には暗澹たる闇が広がっていた。