【1/8ゲシュタルトの日常②】
テンプレートされた会話を一往復だけ済ますと、声の主は階段を上り始める。
トントントンと軽快な足音は徐々に近づいてくる。
そして階段を上り終え部屋の前で一度止まると、
「だぁー、疲れたー」
と言って虎之助はベッドに飛び込んだ。
「よく還った、虎之助」
「おかえりなさい、虎之助」
「虎ちゃんおかえりー」
俺たちは一斉に主の帰還を讃える。
虎之助はむくっとこちらに目を向けると破顔した。
「ただいま、みんな」
言うと虎之助は通学鞄をベッドの脇に置いて、よっと立ち上がる。
学ランの第一ボタンを開けると椅子に座った。
「ちゃんと仲良くしてた?」
虎之助が俺に言う。俺はこの三体の中で一番の古株。
そして虎之助と同性ということもあり一番仲がいい。
そうだな、会長が俺たちをイジメた、とでも報告しておこうか。そう思い口を開こうとすると、
「奈央ちゃん」
虎之助が追加した。はっはー、俺じゃなくて会長に聞くとはいい度胸じゃねぇか虎之助。
俺はすかさず虎之助にメンチを切る。
すると冷静な声音が後ろから響いた。
「この二人とは馬が合わないわ。この二人をアルマゲドンの小屋に連れて行ってあげてくれないかしら」
「え、えー! 私もなの?」
「当然でしょ、そんな汚らわしい胸を私の前で晒さないでもらえる? 醜悪でしかないわ」
会長がユピテルに言い放つ。これは明らかに嫉妬ですね。
自分の胸がまな板にレーズン状態だから。
まぁこんなことが言えるはずもなく……。
黙って見守っているとユピテルもむーっと唸って反撃に転じる。
「な、なによ。ちょっと人気のアニメに出てヒロイン投票一位になったからって。そんなすごいこと私にできるはずないじゃん!」
ふむふむ、いい反撃だ。ってあれ? なんか最後褒めてない?
お前、相手を貶すの下手すぎだろ……。
それを思ったのは虎之助も同様のようで、たははっと笑う。
「うんうん、みんな今日も仲良しだね。じゃあ僕はリビングに行くからご飯食べ終わったら戻って来るね」
そう言うと虎之助は学ランを脱ぎ始める。
ハンガーにかけて衣装箪笥に掛けると、小さいカエルが散りばめられた部屋着に着替え始める。
部屋着に着替えると「じゃあね」と残してそのまま扉を開けた。
しばし嘆息。とはいかなかった。
隣を見ると依然として会長とユピテルの間には火花が散っていた。
仕方ない、ここは弱小勢力ユピテル軍に付いてやるか。
俺は重い腰を上げて会長と対峙する。
「おい会長、冗談でもアルマゲドンなんて言葉をここで言わないでくれ。これは長尾家フィギュア界規則に反する行為だぞ」
「……」
俺が言うと会長はまるで下等生物を見下すような視線をこちらに寄越す。
俺はこの目を知っている。
俺がアニメの中で異世界に転生した時に周囲から向けられた視線と同じだ。
元々チキンな俺はこの視線にビビッて何も行動できなかった。
結局俺は何をするでもなく、村人Aとして農業に励んでアニメは終わってしまったのだ。
同じ轍を踏むわけには行かない。
しかし、会長が目を逸らすはずもない。まるで蛇のように獰猛で凶暴で高圧的な視線で俺を補足する。
「……」
「……」
く……、今日の所は見逃してやろう。
そう思い視線を外すと会長は小さく一つため息をついた。
「そうね、あれについては謝るわ、ごめんなさい」
会長は素直に頭を下げる。
アルマゲドンというのは長尾家が飼っているドーベルマンの名前だ。
性別は圧倒的に雄。その半端じゃない好奇心のせいで何度か命を奪われそうになった。
しかし奴の本当の恐ろしさはその賢さと運動神経にある。
奴に捕まったら最後、フィギュアとしての役目さえ果たすことが出来ない。
代わりに永遠の眠りが約束される。
たとえるならゾンビゲームで袋小路になったときくらいの絶望感がある。
あの「あぁ終わったわ」感は異常。
俺は会長の元まで歩いて肩にそっと手を置く。反省しているなら許してやってもいいだろう。
「まぁ気にするな。次気を付ければいい」
「小太郎君……すごい!」
ユピテルが恍惚とした視線を向けて言う。そしてパチパチと胸の前で小さく拍手した。
「俺にかかればこんなもんだ。困ったら俺に言え、ユピテル」
「あ、ありがとう……」
それにしてもあれだな、会長を平伏させるのって気持ちいいな。
俺は会長の肩をぽんぽんと叩く。
「まぁ分かればいいんだよ会長。ハッハッハ!」
時刻は午後の六時。
虎之助の部屋に会長の渾身の一撃が響いたのは言うまでもなかった。