【1/8ゲシュタルトの死亡②】
俺の視界には虎之助の部屋が映っていた。
位置的に見て現実世界の俺は机の上にでも置かれているのだろう。
虎之助と会長とユピテルがいる。彼女たちの話し声が聞こえた。
現実世界で見ることと聞くことが出来る、と言うのはこのことらしい。
確かに視覚と聴覚は働いている。
「ねぇ奈央ちゃん、あれから小太郎君全然動かないよ」
「そうね……」
二人の表情は見たこともないほどに暗い。
窓から日が差していないのを見るともう夜なのだろう。
虎之助は椅子に腰かけて俯いていた。
「小太郎……」
「今はこのままにしておきましょう。そのうちあっさり目が覚めるわよ」
それでも会長の声は落ち着いているように聞こえた。
それが少し寂しくもあり、頼もしくもある。
「でももう一週間だよ? もうこのまま……」
「大丈夫よ、ユピテル。そうなったら私が意地でも甦らせるわ。……絶対に」
それきり声は聞こえない。
やがて部屋の照明は落とされて虎之助の寝息だけが部屋を満たす。
ユピテルと会長はしばしその場に立ち尽くしていた。
俺はエリオールの言葉を思い出す。
タイムリミット。
原因は俺。
何度も反芻するが、その言葉の真意を俺は理解できなかった。
それでも俺は繰り返し心の中で原因を探った。
◇
あれから一週間が経った。
それでも小太郎が目を覚ますことはなく、虎之助の部屋は暗澹としている。
ただただ重苦しい雰囲気が渦巻いている。
ユピテルの空笑いと虎之助の勉強を教えているときだけが唯一の救いだと言っていい。
やはり小太郎は長尾家フィギュア界の中心だった、そう実感させられる日々。
「ねぇねぇ奈央ちゃん」
重い空気に当てられて自分まで暗くなってしまったようだ。
隣に目を移すとユピテルが私のスカートを少しだけつまんでいる。
「あんまり深く考えてもダメだよ? 特に夜とか一人の時に考えちゃダメ」
ユピテルの表情が物悲しさで歪んでいるのは言葉で分かる。
時刻は午前零時。
すでに部屋は真っ暗で細かな表情までは視認できなかった。
「そうね、もう止めておくわ」
小太郎がいない今、ここを守れるのは私しかいない。
ユピテルは必死に空気を明るくしようと努めているが、それが偽りの笑顔だと見抜くのは容易い。
虎之助もそうだ。
最初こそ悲しみに暮れていたが今は小太郎に触れようともしない。
それだけではなく私たちとの会話にも気を使っているのが窺い知れる。
虎之助はまるで小太郎を腫れ物のように扱っていた。
「ほら奈央ちゃん、また考えてる」
「そうね、今度こそ終わりにするわ」
「違うよ、奈央ちゃん」
私が言うとユピテルは言葉を被せる勢いで言い切った。
その声には普段のふわふわとした印象は受けない。
それどころか射るような鋭さを含んでいた。
「二人で考えればいいんだよ、奈央ちゃん。意地でも甦らせるんでしょ? 私も協力するからさっ」
まるで私が慰めてもらっているみたいな言い方ね……。
いつもなら皮肉の一つでも言い返す場面だが、今は不覚にもその優しさが心に沁みてしまう。
亀裂の入った岩に水が浸み込むように、ユピテルの慈しみは遠慮がなかった。
「あなたの協力なんてあってないものよ」
「強がる奈央ちゃんも大好きだよ……」
そう言ってユピテルは私の頭をそっと撫でる。
その手を退けようと私の右手がとっさに動いた。でも、止まった。
今は素直にその優しさに甘えよう。
そう決めた――――。
あれからまた数日が経ったある土曜日。
小太郎が動かなくなってかれこれ十日以上過ぎていた。
それでも小太郎が動き出す気配はまるでない。
もうこれ以上待っても意味はないだろう。
偶然目が覚めるなんて奇跡を期待する時期はもう過ぎた。
なら今度は私、いや私たちが行動を起こす番だ。
「奈央ちゃん、そろそろ……」
「えぇ、そうね」
時刻は正午。
虎之助はお昼ご飯を食べにリビングへ向かった。
虎之助が部屋にいるときは基本的に小太郎の話をすることはない。
小太郎の件は虎之助にとっては身を切るような話だと思ったし、古傷を抉るようなものだと思ったからだ。
「確認しましょう」
私たちは教科書に並んで腰を落とす。
「まず私たちが自由を手にするには虎之助の想いが必要。しかし、この定説には疑問点がある」
「そう、なの?」
どうやらユピテルは気付いていないらしい。首を傾げて尋ねてくる。
「小太郎が意識を失った――――つまり普通のフィギュアに戻ったのは北条帰蝶の取り巻きが手紙を貰った旨を伝えた時よ。虎之助は計画の全容を知らない。あそこで小太郎が意識を失ったのは明らかにおかしいわ」
「そう、だねっ!」
ユピテルが分かっているのか怪しいが話を先に進める。
私だってこの数日間、無為に過ごしていたわけじゃない。
もし動かなかった場合を想定して考察を重ねていた。
「つまり私たちが知らない『何か』があるのは自明の理。私たちが自由を手にするにはその『何か』が必要になるということよ。でもそれが何かは分からない」
「うん……」
分からない、というネガティブな単語にユピテルが反応する。
それを少しでも安心させてあげるために慎重に言葉を紡いでいく。
「安心して、ユピテル。解決策はあるわ。分からないなら聞けばいいのよ」
「聞くって……誰に?」
「古いフィギュアよ。小太郎よりもずっと前に製造されたフィギュアに聞けば何か分かるかもしれない」
これはあくまでも可能性。でも決して低くはないと見積もっている。
三体の中で小太郎は一番古いフィギュアでユピテルは一番新しいフィギュアだ。その二体の『フィギュアとしての知識』には差がある。
ユピテルが知らないことを小太郎が知っていることは多々あった。
例をあげるとジョークとか。
つまらない知識ではあるけれど古いフィギュアが古い情報を持っているのは事実。
それが今回の件に直接的に関わってくれるかは分からないが、小太郎より古いフィギュアが何かしら情報を持っている可能性はある。
考え込むユピテルの肩にそっと手を置いた。
「この後、虎之助と一緒に秋葉原へ行くわよ。あそこなら古いフィギュアがたくさんあるってテレビでやっていたわ」
「でも、古いフィギュアって高いんじゃ……」
「大丈夫よ、お母様のへそくりがまだ残っているわ」
私は二重底になっている引き出しを指さす。
ユピテルは苦笑いしているが、その笑顔は小太郎がいた頃のものに近くなっているように感じた。
するとちょうど階段を上ってくる音が聞こえた。
その足音は鉛のように重く、強い失望を感じさせる。
ゆっくりと扉が開いた。
「虎之助、話があるわ」
私の一言に虎之助は一応反応してくれる。でもその顔には生気がない。
どこか私たちにも距離を置いているようにも思えた。
虎之助の口から聞いたことのない低い声がこぼれる。
「なに?」
「あ、あのね秋葉原に行こ? 虎ちゃん」
「なんで?」
「……その、もしかしたら小太郎が甦るかもしれないから……」
「……」
私の代わりにユピテルが代弁してくれたが虎之助は押し黙った。
そんな期待させるようなことを言わないでくれ、顔がそう言っていた。
私はその顔を見て危惧せずにはいられなかった。
フィギュアが動くには『何か』条件が必要。
しかし、それ以前の前提条件である主の愛情が希薄になっているような気がしたからだ。
このままではその『何か』が分かっても小太郎が動くことは許されない。
もしかしたらその前に私たちの自由すら奪われるかもしれない。
早く小太郎を甦らせないと全てが手遅れになる可能性がある。
「虎之助、気分転換に新しいフィギュアを買いましょう。そうすればきっと――――」
「やめてよ!!」
「……」
その言葉は強烈だった。心の奥底から搾り出された魂の叫びだった。
私の言葉は強制的に遮断され、後に残ったのは残響だけ。
虎之助は目に涙を浮かべて拳を握りしめている。
「もうやめてよ。これ以上苦しめないでよ……」
「……いやよ」
でも、私も諦めるわけにはいかない。
可能性があるなら賭けるべきだ。たとえこの計画がダメだったとしても小太郎を失った悲しみと比べたらちっぽけなものでしかない。
私は虎之助と対峙する。
「これは命令よ、これから秋葉原に行く」
虎之助の視線が私を捉えることはなかった。
虎之助は黙ってこくりと頷くと視線はどこか遠く、虚空の彼方へと向けられていた。
「辛いのはみんな一緒よ……」
「そうだよ虎ちゃん。みんなで協力しよ?」
私たちの言葉は虎之助に響いているのだろうか。
分からない。何もわからない。小太郎がいてくれないと何も分からなかった。
◇
時同じくしてフィギュアの墓場ではエリオールがため息を一つ吐いた。
「時間切れだ、真田小太郎」
虚しく響いたその声が小太郎に届くことはなかった――――。