【1/8ゲシュタルトの絶望⑥】
グラウンドへ戻ると再び嵐のような熱気が迎えてくれた。
少しずつ日は傾き始め、暑さは落ち着きを取り戻そうとする。
しかし、人間の熱気がそれを忘れさせる。
遂に迎えたクラス選抜百メートル競走。霊長中学は三十人三クラス。
つまり各クラス赤組代表と白組代表を選出し計六人が勝負する。
まずは一年生代表、次に虎之助が走る二年生代表、そして最後は三年生の代表が走る。
俺たちからしたら、白組が勝とうが赤組が勝とうか関係ないが、虎之助には是非とも一位になってもらいたい。
まぁ一位じゃなくても特に作戦には影響しないんだけどね。
そんなこんなで俺たちが虎之助のバッグに戻るとすでに一年生代表が準備をしていた。
点差は少しだけ縮まり一六〇対一八〇となっている。
一位になると十点加算されるので全学年赤組が一位を取れば逆転優勝ということになる。
つまり赤組の一、二年が勝てば三年生の走者にすべての命運がかかるというわけだ。
体育祭の勝敗が個人に委ねられるとか霊長中学えげつねぇな……。
俺たちはバッグから顔を出してこっそり見守る。
そして強烈な破裂音が鳴った。
それを合図にギャラリーも一気に騒ぎ立てる。
ゴールが近づくにつれその歓声は増す。
その間わずか十数秒。
結果を見なくても分かった。
赤組の連中が狂喜乱舞していた。
「勝ったみたいね」
「まぁどうでもいいけどな」
一年生のレースが終わるとギャラリーもいったん落ち着き始める。
しかし、同学年の男子が走るということもあって二年生のギャラリーはむしろ興奮を爆発させていた。
これでもし赤組が勝てば最高に盛り上がる展開だろう。
「虎ちゃん勝つかなぁ」
「どうかしら、でも虎之助は大人しそうに見えてかなり負けず嫌いだから、案外一位になったりしてね」
「おい、変なフラグ建てんなよ」
そうこうしているうちに二年生代表がスタートラインに整列した。
全校生徒が見守る中、虎之助を中心にみんな緊張した面持ちで準備をする。緊張の中心かよ……。
「ねぇ、あの子!」
突然ユピテルが叫んだ。少し声量が大きかったのでビクッとしたが、幸い周りには誰もいない。
でもまぁユピテルが驚くのも無理はない。俺も少しビビった。
「チャラ男もいんのかよ……」
そこにいたのはチャラ男こと武田半蔵。
みんなが深呼吸して緊張をほぐしている中、奴の行動は異彩を放っていた。
周囲の人間に軽く手を振り、顔には笑顔を浮かべ、勝利宣言するかのように人差し指を空に突き刺して魅せる。
そのサービスにギャラリーもどっと沸いた。
「いけ好かねー野郎だな」
ちなみに俺は武田半蔵みたいなリア充オーラを放つ人間が好きではない。理由は単純。
自分にないものをすべて持っているから、である。
「その理論だと彼は人間の全てを持っているということになるわね、でも私はそんな小太郎が好きよ」
貶すか褒めるかどっちかにして欲しい。ほら、ユピテルが俺のこと睨んでんじゃん!
でもユピテルの怒った顔って恐ろしいほど怖くないな……。
「でもこれで虎之助は勝つしかなくなったな」
話をそらすために俺が言うと二人も破顔して頷いてくれた。
走者の準備が出来たことを確認すると、ガタイのいい体育教師がピストルを上空へ向ける。
その瞬間だけは否が応でも静まり返る。
虎之助の目はゴールテープだけに向けられている。
あまり見せない、虎之助の本気。
そして――――。
パンッと高い破裂音がグランドに響いた。
それと同時に走者が一斉にスタートを切る。
スタートは横一直線。さすがにクラスの選抜となればそこまで大きな実力差はない。
ギャラリーの大歓声は限界を突破している。みんな自分のクラスの走者の名前を叫んでいた。
ユピテルと会長も静かに応援している。
五十メートルラインを越える。
すると差が開き始めた。
先頭は武田半蔵。二番手が赤組の知らない男子、虎之助は三番手だ。
「いっけー! とらのすけぇー!」
いつしか俺は叫んでいた。周りに人はいないし、この大歓声で俺の声もどうせ届いちゃいない。
それでもこの声が届いてくれと願った。
虎之助が二番手の赤組を抜き去る。
同時に一番手、武田半蔵との距離もぐっと縮まった。
あと数メートル。
「……虎之助!」
歓声。
そしてゴールテープが切られた。
どっちが勝ったかここからではよく分からない。
それはギャラリーも同じのようで、ざわざわと小さい波が広がる。
武田半蔵も虎之助も肩で呼吸しながら判定を待っていた。
そして――――歓声が上がった。
ハイタッチを交わし合い喜びを分かち合っている者。喪失感を露わにする者。
ギャラリーの反応は二分化される。
虎之助と武田半蔵は顔を綻ばせて握手を交わしていた。
それを見て俺は少しだけ……後悔した。
思わず俯く。
「ほら見なさい」
会長が俺の肩に手を置いて言う。俺が視線を戻すと虎之助はこっちに向かって手を振っていた。
その瞳はクラスの赤組に向けられているのだろうか。
それとも俺たちに向けられているのだろうか。
俺はついぞその答えが分からなくなってしまった。
体育祭は赤組が逆転勝利した。
その見事なまでの大逆転劇にみんなの興奮は収まるところを知らない。
虎之助は自分の席に戻って来るなり、まるで英雄のような扱いを受けていた。
笑顔の中心に虎之助はいた。
さすがにこれだけ人が集まっていると俺たちもそっとしているしかない。
虎之助の笑顔だけ見て俺たちはバッグの中に籠った。