【1/8ゲシュタルトの絶望⑤】
男子の目玉競技である騎馬戦は最高潮に盛り上がっていた。
ダーリンを応援する女子、気になるあの子のために闘志を燃やす男子。
その熱は限界を突破してなお盛り上がりを増す。
盛り上がりのおかげで人間はトラックの周りに集まっている。
その隙に俺たちは下駄箱を目指してグラウンドの端をテクテクと歩く。
昇降口付近に、サボってる俺かっけー状態の男子が何人かいたが、忍者の如くやり過ごす。
昇降口まで来てもグラウンドの歓声は聞こえる。
それはどこか違う世界で起きていることのように感じた。
静まり返った下駄箱を前に俺たちは一度足を止める。
ここからが作戦の本番、である。
作戦は主に三段階に分けられており、これが第一作戦だ。
俺たちが握っている紙切れは俗に言う手紙。
この日の為に俺たちが制作した。まぁ書いたのは全部俺。
内容は『ホームルームが終わったら校舎裏に来てくれ』と『ホームルームが終わったらバスケットゴール裏に来てくれ』と『ホームルームが終わったら屋上に来てくれ』の三つだ。
最後に共通して『恥ずかしいから誰にも言わないで来て欲しい』と追い打ちをかけてある。
秘密の共有は恋愛心理の基本だ。ソースは会長。
もちろん名前は書いていない。
この告白を匂わせる手紙を、北条帰蝶の取り巻きの下駄箱にぶちこむ。
そして孤立した北条帰蝶を虎之助がかっさらう。
斬新なアイデア、である。
「斬新ではないわ、さっさと下駄箱に向かうわよ」
「あと独り言やめて。変態さんみたいだよ?」
斬新ではないらしい。ちなみに変態はお前だ。
俺たちは虎之助から教えてもらった北条帰蝶の取り巻きの名前が書かれた下駄箱を探す。
俺と会長は下段しか探せないが上の方はユピテルがぱたぱたと翼を揺らしながら捜索している。
「あったっ! 手紙貸して」
「こっちもよ」
「あぁ」
三人の声が重なった。あとは俺が今持ってる手紙をぶちこめばいいだけだ。
しかし、俺の脳内はグルグルと灰色の感情が渦巻いていた。
武田半蔵。
あのチャラ男は北条帰蝶に惚れている。
たとえそこまでいかなくても確実に好意を抱いている。
それにあのルックスだ。恐らくカースト上位だろう。
そのチャラ男に北条帰蝶が惚れない可能性は決して低くはない。
カースト上位と付き合えることは女にとってもステータスになる。
対して虎之助はどうだ。大人しい性格ゆえにクラスではそこまで目立ってないだろう。
それはこの体育祭だけ見ても垣間見えた。
自分から話しかけることに緊張し、積極的アプローチが出来ない。
北条帰蝶とコンタクトが取れているのかも怪しい。
まぁしかし、恋愛とは精神の問題だ。
『北条帰蝶のタイプ』に虎之助が該当していれば付き合えるし、該当していなかったら付き合えない。
身も蓋もないことを言えばそんなもんだ。
でも、だからといって俺たちが努力しない訳にもいかない。努力すれば実る恋だってあるのだ。
だったら協力することにも意味がある。
俺は無理矢理自分を正当化した。無理矢理この行動に意味を見出した。
手紙を入れようとする会長の手を掴む。
「作戦変更だ。会長、鉛筆を貸してくれ」
会長は一瞬訝る視線を向ける。
しばし視線が交錯したが、会長も時間がないことは承知していたらしく、ポケットから超短い俺たち専用の鉛筆を取り出した。
「書きながら説明しなさい」
「わかった」
俺は鉛筆を受け取って駆け足で説明する。
「あの茶髪のチャラ男が北条帰蝶と喋ってただろ? あいつは周りにたくさん人間がいるのにわざわざ北条帰蝶の所まで行った。それにあの態度、憶測でしかないがあいつも北条帰蝶に惚れていると見える」
そこまで言って一通目に名前を書き終えた。二通目の手紙を開いて、再び鉛筆を走らせる。
「だからこの計画と同時進行であのチャラ男も排除する。この手紙は宛名不明で差し出すつもりだったが、全員の手紙にチャラ男の名前を借りるってわけだ」
二通目に名前を書き終えると会長が唸る。
しゃがんで俺に目線を合わせるとひどく優しい声で語りかけてきた。
「小太郎、人間だれだって恋をするのよ。あのチャラ男が北条帰蝶を好きになったっておかしい事じゃない。悪い事じゃないの。あなたは北条帰蝶の取り巻きだけでなく、あのチャラ男も傷つけることになるのよ」
それは分かってる。
しかし、チャラ男が北条帰蝶以外の人間に手紙を送った。
そして、チャラ男はその場所に現れなかった。
その疑惑を植え付けるだけで十分牽制になる。たとえ悪戯だとばれても。
「あぁ、だからこのことは虎之助には伝えない。この責任は全部俺が負う。虎之助と北条帰蝶を必ず結ぶんだ」
思わず語尾に力が入る。
「どうしてそこまで……」
ユピテルの声は震えていた。
『どうしてそこまでやるのか』
確かにお前たちからしたらそう思うかもしれない。
虎之助の恋愛が成就してほしい。その想いはみんな一緒だ。
でも、俺はそれだけじゃない。俺にとって虎之助の恋愛が成就するかしないかは死活問題だ。
単なる友情じゃない。
単なる応援じゃない。
俺は俺自身の為にやらなきゃいけないんだ。
俺は三通目を書き終える。会長に鉛筆を渡してユピテルに手紙を渡す。
「手紙を入れてくれ」
目を合わせないで言う。ユピテルは返事をすることなく翼を揺らして地を蹴った。
その様子を下から確認する。
と、会長が口を開いた。
「理由は聞かないわ。でも、これだけは言わせて欲しい」
俺は向けようとした目を止めた。そこに断然たる視線があるのは分かっていた。
「このやり方は最低で間違っている。そしてなにより虎之助のためにならない。……それだけよ」
「わかってる」
凍てついた氷のように冷たい声音。体育祭の熱気とは逆に、俺の背筋は冷え固まっていた。
でも……厳しい言葉であってもこの行為を看過してくれる会長には感謝している。
俺はなにも言わずに頭を下げた。
軽妙な着地音――――そして俺の肩に小さい手が二つ置かれた。
その手からは少し暖かさを感じた、ような気がした。