【1/8ゲシュタルトの絶望①】
あれから何日か日が経った。
天気予報では梅雨入りが発表され、湿気が身体に纏わりつくのを実感する。
今日は日曜日。時刻は午後八時。
今日も空は曇天が通常営業している。
もう何日も月や太陽を見ていない気がするのは気のせいだろうか。
あ、雨だ。
虎之助はあれから北条帰蝶とメールしている。
最初はどんな感じの文章にすればいいかと右往左往していたが、紆余曲折の末、虎之助の意志を尊重しつつ会長がサポート、という形でなんとか収まっている。
虎之助と北条帰蝶の関係がどうなっているかは、ユピテルや会長の会話の端々から聴き取れた。
端的に言うと可もなく不可もなく、といったところだろう。
これをプラス評価していいのか、マイナス評価していいのかは知らない。
しかし、少なくとも会長はこの成果を芳しく思っていない。
とまぁ、虎之助の話はこの辺でいいだろう。
実は今、虎之助と同じくらい俺も悩んでいる。
もう円形脱毛症になるんじゃないかってくらい日々悶々としている。
原因の一端としては虎之助の件。嘘をついてしまった件。
そしてもう一端は言うまでもなく会長とユピテルの告白である。
あの日から俺は体調不良(仮)ということで、なんとか二人と距離を置いているが、それも限界のようだ。
そもそも恋愛童貞(真)の俺には対処のしようがない。
お手上げ状態だ。もうこれはいっそのこと――――。
「ねぇ小太郎」
「……」
振り向くと会長の顔があった。数学の教科書に腰を下ろして俺の顔を見つめている。
ちょっと照れるので俺は目を逸らす。それでも彼女は続けた。
「会長とユピテルの告白ってどういうことかしら。ユピテルもあなたに何か言ったの?」
なるほど、どうやら独り言を聞かれていたらしい。
俺の独り言に質問してくるとか、それもう独り言じゃなくて、無意識的な会話なんじゃないの? って思ったがそんなことはどうでもいい。彼女はお構いなしに続ける。
「体調不良(仮)ってただの仮病よね? どういうことかしら」
それはなんというか……その通りです。俺は視線を会長の目と目の間に向ける。
「俗に言う『なんか体調が優れない』ってやつだ」
「私たちの身体にそんな症状は起きないわ。そんなことより答えをまだ聞いてないのだけれど」
どうやらあの告白は本気らしい。
ここ最近は仮病を使ってぼーとしていたが、ばれてしまった今彼女の告白とは真摯に向き合わなければならない。独り言ってただの短所だったんだな……。
「……」
俺はふと絨毯に目を向ける。そこにはいつもと変わらず元気なユピテルと、こちらも変わらない虎之助がゲームをしていた。画面を見るに『おいこら! どうぶつの森』をやっている。
ひとつひとつ答えてやるべく俺は視線を戻した。
「ユピテルからのは告白っつーより相談だ。体調不良(仮)は仮病。そして会長の告白にはまだ答えられない」
俺が言うと会長は言葉の真意を探るかのようにこちらを睨む。
なんとなく目を離しちゃいけないような気がしてそれを受け止めた。
「そう、私のことはいいわ。これから先も長いわけだし必ずあなたを手に入れて見せる。それよりユピテルの相談って?」
おいおい、この人いまさらっと爆弾発言しなかったか?
「していないわ」
そう、していない。断固していないのである。誰だ、いま爆弾発言がなんとかって言った奴は!
まぁそれは置いておいて、ユピテルの相談を会長に言えるわけもない。
だからといって言わないと俺の命が危ない。
核心に触れないように言葉を選ぶ。
「まぁなんだ、好きな人が出来たってだけだ。気にするな」
「なっ! ……す、好きな人ですって! ど、どういうことかしら……」
会長の顔がみるみる赤くなった。
視線は鮪のように泳ぎ続け、手足をペンギンのようにバタつかせる。
へー、変わった生き物だな、なんて思っていると会長ははっとインスパイアされた。
「そういうことね……。ユピテル! こっちへ来なさい」
「えー、今いいところだからパス」
会長の鬼気迫る声音にユピテルはあっけらかんと答える。
うわぁ、会長のボルテージが急上昇してる……。
そしてカツカツと机の上を歩くとケースからビービー弾を取り出した。
第一球、振りかぶって……投げた!
「ったーい!」
おーっと、デッドボールだ! 「ユピテルさん大丈夫ですかねぇ」「いやぁ、あの豪速球が頭に直撃ですからねぇ。生命に関わりますよ」「うーむ、これはさすがに危険球で退場でしょう」なんて脳内実況しているとユピテルが顔だけこっちに向ける。
「奈央ちゃんのバカ! 大好き!」
そういうとべーっと舌を出す。そして翼をぱたぱたさせて飛んできた。
なんかちょっと嬉しそうだな。これはこれで捗るのかもしれん。
ユピテルが嬉しそうな、それでいて怖がっているような表情を会長に向ける。
「小太郎に何を相談したの? 早く言いなさい」
「え、えー? そんな……奈央ちゃんには絶対言えないよー」
ユピテルはさながら小動物のように手をもじもじさせる。どうぶつの森にこういう奴出て来るよな。
しかもこういう奴に限っていきなり引っ越したりする。
「なぜ言えないの? もしあなたも小太郎のことが――――――」
「奈央ちゃんが……」
ユピテルが会長の言葉を遮った。おいおいまさか、このタイミングで……?
「好き!」
おお、なんという急展開。ユピテル本気だったのかよ! なんか俺元気になって来たぜ!
美少女と美少女の百合なんて滅多に目られるもんじゃない! 俄然やる気出てきた。
俺は鼻息を荒くして見守る。
「あ、あなた何を言っているの? 私はあなたが小太郎に何を相談したか聞いてるのだけれど」
さすがの会長も平常心を失っているようだ。いやいや、静かに見守ろう。
「私が小太郎君に相談したのは奈央ちゃんのことなのっ! 私は奈央ちゃんが好きになっちゃったの! ……たぶん」
ユピテル・ヴィーナスの猛攻は続く。
「本当はね、奈央ちゃんのこと嫌いなはずだった。私にピーピー弾投げてくるし、ビービー弾ぶつけてくるし、ビービー弾当ててくるし」
俺はつっこまない。
「でもね、ある時気付いちゃったんだ。あれ、なんか気持ちいいかもって……」
絶対につっこまない。
「それからね、奈央ちゃんにイジメられるとドキドキしたり気持ちよくなったり、でもでもやっぱり痛くて……よく分からなくなっちゃったんだ」
開いた口が塞がらない。
「でも、虎ちゃんを見て思ったんだ。あ、これって恋なんだって……。だからちゃんと言わせて! 私は奈央ちゃんが好きっ!」
気付いたら俺は拍手をしていた。
なんという気概だ。なんという偏った愛情だ。俺には到底理解できない。
だが、ユピテルの気持ちは俺の心に確実に響いた。
この恋は本物だ。
誰にも理解されなくてもいい、それでも私はあなたが好きだ! 好きだってばよ!
目がそう語っていた。
会長は目を閉じて胸に手を置く。そして静かに口を開いた。
「ごめんなさい。それは無理よ」
「え……?」
答えはシンプルで残酷なものだった。
緊迫した空間に『おいこら! どうぶつ森』のBGMだけが静かに響く。
「あなたのことは嫌いではないわ。でも、私にはもっと大事なものがあるの」
会長の首がゆっくりと回転する。ま、まさかここで……?
「わ、私は……小太郎のことが好き」
言ってしまった。ユピテルの哀愁漂う視線がすげぇ辛い。
「私も最初は小太郎のことなんて大嫌いだった。勉強も出来ない、運動も出来ない、まともな行動も取れない。何もかもが人間の下位互換。どうしようもないクズ。でも、気付いたらそんな小太郎を目で追っていた……」
最後だけうっとり言うな。あと俺をゴミカスみたく言うなよ。ちょっぴり傷付くだろうが……。
「そして私も虎之助を見て思ってしまった。嗚呼、これが本物の恋なんだと。アニメの中で付き合ったタカシは若気の至りだったのだと……」
とりあえずタカシに全力で謝ってこい。
「最後にもう一度だけ言うわ。私はあなたのことが好きよ。小太郎」
「……」
こっちも負けず劣らずの偏愛だった。
しかも目で追っていたっていうけど、俺からしたらただの恐怖だった。
もはやサバンナのジャッカルの気分。
しかし、会長も本気だ。さっき伝えたばかりの言葉をもう一度羅列する。
「さっきも言ったがまだ答えられない。俺自身が一番動揺してるからな」
俺は決断できない。アニメの中でも、現実でも。
会長は先延ばしされた言葉に文句を言わなかった。でも、ユピテルはそうはいかない。
「な、なんで奈央ちゃん。私こんなに好きなんだよ? いつも私を可愛がってくれてたじゃん……」
その叫びは悲痛だった。目からは涙が零れ落ちていた。(幻覚です)
「ごめんなさい。あなたを可愛がっていたつもりはないわ。ただ……そうね、鬱陶しくて目障りで辟易していただけよ。その胸に」
「あ、ありがとう……奈央ちゃん」
なぜかユピテルは恍惚とした表情を浮かべる。
ユピテルの特殊フィルターにかかれば言葉の暴力さえも愛情へと変化するらしい。
「私諦めないからねっ!」
「お好きにして頂戴。私も諦めないわ小太郎」
「あぁ俺も諦めないぜ虎之助」
「「虎之助?」」
「いや、冗談だから……」
二人の恋は本物だ。
でも、三人の視線が交錯することはない。
こうして昼ドラも呆れるような泥沼の三角関係宣言は幕を閉じた。
いや、幕を開けた。の方が適切かもしれない。
時刻は午後の十時。
『おいこら! どうぶつの森』のBGMは土砂降りの雨音でかき消され、
「あ、ゴライアスオオカブトだ。ラッキー」
虎之助の溌剌とした声が部屋に響き渡った。