【1/8ゲシュタルトの本領発揮④】
「えー、こちら超イケメン真田小太郎です。どうぞ」
少しするとガチャガチャと軽いノイズが入り、ユピテルの声が届く。
「こちらユピテル・ヴィーナスでーす。えっとね、私小太郎君に言わなきゃいけないことがあるの。どうぞ」
なんでこのタイミングなのか意味が分からない。が、とりあえず話を合わせてやるか。
「なんだおっぱい星人。どうぞ」
「私ね、好きな人が出来たかも知れないの……。どうぞ」
お前のこいばなに興味なんて……あるかもしれない。かもしれない。
「へぇ、お前主人公と結ばれたくせに他に好きなやつがいるのか。甲斐性がねぇな、どうぞ」
「仕方ないじゃん。人間だもの。どうぞ」
「人間じゃねぇけどな。で、相手は誰なんだ? どうぞ」
俺はここまで言ってようやく気付いた。
これはあれだ、ラブコメでよくある展開だ。
男が恐ろしいほどの鈍感で女心を全く察知できなかった挙句、女の方から告白するパターンのやつだ。
俺には縁もゆかりもなかったラブコメ……。
いかん、ユピテルのことなんてただのおっぱいとしか見てなかったのに急にドキドキしてきた。
やべぇ、告白されたらどうしよう……。
もう俺の頭の中に虎之助の恋なんてなかった。
そしてユピテルは開口する。
「私ね、奈央ちゃんが好きなの……」
「……」
どうやら耳掃除を怠っていたみたいだ。耳掃除は大事。
「誰が好きだって?」
「ふえ? だから奈央ちゃんが好きみたいなの、私」
「……」
駄目だ、俺にはよく分からん。興奮により脳みそが沸騰したと思ったら、カミングアウトにより混乱して、ついには脳からの電気信号が遮断された。(錯覚です)
俺は震える手でトランシーバーを何とか握り直し、
「そ、そんなことより、いまは、とらのすけのことに、しゅうちゅうしろ、いじょう」
思わず電源を切った。
まさに青天の霹靂。この事案は確実に俺の範疇を超えている。
それによく考えればこの告白は辻褄が合っていない。
ユピテルはいつも会長に散々イジメられている。あんなに酷い扱いをされて好きになる筈がない。
むしろ敵視するのが至極当然だろう。
そうだ、きっと何かの間違いだ。
「ハハハ……ハハ……」
俺はトランシーバーを会長のチャンネルにアジャストさせる。
まだいくらか手が震えていたが、これは何かの間違いだと自分の中で決定付けたことで、少しずつ落ち着きを取り戻していた。
PTTボタンを押して口を開く。
「こちら真田小太郎。どうぞ」
「こちら神谷奈央。どうぞ」
いつも怖いはずの会長の声がなぜか心に沁みる。俺は気持ちを完全に切り替えて最終確認に入る。
「北条帰蝶が出て来たら連絡する。次は本番だ。よろしく頼むぜ、会長。どうぞ」
「えぇ任されたわ。それより小太郎、あなたに言っておきたいことがあるのだけどいいかしら。どうぞ」
なんか聞いたことのあるセリフだな。デジャブだろうか……。
「どうしたんだ? どうぞ」
俺は努めて平静を装って言う。すると若干のタイムラグがあったあとに会長の声が届いた。
「ちゃんと聞いてほしいのだけど、私その、小太郎のことが好きみたいなの……」
「……」
みなさんに問いたい。耳の神経って死んだりするのだろうか。
「……はい?」
「だから小太郎のことが好きなんだってば。二度も言わせるな、恥ずかしい」
「……」
答え、よく分からない。
完全に切り替えたはずの気持ちに容赦なく動揺が襲い掛かる。
冷静になれ真田小太郎。まずさっきのユピテルの話は百歩譲って認めよう。
同性の恋愛なんて決して不思議なことじゃない。辻褄が合わないような気がするが千歩譲ろう。
しかし、あの神谷奈央が俺のことを好きになるのは一万歩譲ってもあり得ない。
ユピテル同様、俺にも相当きつく当たるのが会長だ。
その会長が俺のことを好きになるなんて茶番もいいところだ。
「また、れんらくする、いじょうだ」
「ちょ、こた――――」
チャンネルをデフォルト値に戻す。そして盛大にため息を吐く。
「一体なんだってんだ……」
もう俺の脳みそでは処理しきれなかった。(ありません)
二人の告白を思い出すが、どう考えても信憑性がない。
しかしまぁ、今ここで考えてもしょうがない。
あいつらとは部屋でもずっと一緒だ。そん時に聞けばいい。
自己解決が無事済んだところで、ふと外を見る。
真っ赤な夕日が西に沈もうとしていた。
空は橙色に薄いグレーが混ざり合い、煌々とした光もその存在感を落とし始めている。
夕方と夜の中間、そんな印象だ。
「まったく……」
会長は何を企んでいるのだろうか、ユピテルはどうしてしまったのだろうか。
忘れようにもその言葉の威力がテポドン級なので忘れられない。
「ここで考えてもしょうがない」
さっき思ったことをもう一度口にする。
そして思った。
あれ、そういえばなんか忘れているような――――。
とその時、ちょうどチャイムが鳴り響いた。
その音を合図に華道部の部室ががやがやと騒がしくなる。
ざわめきがひと段落すると部室の扉が開いた。
そして北条帰蝶が出てきた――――みんなと一緒に。
和気藹々と会話をしながら昇降口へと向かっていき、俺はその背中を目で追う。
掛けられている時計に目を遣る。
午後六時。
完全下校時刻だった。
全身をわなわなと震わせて小さくなっていく北条帰蝶の姿を見る。
呼吸が激しくなっているのを感じた。
彼女がトイレを過ぎるのとほぼ同時に見覚えのある少年が近づいてくる。
その少年の目はいつもと同じ。
少年は口開く。
「北条さん、トイレに行かなかったの?」
やってしまった。
――――完全に忘れていた。
俺は目を伏せることしか出来なかった。
もしかしたら北条帰蝶はトイレに行かなかったのかもしれない。
しかし、もし行っていたとしても混乱していた俺は気付けていなかっただろう。
結果は関係ない。
俺は虎之助のことを忘れていた。
完全に忘れていた。
「あのさ」
正直に言おう。
『すまん、色々あって忘れちまった』って。いつも通り軽く言えば虎之助は許してくれるだろう。
でもその気持ちと同じくらい『今なら誤魔化せる』という気持ちが混在していた。
虎之助がしゃがんで俺の顔を覗きこむ。
大切な人だからこそ素直に言わなければいけない。
頭では理解しているのに。
俺は最低だ。
「どうやら北条帰蝶はトイレに行かなかったみたいだな」
俺が言うと虎之助は一瞬固まる。
そして笑ってくれる。
「そっか、トイレにずっといて退屈だったよ。じゃあ僕らも帰ろ」
小太郎が俺をそっと持ち上げる。
鞄に入れるとそのまま階段を上った。
「仕方ないよ。こんな日もあるさ」
頼むから喋らないでくれ。
頼むから優しくしないでくれ。
覆した水は盆に返らない。
俺が言った嘘ももう取り返せない。
涙はやはり出なかった。
翌日。
虎之助は自分の力でアドレスを手に入れた。
俺はまた役に立たなかった――――。
そして、虎之助に嘘をついた――――。