3◆犬と猫
硬い形質の岩山をくり抜いて造った部屋の中に、獣の耳とふさりと垂らした獣の尾を生やした男たちがいた。がっちりとした大柄の壮年の男とそれより若干若い細身の男で、詰襟をピッシリと立て、長い裾を太い腰当てで締めていた。実直でありながらも上品な家具に囲まれて、二人は机上に広げた地図や報告書を見据えていた。
そこに、同じような姿の若い男がやってくる。
「報告します! また奴らが現れました。ですが、今回も取り逃がしてしまいました」
それを聞いた壮年の男、マクルードは眉間に皺を寄せ、地図の上の敵拠点を示した印を怒りの籠った目で睨んだ。
「奴らの様子は?」
「それが……宴を開いているそうです」
「宴?」
「はい。村に小さな獣を招き入れ、持て成しているように見える、と監視哨の報告です」
「なんだそれは?」
「見たこともない生き物らしく、正体は不明です」
「……分かった。下がれ」
「はっ!」
伝令の男が部屋を出ていくと、細身の男、オルムスがマクルードに伺った。
「首領、計画を変更しますか?」
首領――村を率いる代表者であり、内政と軍政の両方を担う者であるマクルードは、地図上の敵を見立てたコマに自軍のコマ弾いてぶつけた。そして、目線をそのままに宣言する。
「イレギュラーがあろうと、もう待てぬ。計画通り、明朝猫どもを叩く――!」
「御意に」
マクルードの腹心であり、補佐官であるオルムスが右手を腹に宛てて腰を折った。
そう。これ以上、奴ら猫どもをのさばらせて置く訳にはいかん。
我らの畑や食料庫を略奪する盗人ども。
奴らは、我らの目を掻い潜り、風のようにするりと略奪行為を働く。大抵、奴らがいなくなった後に食料がなくなったことに気づく。姿を目にしたと思えば、曲芸師のような動きで、我らを翻弄し、逃走を許してしまう。時には泥を、香草をその体に塗りたり、鼻に頼る我らを欺く。そして、身軽さを最大限に生かした方法で、進入しては逃走を謀るのだ。
警戒態勢を強めると、忽然と静かになる。そして、気を許した時。一瞬の気の緩みをも見抜くかのように、奴らはするりと略奪して行く。
猫どもに使者を送り、抗議すると、奴らは「そんなことは知らぬ」とぬかす。もはや忍耐は底を尽いた。
我らキュノケバロイは、バステトのために作物を育て、狩りをしているのではない!
猫どもをこの地から追い出すまで、この戦は終わらないだろう。
◆
宴の余韻がまだ残るバステトの村。
住人たちがそろそろ休もうかとそれぞれの家に帰ろうという頃、村から数キロ離れた森の中をゆっくり進める大きな影があった。四人掛かりで押し進める大砲が数台。それを守るように配置された兵。詰襟の服の上に皮の胸当てやひざ宛、ヘッドバンドを着込んだキュノケバロイの連隊だった。
「大変だ! キュノケバロイが攻めてきやがった!!」
うとうとと気持ちよくうたた寝していたブチは不機嫌をあらわに小さく唸った。
しかし、ブチに構う者はおらず、緊張感を孕んだ喧噪がその場を支配した。
「なにッ!? どこまで来てんだ!?」
「直ぐそこだ!!」
先程までの和やかな宴の騒がしさとの差異に、ブチは不機嫌を引っ込めた。
バステトたちは皮の防具を身につけ、弓矢を手にしたり、鋼の鉤爪や剣が飛び出した手甲を装着しながら、声を張り上げた。
「ふん! どうせ犬っころは、崖を駆け上っては来んッ。投擲用の石を用意しようぜ!」
「いや、奴ら大砲を持って来やがったぞ!!」
「なら、突撃噛ますだけだ!!」
爆発音が大気を揺るがせ、建物が崩壊する音がした。
「やりやがったなッ」
爆音は連続的に起こった。空から鉄球が弧を描いて飛んできては、村に降り注ぐ。着弾した地面が抉れ、簡素な家は簡単に崩壊し、あちらこちらで轟音がした。
「アルガイオス様、見ててくれ! 犬っころを蹴散らしに行ってくるからよ!」
赤茶色の髪の若いバステトの男が、ブチに向かって叫んだ。
アルガイオスとは、ルシュルにつけられたブチの名前だった。
「みゃーう」
まぁ、がんばれ。ブチはそう応えた。
猫は個人主義で、基本的に人様の喧嘩にちょっかいを掛けない。
「おう! 行ってくらぁ!」
男は、嬉しそうな顔で勝気に飛び出して行った。
「アタシも行ってくる!」
それにルシュルが続いた。
ブチは降り注ぐ鉄球の軌道から逃れながら崖の縁まで歩んだ。低木に身を隠しながら下を覗くと、絶壁を駆け下りるルシュルが見えた。
そのルシュルに鉄球が飛んでくる。ルシュルが着地しようとする所を狙った鉄球を彼女はすんででひらりと身を捻って避けた。着弾の衝撃によって飛び散った岩の破片がルシュルを襲うが、それを腕で顔を守りながら、ルシュルは駆け下りて行った。
ブチやエントに怯えていた彼女とは思えない、その勇敢な姿にブチは驚く。
いつの間にか、先に飛び出した赤茶色の髪の男を抜かし、地面に降り立つルシュルは、そのままキュノケバロイの連隊に突進した。
キュノケバロイたちは、身を隠すことのできる大きな盾を構えたまま、その場から動く気配がない。バステトたちが一方的に突っ込んでいくと、盾壁の後方から矢が飛んできた。
頭上から飛んでくる矢を持ち前の柔らかさと瞬発力で擦り抜けるルシュル。眼前で矢に倒れる仲間がいようと立ち止まることなく、その並外れた動きで敵の前に躍り出た。
キュノケバロイたちは盾を前面だけではなく、その頭上にも掲げていて、まるで亀の甲羅のような強固な防御体勢だった。これではバステトの機動力と跳躍力を活かすことができない。そう判断したルシュルは、自分のできる唯一の有効手段を取った。
体当たり。
走行の勢いを利用して噛ました、ルシュルのタックルを受けた敵は、近距離で固まっていたためにドミノ倒しのように体勢を崩した。その機を逃がさず、後続のバステトの男が盾から体を晒した敵に飛び掛り、鋼の鉤爪を見舞った。
体当たりで一瞬動きを止めたルシュルに、キュノケバロイたちの剣が襲う。首や胴、脚を狙ういくつもの剣を体当たりの反動を利用して避けるが、交わし切れず、頬や胴体に浅くない傷を負ってしまった。
キュノケバロイの中に突撃したバステトの男も同じく狙われ、負傷する。そして、強硬な盾が壁のように脱出を阻み、その場で崩れてしまった。崖上でブチに威勢を見せていた赤茶色の髪の男だった。
周囲を見ると、同じようにキュノケバロイに囲まれ、ねじ伏せられるバステトがあちらこちらで見られた。脱出できた者も無傷とはいかず、バステトたちは疲弊していった。