007 黒い影は兆し
本日も快晴です。
依頼書のコピーを片手に、私たちはローザウィ商会の面接会場に行ってみた。
「でかっ!」
赤いバラの垣根が続く通りを、歩く事5分。
三階建ての大きな白い屋敷が見えた。
鉄製の壮麗な門の奥には、青い芝生と噴水、そして色とりどりのバラの庭。
屋敷には、緋色のバラと船をあしらったマークが描かれた、大きな看板が掲げてある。
その看板には、
【ローザウィ商会 ハスラータ支部】
と書かれてあった。
「支部なんだ」
「ローザウィ商会は、海洋都市リバイアに本部がある。国や大陸を股にかけて貿易を扱う、大きな商社だ。知らなかっ……たんだな」
ジェイスが諦めたように言い換えた。
はい。何も知らないです。西大陸なんて初めてですから。
しかし、
あの喧嘩っ早そうな赤毛のお姉さん、結構すごい人だったのか。
建物の入り口には、既に多くの冒険者で溢れ返っていた。
長い長い行列は、門の外にまで続いている。
これ、何人待ちですか。50人以上はいそうなんですけど。
「うわあ。依頼書が張り出されて間もないってのに、もうこんなに来てるんだ……」
ウンザリしながらも仕方なく、最後尾に並ぶ。
「まあ、内容が良いからな」
「だよねえ」
片道10万シェルは、結構な額だ。
それも危険と隣り合わせな討伐依頼ではなく、ただの護衛でこの報酬額。
もし道中何事もなければ、ただ優雅に船旅を満喫するだけで、10万シェルもの大金を手に入ることができるのだ。
復路も入れると20万シェル。
おいしすぎる仕事だ。運が良ければ遊んでお金がもらえるんだから。
超掘り出し物の好物件。飛びつかない訳がない。
並ぶ事、一時間。
私たちの前に並ぶ上半身裸の全身入墨オッサンに、幾度となくちょっかいをかける双子をどうにかこうにか押さえながら、一時間以上も並んで、やっと面接室まで辿り着いた。
面接する前から物凄く疲れた。やめてほんとマジで。
別れ際にオッサンがこちらを振り向き、殺られる!と思ったら、私たち全員に飴をくれた。
案外いい人だったのかもしれない。
通された部屋は、白を基調とした応接間。
白い長机にはバラが飾られ、椅子は向かい合って6脚ずつならんでいる。
向かいの真ん中の2脚には、右側に鼈甲色の縁メガネをかけた、黒茶ボブヘアの女性。
物凄い早さで書類になにやら書き込んでいる。机の上には次々と仕分けされていく書類の山々。
プロだ。事務職のプロフェッショナルがいる。
左側には、ワイルドな赤毛美女社長が、眠たそうに欠伸をしながら、頬杖をついて座っていた。
眠そうな赤い瞳と目が合う。
あ。
やっぱりあの時の人なんだ。
マゼンダ社長が椅子を蹴り倒す勢いで立ち上がった。腰に手を当て、赤いマニキュアの指先をビシッとこちらに突きつける。
「はい、採用!」
「うわ、ちょ、まだなにも言ってないんですけど」
ボブヘアの女性が、眉間に深い皺を寄せ、メガネを押し上げた。
「……社長。まだ自己紹介もして頂いてませんが」
「だって、この子たちなんだもの! 見間違えるわけないわ! 私を助けてくれたの! さっき話したじゃない」
「ですが、規則ですので。──では、お手数ですがパーティー名と、所属メンバー名、及び、職業、現在のレベルをおっしゃってください」
ジェイスが前に出る。
「【蒼銀の風】リーダー、ジェイス。重剣士。レベル87」
「レフト! 弓使い! レベル、23!」
「ライト! 弓使い! レベル、23!」
「夕月。魔導学者。レベルは96」
「はい、採用!」
ボブヘアの女性のこめかみがひくりと動いた。
「ですから、物には順番と言うものがあるんです。社長なんですから、もう少し落ちついて下さい」
「もう、セオっちは頭硬いなあ」
「社長が適当すぎるんです!」
「だって、実力はもうこの目で確認済みよ。もう1人の格好良い少年は分からないけど、私の勘では、結構な使い手だと思うわ」
「私としましては、冒険者とはいえレベル23の幼い子供がいる点と、初めて見る【魔導学者】という職業の性能が不確かな事、加えて、レベルの大きなばらつきが気になりますが……社長はこうと決めたら頑として変更して下さいませんので」
ボブヘアの女性は諦めたように溜め息をつきつつ、書類に印鑑を捺した。なんだか苦労性のオーラが滲みでている。
「では。【蒼銀の風】の皆様は、採用ということになりました。集合場所は、海洋都市リバイアの港です。出来るだけ精鋭の冒険者を集める為、リバイアでも募集をかけております。ですので、全ての方との顔合わせは当日ということになります。出発は一週間後の早朝7時です。各自、集合時間に遅れないように注意して下さい」
赤毛美女社長マゼンダが、親指を立ててウインクした。
「よろしくね!」
「こちらこそ!」
なんだかよく分からないが、採用してもらえたみたいだ。
よかった。これで100万シェルの旅費をちまちま貯めなくても、東大陸に行ける。
「あ、そうだわ!」
マゼンダは笑顔で両手を叩いた。
「丁度いいわ。この場を借りて申し訳ないんだけど、お礼を渡させてもらってもいいかしら?」
「お礼?」
「そう。さっき助けてくれたお礼。ちょっと待ってて!」
マゼンダは慌ただしく部屋から出ていくと、数分も経たずに駆け戻ってきた。少しもじっとしていない人だな。
「お待たせ! はい、これ!」
マゼンダが両手を広げる。手の平の上には、濃紺色の原石が三つ乗っていた。
私は目を見張った。
野球ボールくらいの大きさの鉱石だった。
冬の夜空のように深遠な濃紺の中に、大小の小さな無数の光が瞬き、大きな光を中心にしてゆっくりと渦を巻いている。
まるで、星雲を切り取って閉じこめたように、美しい石。
「これは……!」
【ネビュラストーン】だ。
【ネビュラストーン】
別名 星雲石
採掘地 氷山エリア
氷山地帯の山頂で、稀に見つかる珍しい鉱石。
夜空に瞬く星々と星雲を閉じこめたような美しい造形は、手にした者の目を奪う。
魔力を多分に含む。
高レベルな武器や装備品が作れる為、冒険者なら喉から手が出るほどほしい素材である。
〜鉱石リストNo.599より〜
……何故これほど詳細に覚えているかというと。
これを揃えるのに、私は散財したのだ。
今着ている最強装備を作るために、どうしても必要な素材だった。
あの時の苦労が走馬灯のように脳裏をよぎり、私は目頭を押さえた。
なんだろう。すごく嬉しいのに、すごくやるせない、この気持ち。
「あら、そんなに感激しちゃうほど嬉しかった? 何にしようか迷ったんだけど、冒険者ならこれのほうがいいかなって」
「きれい! キラキラ、いっぱい見える!」
「きれい! ピカピカ、いっぱい見える!」
ジェイスが驚いて目を見開いた。言いたい事は分かる。これは不相応に良すぎる御礼だ。
「こんな高価な物、受け取れないよ」
「いいのよ。懇意にしてる鉱石のバイヤーから、そこそこ纏まった数が手に入ったの。だから、気にしないで」
そうは言っても、結構な高額品だ。
1個でなんと、私が購入した時の時価で30万シェル。
これを10個揃える必要があり、私は一夜にして大富豪から大貧民に転落した。
「こんな高価な物貰えるほど、大した事はしてないよ」
「いいのいいの! 私の気持ちよ。受け取って。コレクションするも良し、売るも良し、装備を作るもよし、大事な人に何か作ってあげるもよし。好きに使っちゃって!」
「いや、でも」
ジェイスが私の背中を軽く叩く。
「御礼の品だ。感謝して受け取っておけばいい」
「そうそう! 格好良い少年の言う通りよ」
マゼンダが腕を組んで頷く。
まあ、そう言われればそうかもしれない。感謝の品を突き返すほうが失礼か。
私は高額希少金属に気が引けながらも、ありがたく受け取る事にした。
でも。
やっぱり、なんだか微妙に切ないです。
* * *
名残惜しそうな猫鳥亭のおかみさんに別れを告げ、私たちは早々に出発することにした。
地図によると、海洋都市リバイアまでは、街道沿いを歩いていけば3日で到着できる距離だ。
集合日はまだ先だけど、早めに出発しておいて損はない。街道もあるし、何も問題ないとは思うが、何も起こらないとも言えない。
用心に用心をして──
「こんにちは」
街道を歩いていると、後ろから声をかけられた。
振り返る。
背がやたら高い、上から下まで黒い男が、にっこり微笑んで立っていた。
黒いコートを羽織り、フードを目深に被っている。
黒い大きなゴーグルをかけているため、顔はよくわからない。
分かるのは、肌が真っ白い事と。
フードから覗いている少し癖のある前髪が真っ黒な事。
人族か、エルファーシ族だろうか。
声の具合から、私よりも少し年齢が上くらいの青年。
はっきり言おう。
怪しい。
怪しすぎる。
珍しくナンパされた!と喜ぶには、あまりにも怪しすぎた。フードにゴーグルなんて、顔を隠しているとしか思えない。顔を隠さないといけない理由なんて、ロクなもんじゃない。
「ど、どうも」
黒い男がくすりと笑った。
「そんなに警戒しなくてもいいじゃないか。ただの、通りすがりの冒険者だよ」
そんな事、自分で言うくらい怪しいヤツはいない。
レフとライが、興味津々に目を輝かせ、匂いを嗅がんばかりに黒い男に近づいた。
「チビども。こっちへ来い」
ジェイスが呼び戻す。声が堅い。私と同じように、ジェイスも警戒しているようだ。だよね。だって怪しすぎる、この男。
双子はしぶしぶジェイスの側へ駆け戻った。
「何か用か」
黒い男が、ジェイスを見て肩を揺らして笑った。
「だから、そんなに警戒しなくてもいいって。何もしやしないよ。ただ、お嬢さんと話がしたかっただけさ」
え。
「わ、私?」
なんてことだ。
お嬢さんって言われた。
嬉しいはずの言葉なのに、怪しい男の言葉なので逆に気味が悪い。
「何でしょうか」
「ふふ。まあ、そんな硬くならないで。フランクにいこうよ。同業者じゃないか。俺の名前は、シュバル。君は?」
こういう場合、名乗るのはマズイ気がするけど。
この得体のしれない男を怒らせるのもマズイ気がする。
ここは、名乗っておく方が、無難かもしれない。
「ゆ、夕月」
「夕月ちゃん、か。よろしくね」
男がにっこりと微笑む。
「じ、じゃあ、先を急ぐので……」
私はジェイスを振り返る。ジェイスも頷いて、双子を促して歩き出した。怪しいヤツには関わらないほうが得策だもんね。
「まあまあ。先は長いんだし、ゆっくり行こうよ」
急いでるって言ってるのに。なに言ってんだ、この男。空気読め!
不信感丸出しな私の視線を一向に気にする風もなく、黒い男は隣に並んで歩き出した。
「昨日、街で見かけてさ。気になってたんだ。巻き込まれて大変だったね」
あの弥次馬たちの中にいたのか、この男。
「手を貸そうかと思ったんだけど、あっさり倒しちゃったからさ。すごいね、君」
「どうも」
黒い男が、笑みを浮かべながら私を見下ろした。ゴーグルが黒いから、表情がよく読めない。
「綺麗な黒い本、持ってたね。魔導書?」
「そうです」
「俺も魔道士の端くれでね。見た事ない魔導書だな〜って思ってさ。ちょっと見せてほしいんだけど、いいかな?」
まあ、見せるくらいならいいか。
見せて納得したら、離れてくれるかもしれないし。
私は黒本【暝の書】を装備した。
まるで宇宙を切り取ったかのような表装。とても綺麗で、気に入っている。
黒い男が、表装に触れる。星が瞬くように、漆黒の表装の中、きらきらと煌めく光を、物珍しそうに撫でる。
「……なるほど。確かに、魔導書だ。なんていうの?」
「【暝の書】」
「ふうん。【暝の書】、ね」
男はしばらく触ったあと、納得したのか手を下ろした。
「見せてくれてありがとう。なかなか、すごい魔導書みたいだね。大事にした方がいい。──誰かに盗られないように」
はっとして、私は黒い男を見上げた。こいつ。
シュバルは小首をかしげて笑った。
「俺はそんなことしないって。本当だよ。それにしても、君もなかなか興味深い。君、【魔導学者】だろう?」
私は驚いた。
初めて、西大陸で私の職業を知っている人に会った。
「知ってるんですか?」
「まあね。昔の古い知り合いに、同じ職業のヤツがいたから」
何!
私はシュバルに詰め寄った。
もしかしたら、私と同じように連れて来られた人かもしれない!?
「そ、その人は、今、どこに?」
「ん? ああ、あいつはねえ。ずうっと昔に死んじゃった。ちょっとした事故でね」
死ん、だ?
私は肩を落とした。
そんな。
何かの手がかりになりそうだったのに。
シュバルが、私の肩に手を置いた。
「ねえ、夕月ちゃん。ここで会ったのも何かの縁。どうだい、俺と一緒に行かないか?」
「は?」
「──と誘いたいところなんだけど、後ろの弟君が、ものすごく睨んでるからなあ。諦めるとするよ」
ジェイスのことだろうか。ええと、彼は私の弟じゃないんですが。
まあ、似たようなものといえば、そうかもしれない。私の本当の弟と、歳も同じくらいだし。
シュバルが離れた。
「じゃあ、またね。夕月ちゃん。そうだ、俺も東の大陸に渡るんだ。向こうで会ったら、よろしくね」
すごく、よろしくしたくないんですけど。
というか、もう会いたくない。
シュバルはそれだけ言うと、分かれ道で立ち止まり、手を振った。
私は胸をなで下ろした。リバイアまで一緒だったら、神経が擦りきれてたかもしれない。
なんか、勘だけど、あの男、気を許したらいけない気がした。それに、ものすごく怪しすぎるし。
それにジェイスは終始不機嫌だし。
「行くぞ」
ジェイスが私の背中を押した。
変な男だったなあ。
結局、ナンパだったのか、ただ黒本が見たかっただけなのか、よくわからなかったけど。
まあいい。
もう会わないだろう。
……多分。
「あ! 鳥!」
「鳥! 大きい鳥!」
レフとライが、空を見上げてはしゃいでいる。
「鳥?」
つられて見上げると、白い雲が大きくたなびく青空のなか、ずっと高いところを、大きな影が飛んでいた。あまりに遠くて、目を凝らしてみても影の様にしか見えない。
鳥……か? あれ。
ちょっと、鳥にしては、大きすぎませんか?
ていうか、本当に鳥?
羽が何枚も、ついてるっぽいんですが。尻尾も、やたらと長いし。
「……あれって、鳥なの?」
「……さあな」
ジェイスは睨みつけるような視線を空へ向けたまま、眉間に皺を寄せて答えた。まったく、機嫌悪いなあ。
そうだ。
こういう時は、甘い物だ。
私はとびきり甘い菓子をとり出すべく、旅鞄の中を探ることにした。