005 道程は遥か遠く
ジェイスが連れて来てくれたのは、人で溢れ返る中央通りからだいぶ離れた、宿屋通り。
小さな宿が建ち並ぶ中の、一際こじんまりとした一軒の宿屋だった。
2階建て、客室は全部で7室。
南プロヴァンス風の外観と内装をした、家庭的な雰囲気のする宿だ。
猫鳥亭、と彫られた木の看板が、入り口にぶら下がっている。
扉には、頭に猫耳がついた白い海鳥のステンドグラス。ナルホド。猫鳥ってこんな感じなのか。びっくりだ。
1泊1人300シェル。朝夕食事付き。
中級冒険者には丁度いい感じの部屋とお値段。
しかも、個室にシャワー・トイレ完備。
──そう。
この世界、風呂もトイレもある。
食べないとお腹が空くし、動けば汗もかく。長く風呂に入らなければ臭くなるのも、冒険者協会にいた無精な奴等から確認済みだ。
ちょっとこれ、どこまでリアルを追求してるんだよ。
嫌な感じにリアルなんですけど。
「1部屋しか空いてないのか?」
ジェイスがカウンターの宿帳を前に、腕を組んで唸った。
ふくよかなおかみさんが、申し訳なさそうに頭を下げる。
「せっかく来てくれたのに、すまないねえ。ちょっと前に、行商人の人たちが大勢入ってきちゃってさ」
「行商人?」
「そう。近々、この街で大きな卸売り市があるんだよ。今なら、二人部屋が一室だけ空いてるけど、どうするかい?」
「どうするもこうするも。仕方ない。夕月とチビたちだけで一部屋、頼む。俺はその辺のソファーにでも寝させてもらうから──」
何を言い出すかと思えばこの少年は。
「駄目だって! ちゃんと布団で寝ないと、疲れは取れないよ! 私はちびちゃん達と一緒に寝るから、君もちゃんとベッドで寝たほうがいい」
「いや、だから、俺は」
「大丈夫。気にしないでいいよ。うち、弟妹いるから、雑魚寝には慣れてるんだ」
悩むジェイスからペンを引ったくると、私は宿帳にサインした。
「お、おい!」
「いいからいいから。私、どんな場所でも寝れる自信があるから」
通学中のバスで爆睡、なんて日常茶飯事だ。
「そういう意味じゃなくて──」
「ここまで野宿の強行軍だったんだから、今日ぐらいちゃんとしたベッドで寝て、ゆっくり疲れを取ろう。【疲労】のバッドステータスは、地味だけど侮れないよ。冒険者なら、知ってると思うけど」
ね、と諭す。
ジェイスは大きく息を吐くと、仕方なさそうにおかみさんから鍵を受け取った。
早めの夕食を次々と平らげる私とジェイスと双子をみて、ふくよかなおかみさんが大きな口を広げて笑った。
「あはは! 随分お腹空かせてたんだねえ! たっぷりお食べよ。ほれ、ピザ1枚サービス!」
「わあ! もう、おかみさんの子供になってもいいですか!」
「うふふ。いいわよ〜」
この宿にして、本当に良かった。
おかみさんはいい人だし、何よりおかみさんの作る料理がめちゃくちゃ美味しい。
【シーフード鬼盛りパエリア】とか、【海鳥卵の半熟カルボナーラ】とか、【マシュールキノコのピザ】がもう、ほっぺたが落ちるほど絶品でした。
私の知らないレシピだし。あとで教えてもらおう。
冗談に笑いあう。なんだかもう家族みたいな雰囲気。
──家族。
窓に目を向ける。
外の通りには、陽が落ちかけている中、宿や家へと急ぐ人々が、足早に歩いているのが見えた。
帰る場所がある人々。
兄と、弟と、双子の妹たちは、今頃、どうしているのだろうか。
「おやまあ。おちびちゃんたちは、眠そうねえ」
テーブルを挟んだ向かい側を見ると、レフとライは手にフォークを握ったまま、取り分け皿に頭をぶつけそうなほど船を漕いでいた。カルボナーラまみれになる前に、慌てて皿を引いてやった。
私の隣に座っていたジェイスが席を立った。
テーブルの向こうに回ると、1人ずつ、左右の小脇に抱える。私よりも細い身体のくせに、以外と力持ちだ。ああ、そうか。半分竜だからかもしれない。
「寝かせてくる」
「あ、手伝うよ」
「いや、大丈夫だ。お前は食ってろ」
「でも」
「別にいい。こいつらをベッドに放り込むだけだからな」
ジェイスは双子を小脇に抱えたまま、二階に上がっていってしまった。
というか、ちょっと。その持ち方はどうかと思うんだけど。荷物じゃないんだから。
「じゃあ、お言葉に甘えさせてもらおうかな〜」
残された私は、【赤オレンジのパンプティング】の残りにスプーンを突っ込んだ。このレシピも欲しいな。柑橘系のさっぱりとしたリキュールソースと甘いプティングが絶妙だ。
一連のやり取りを見守っていたおかみさんが、優しげに微笑んだ。
「ふふ。なんだかんだ言って、ちゃんと面倒見てるじゃない」
首をかしげた私に、おかみさんがおかしそうに笑った。
「一年くらい前かしら。なにかの依頼の途中に、あの子達を拾ったらしいのよ。それで懐かれちゃって、困ってうちに連れてきたの。うちは子供がいないし、喜んで引き受けたわ。でもおちびちゃんたちが泣いて離れなくてねえ。仕方なく、戻ってくるからって騙して無理やりうちに置いていったの。でも、おちびちゃんたちは追いかけていってしまった。ほら、犬人族は鼻がとても効くでしょう? 結局、置いていく事もできなくなって、そのまま連れ歩いてるみたいね」
「そうなんですか」
お兄さん、と呼んでるけど、種族違うもんね。不思議な組み合わせだと思った。
「でも、おちびちゃんたちのお陰で、少し丸くなったみたい。昔はもう、本当、無愛想で無口で誰とも関わりたがらない人だったのよ。でも、本当はとても優しい人」
「ですね」
私は、あらためて幸運を噛みしめた。
一番最初に出会う人が良い人である、という確証なんてどこにもない。
もしかしたら、自分に害意ある人と遭遇していた可能性だって十分にある。
それに、どこから来たのかも分からない奴が、たった1人で森をふらふらしていましたなんて、ものすごく怪しすぎる。怪しすぎて思わず警察に通報しそうなレベルだ。放っていかれる可能性の方が遥かに高い。自分で言うのもなんだけどね!
そんな私を、仲間に入れてくれて、ちゃんと街まで連れてきてくれた。
これはもう、幸運以外の何ものでもないだろう。
感謝してもしきれない。
部屋のドアを開けると、一番に見えたのは、最奥の壁の大きな窓。
半分閉じられたカーテンの隙間からは、星空と、ほのかな明かりが灯る街並みが見えた。
綺麗な夜景。
でも。
私の知らない街。
左の壁際のベッドには、レフとライが寝ていた。仲良く寄り添って丸くなり、すやすやと寝息を立てている。
右の壁際のベッドには、ジェイスが腰を下ろして足を組み、荷物のチェックをしていた。
小まめな少年だ。うちのがさつな弟に見習わせたい。
私が入ってきたのに気づいて、ジェイスが顔を上げた。
「もういいのか?」
「うん。もうお腹いっぱい。ご馳走様でした」
私はチビちゃん達が寝てるベッドに腰掛けた。
静かだった。
仄かな明かりの部屋には、二つ分の寝息と、荷物を整理する音と、遠い喧騒だけしか聴こえない。
「ねえ、君はこれからどうするの?」
「どうするも何も。協会に行って、次の依頼を探すだけだが」
まあ、そうか。そうだよね。
「私、お金がいるんだ。それも結構な額」
「まあ、東大陸に渡るつもりなら、そうだろうな」
「という訳で、しばらくパーティ組んでいてもらえないかな」
ジェイスが手を止めて、顔を上げた。
「都合良いこと言ってるとは思う。でも、私1人じゃあんな大金すぐには貯められないよ。レベル96だし、結構役に立つと思う。頑張るからさ」
お願い、と私は手を合わせた。
ここで断られたら、私はソロで、100万シェルもの大金を稼がないといけなくなる。
食べながら、これでもいろいろ考えたのだ。
見知らぬ土地の、見知らぬ冒険者と新たにパーティを組む、という手段もあるにはある。けれど、それはできればしたくなかった。
私の話を気味悪がらずに聞いてくれる人が他にもいる、とはとても思えない。あの受付のお姉さんの反応が、きっと一般的なんだ。
それなら、ジェイスたちと一緒のほうが、気がとても楽だ。
あの凶悪兎を一緒に倒せたのだ。相性も悪くないと思う。
それに私、割と人見知りするし。
ジェイスの眉間にしわが寄る。
ダメか。ダメなのか。
「HP? HPの低さは、対応策があるから! 気を抜かなければ、そうそう死ぬ事ないから!」
「いや、そういうことじゃなくてな」
「じゃあ何? 何がダメなのか、理由をはっきり言ってくれないと分からない」
「お前、いいのか?」
「何が?」
ジェイスが口ごもる。
何なんだ。もう、すごい気になるんですけど!
私は思わず身を乗り出して、ジェイスの言葉を待った。
ジェイスが意を決したように小さく息を吸った。
「……俺は【半竜人】だぞ」
【半竜人】
モンスターリストNo.865。
倒せば、経験値が大量に手に入る。
レア素材の【竜鱗】も手に入る。
冒険者になんて知られたら最後だ。
「もちろん! ちゃんと分かってるって。秘密にしろって事でしょ? 大丈夫大丈夫! 誰にも言わないから。私の食材全部に誓ってもいい」
「いや、お前分かってないだろ。なんで食材に誓ってんだ。いや、違う。そうじゃなくて、お前な」
「何?」
「──魔物と、一緒のパーティでもいいのか?」
魔物。
私はジェイスを見る。
魔物。
モンスター?
いや。
目の前にいるのは。
幼い双子を養い、迷子のお姉さんの世話まで引き受ける、ただの人の良い少年にしかみえないんですが。
「私は別に気にしないよ。ていうか、もう普通に君、冒険者してるじゃん。てことは、もしかして、新種族として認定されてるんじゃないのかな」
ジェイスが呆れたように肩を落とした。
「そんな訳あるか。リストに載ってるだろ。ていうか、お前の普通の基準がわからん」
「普通の基準なんて、人それぞれだよ」
「……は。確かに」
ジェイスが、やっと少し笑った。私も笑う。
「じゃあ、オッケーということで」
「お前がそれでいいなら。こちらとしては、回復役がいてくれると助かる」
「おう、任せて! ……安心したら眠くなってきた。もう寝るね。おやすみ」
「そうか。じゃあ」
ジェイスが荷物を持ち、ベッドから立ち上がる。
「え、ちょっと、何処行くの」
「下の階だが」
「だから、気を使わなくていいって言ってるのに!」
私は立ち上がって、少年をベッドに押し戻した。足払いは得意だ。いつも弟にやっているから。たまにかけ返されるけど。
「お、おい!」
「ほら、寝て寝て!」
荷物を取り上げ、素早く布団を上にかける。ふふん。夜更かししがちな弟や妹にいつもやっている事だから、嫌がる人を寝かしつけるなんてお手の物だ。
少年の頭を、くしゃくしゃとなでる。
「お前な!」
「疲れている時に夜更かしは禁物! ほら、さっさと寝る!」
これも口癖。
布団の上を、ぽんぽん、と叩く。
ゆっくりと。何度も。一定のリズムで。
もう中学生になった弟でも、これをすると途端に大人しくなるのだ。
「明日のお弁当には、肉っぽいおかず、一杯詰めて、あげる、から」
なんだか、涙腺が熱くなった。
どうしているだろうか。
ちゃんと、皆はごはんと食べているのだろうか。
兄は、今時分、仕事から帰ってきた頃だろうか。両親を事故でなくしてから、親代わりで頑張ってくれた兄。きっと、心配してる。
弟は、あれで結構料理が上手だ。きっと妹達にもちゃんと食べさせてくれているだろう。
妹たちは、まだ甘えたい盛りだ。私がいないと、きっと泣く。
ああ。
今すぐ、飛んで帰りたい。
大丈夫だよって、安心させたい。
私は少しだけ、鼻を啜った。
「ごめん、なんか、ちょっと思い、出しちゃった」
しっかりしろ、自分。
やらないといけない事は、山積みなんだから。
「妹達、レフとライくらいでさ。ちゃんと、やってるかなあ」
ジェイスが小さく息を吐いた。
「……ガキはガキなりに、結構やるときはやるもんだ」
隣のレフとライに視線を送る。まあ、確かに。
「そう、だね」
きっと、大丈夫だ。うん。
皆、以外としっかりしてたりするもんね。
なんだかどっと睡魔が襲ってきた。気づかないうちに気を張っていたらしい。着替える気力も沸かない。風呂は、もう、明日にしよう。目を開けていられない。
もういい。今日は休もう。
何か、遠くでジェイス少年が慌てたようにしゃべっているけど、よく聞こえない。
全ての声が、音が、遠い。
頭が重い。身体も重い。凄い力で押さえ付けられているみたいだ。
起きなきゃ、と頑張ったものの、どうにも身体が動いてくれない。
ものすごく、眠い。
無理やり押し込めていた疲労が滲み出てきてしまったみたいだ。頭が重い。瞼も。抵抗しようにも睡魔は強力すぎて、いつの間にか、意識が黒く塗りつぶされてしまっていた。
改稿済み分を一挙に連続投稿。次話からは、更新が少しゆっくりになります。