003 血まみれ兎を追いかけましょう
子犬っ娘ズと、竜(?)のお兄さん登場。
行けども行けども森の中。
これは、もしかして、もしかしなくとも、森の奥へ奥へと迷い込んでしまっているのだろうか。
これって、やっぱり戻るべき?
「うーん、でもここまできたら、戻るのも無駄だしなあ。とりあえず、行けるとこまで、行ってみよう。と、その前に──」
私は敵に遭遇しないよう、【気配遮断】【物音遮断】の魔法スキルをかけ直した。
これで、よし。
魔物側から気づかれる事は、まずない。はずだ。
ただし自分より高レベルの魔物の場合は、気づかれる可能性が高くなるけど、やらないよりはマシだ。ていうか、気付かれたらレベル90越え確定のモンスターってことだ。嫌すぎる。それだけは勘弁して欲しい。遭遇しない事を祈ろう。
マップを確認する。
左寄りに蛇行した道が、オートマッピングされている。
途中何度か分かれ道があり、その都度左の道を選択したせいだ。
分かれ道があった場合、とりあえず左に行く事にしている。これ、マイルール。
しかし、ずいぶん歩いたなあ。
マップ名の欄を見ると、不明、と表示されたまま。
私は暗澹たる思いで、無情な文字を眺めた。
「本当に、どこなのさ、ここは……」
大きな溜め息をついていると、草を慌ただしくかき分ける音がした。
私は思わずびくりと肩を揺らし、腰を低くする。
ざざざ、と、何かが、草むらを走ってくる音がした。
ま、魔物!?
私は武器を装備して戦闘モードに切り替えてから、木陰に身を寄せた。
どんな魔物がでるのか、全く想像がつかない。ここは、一度様子を見てから判断した方がいい。それに、低レベルの魔物なら、隠れてさえいれば、私のレベルなら気づかれる事はない。
さて。何が出てくるか──
ざっ、と何かが二つ、街道に転がりでてきた。
ふわふわとした、ものが。
「──へ?」
幼い子供が二人。
道の中央に、手を繋いでちょこんと立っていた。
コピーアンドペーストしかたのように、姿形は全く同じ。
ふわふわしたおかっぱ頭には、大きなフサフサの茶色い犬耳。
左側の子の左耳だけに、丸い黒いブチ。
右側の子の右耳だけに、丸い黒いブチ。
背後で揺れる、大きなふさふさの茶色いしっぽ。
まるで鏡合わせのようにして、革製の旅鞄をたすき掛けにかけ、お揃いのキュロットと革製のサンダル、フード付のポンチョを着ている。
6歳くらいの子供サイズの、獣耳の双子の少女たち。
「け……」
ケモノ耳、きたああああ────!
超カワイイんですけど!
少女たちは私を見上げ、たたた、と駆けてきた。
え、私、声に出てた? それとも心の声が大きすぎた?
だってこれ、めちゃくちゃカワイイ……! なにこれ、連れて帰ってもいいですか。犯罪ですか。そうですか。
「やっぱり人!」
「やっぱり人!」
「匂い、した!」
「匂い、した!」
「におい?」
今、匂いって言った!?
私は思わず息を飲んだ。
もしかしてここ、【匂い】の設定もあるってこと?
何そのリアル設定。てことは、【匂い遮断】の魔法スキルが新規であるってことかも。
マズイ。それなら、【気配遮断】と【物音遮断】だけじゃ、不十分だ。
は、と気づく。
そういえば、一番最初に、木や草や土のにおいがした。したじゃないか。
あまりにも当たり前すぎて、気づけなかった。
「なんなの……此処は」
あまりにも、リアルすぎる。ゲームなのに、やたらと、現実っぽい。
私は額の汗を手で拭った。
手の平に、有機的な液体の感触。
これ、ゲーム──なんだ、よね?
双子が私の周りを飛び跳ねた。
「お前、冒険者か?」
「冒険者か?」
「え? ま、まあ、そうだけど」
「お前、ちょっと来る! 助ける!」
「お前、ちょっと来る! 助ける!」
畳みかけるリフレイン。
「ええと、君たちは……」
双子に両腕をがしっと掴まれた。
「「お願い、助ける!」」
ドルビーサラウンド。
「助ける? 君たちを?」
双子が首を振る。
「「違う! 灰色の竜のお兄さん!」」
「は、灰色の、竜のお兄さん?」
「「こっち!」」
「え、ちょっと!」
私は腕を引かれるまま、脇の草むらに引きずり込まれた。
腕を引かれるまま走る事、10分。
「ど、どこまで、走るの?」
「「もう少し!」」
「もう少し、って──」
鼓膜が破れそうなほどの咆哮がした。
脳がかき混ぜられるような振動。
地面を震わす獣の咆哮が、長々と森全体に響いた。
私と双子が、同時に耳を押さえてしゃがみ込む。
「な、なに、あの唸り声!」
普通の獣の咆哮じゃない。
咆哮の振動で、木々が、草が、騒めく。
聞く者を全て萎縮させ、震え上がらせるような、獰猛な声だった。
それは、まるで──
──ボスモンスターのような。
「ま、まさかね……」
私にひっついてしゃがみ込む双子の耳は、完全に後ろに伏せってしまい、ぷるぷると震えていた。大きな瞳には、零れんばかりの涙を溜めている。
だというのに、咆哮が収まるやいなや、双子は決死の覚悟をした表情で立ち上がった。
「「急ぐ!」」
双子がまた私の両腕を掴む。
「い、急ぐって」
「「早くしないと、灰色の竜のお兄さん、食べられる!」」
走る道すがら、道端の草むらに、灰色の血痕を発見した。
「血? じゃないか。体液?」
灰色の体液溜まりの中に、腕が一本落ちていた。
わざわざ凶悪に見えるように仕上げたのだと言わんばかりの、恐ろしい片腕だった。
腕を覆う鈍色の鱗に似た甲殻は、刃こぼれしそうなほどに厚く硬い。爪は大きく、肉食系の大型爬虫類のように太く鋭い。
肘の辺りで分断された傷跡は、もぎ取られたようにぐちゃぐちゃとしている。
もぎ取られた……?
吐きそうになった。あまり見ないでおこう。
「も、モンスターの腕かな?」
双子が慌てて腕を拾う。大事そうに。
「「違う! お兄さんの腕!」」
「お兄さんの腕?」
君たちの言う、お兄さんって、一体どんなヤツですか。
明らかに、人ではないですよね。
亜人種系なのだろうか。
ゲーム内に存在している亜人種は、この双子のような【犬人族】、【猫人族】、所謂エルフっぽい【エルファーシ】の三種類だ。
新たに新種族でも導入されたのだろうか。
硬い鱗があるから、竜人族、とか?
双子も、竜のお兄さん、と言っていたし。
それにしては、この腕……かなり、凶悪なんですけど。
どうみても、邪悪系なんですけど。禍々しさ大爆発なんですけど。
再び咆哮。
私と双子が耳を押さえてしゃがみ込む。
「ね、ねえ。君たちのお兄さん、って──」
双子が恐る恐る草むらから顔を出して、震える耳をぴん、とたてて辺りを見回しはじめた。
「いた」
「いた、あそこ!」
双子の指が指し示す場所に目を移す。
背の高い草むらの中、グレーなものがちらりと見えた。
「「お願い、お前、助ける!」」
「わ、分かった。わかったから、腕を放してくれる?」
双子はほっと安堵した表情で、私の腕を解放してくれた。
子供に頼られたら、大人としては答えてやらねばなるまい。それが大人の責任と義務だ。
「その腕、私に渡してくれる?」
はい、と双子がさしだす。灰色の体液にまみれた不気味な腕を、私は受け取った。
ずっしりとした重みが両腕にかかり、私は思わず呻いた。重い。これ、10kg以上はあると思う。
所持重量に補正がかかっていなかったら、移動にマイナス補正がかかっていたかもしれない。
それにしても。
どう見ても、やっぱり、何とかデーモンの腕にしか見えないんですけど。
私は双子に、私と同じ補助魔法をかけてやった。
灰色の腕を抱え直し、意を決して、グレーのものが見え隠れする場所に向かって、草むらを駈けた。
女は度胸だ。
いる。
岩の陰に。
なんとかデーモンのようなものが、座り込んでいる。
こ、コワ────!
ちょ、マジで怖いんですけど!
竜人族、じゃないよこれ!?
何の種族!?
全体的に、私より三回りは大きい身体。一応、人型はしている。ただ──
全身は灰色の硬そうな鱗で覆われ、手と足には太くて鋭い爪。
頭には角、口からは金属板もばりばり割りそうな牙が無数に並んでいる。
双子が言ったように、竜のようにみえなくはない。ないけど。
本当に、モンスターじゃないんですね? と私は背後にいる双子に聞きたかったが聞けなかった。
私を見つめる、信頼の光に満ち満ちた、潤んだ眼差し。震える犬耳。垂れた尻尾。
これに抗える奴がいるだろうか。いや、ない。抱きしめたい。ダメですか。そうですか。
私は吹けば飛びそうな勇気をどうにか掻き集めて、なんとかデーモンのようなお兄さんに声をかけた。
「だ、だだ、だだだ大丈夫、です、か?」
お兄さんが、ぎょっとした表情で私を見た。
私もぎょっとして身を引く。
ぎょっとした表情、と思わず表現したが、ぎょっとしたようにみえたのだ。確かに。
縦に割れたグレーの瞳が見開かれてこちらを向く。子供なら泣き出しそうなレベルの怖さだ。
でも、私、大人だから。ここで叫んだら、子供が見てる手前恥ずかしいから。
「お前は……」
あ。しゃべった。
どうやら人の言葉が通じるようだ。よかった。会話が成立するなら、なんとかなる。
「通りすがりの冒険者です。この子達に、助けてほしいと頼まれて来ました」
お兄さんがぎょろりと双子を見る。ぎゃあ怖すぎる。泣きそう。
「おまえら! 逃げろ、と言っただろうが!」
「「だ、だって!」」
双子は、とんでもない事に、このデーモンお兄さんに懐いているようだ。一体どういう関係なんだ。まさか、生き餌……て訳でもないか。なんだろう。どっちかというと、まるで家族のような……
家族?
いや、ないないない。種族違うし。
とにかく、このまま怒らせとくのも危険な気がして、私は勇気を奮い立たせて間に割って入った。
「ま、まあまあ、あなたが心配だったんですよ」
お兄さんがまた不思議そうに私を見る。
「……お前、俺が怖くない、のか?」
「いや、怖いに決まっ……いやいや、まあ、最初はものすごく怖かったけど、しゃべってみると普通なので、まあ、なんとか平気かも……うん」
「あ? そ、そうなのか?」
お兄さんが戸惑っている。どうやらお兄さんも自分の姿を気にしているようだ。首をかしげている姿がなんだかおかしくて、私はすこし笑ってしまった。なんだ、普通じゃないか。姿は怖いけど。悪い人?じゃなさそうだ。双子も懐いているようだし。姿は怖いけど。
「腕を治すから、じっとしてて下さい」
私は持っていた重い腕を、お兄さんの千切れた腕の付け根にあてた。
欠損。
たしか、プレイヤーの身体パーツの欠損って、ゲームになかったはず。
こちらのゲームにはあるって事なのか。
私は背筋が寒くなった。CEROの規制はどうなってんだ。そんなリアルいらない。スプラッタもあまり得意ではない。
「【完全なる元素組成修復】」
傷口に白い光が集まった。
僧侶なら、全回復は【大いなる奇跡】という魔法スキルになるが、私は魔導学者なので、効果は同じだけれど、こちらの魔法スキルになる。
白い光が収まる。お兄さんの腕がくっついた。
「どうですか?」
くっついた腕を回し、鋭い爪のついた手を握ったり開いたりしている。
「……なんともない。ありがとう。助かった」
「いえいえ。どういたしまして」
「しかし、すごいな。こんな上位魔法、初めてみた」
「そうですか?」
まあ、魔導学者はレア職業だから、魔法スキルも特殊で、効果は同じでもあまり見たことないエフェクトがかかるからなあ。
双子が耳をひくつかせ、両側から私にしがみついてきた。
「アイツの匂い、近づいてる!」
「アイツの足音、近づいてる!」
「アイツ?」
「くそ。もう嗅ぎつけてきたのか……これは、どうやっても逃げられないってことか……」
お兄さんが立ち上がる。でかい。頭四つ分くらい背が高い。
うん。やっぱり、泣く子も黙る某デーモンみたいですね。尾もトゲが並んでいて凶悪です。
「アイツって、何?」
お兄さんが私を見下ろす。
「この森のボスモンスターのようだな、どうやら」
「ボっ……」
やっぱり!
嫌な予感はしてたんだ。
なんか、咆哮が普通じゃなかったし。
「一度エンカウントすると、もう逃げられんようだ。どこまでも執拗に追いかけてくる。まさか、ボスモンスターが森の中をうろうろしてるとは思わなかった……」
「うろうろしてたんか!」
しまった、思わず突っ込んでしまった。
ていうか、まさかのボスランダムエンカウント? なにその神経すり減りそうなへビィなエリア!
「も、森からでられれば……」
「ここから森の出口まで走って、追いつかれなければいいがな。ヤツはでかい図体をしているくせに、やたらと俊敏だ。鼻も利く。遠くに見えたと思ったら、あっという間に目の前にいる」
「え」
そんなに早いなら、運動系スキル捨ててる魔道士系の私なんて、あっという間に追いつかれてしまう。
「それじゃあ、もう、戦うしかないってことか……」
「ああ。だから、俺が戦ってる間にチビたちを逃がそうとしたんだが……」
双子が飛び跳ねて怒る。
「「一緒に戦う! 怖くない!」」
竜のお兄さんは、ボス戦を1人でやろうとしていたらしい。なんて無謀な。
お兄さんが私をすまなそうに見た。すまなそうな気がした。そんな雰囲気。見た目が怖いから、なんだか分かり難いけど。
「出会ってすぐにすまないが、このチビ共連れて森から出てくれないか。頼む」
「私、地図がないから、出口がわからない」
「チビ共がマッピングしてる。誘導してもらえ」
「あなたはどうする?」
「俺は、アイツの足止めをする。だから──」
「1人で? 無理だよ!」
「だが、そうするしかない」
私は考えて、迷ったけど、やっぱり言うことにした。
「これは、あなたが弱いから言うんじゃない。すごい怖……じゃなかった強そうだし。でも、もし、あなたがすぐに倒されたら、私たちはすぐに追いつかれてやられるよ。1人で戦う気なら、その確率は、決して低くはない」
お兄さんが口ごもった。
「だが!」
「私も戦う。こうなったら、一緒に戦った方が生き残る確率が1番高い。その腕のバングル。お兄さんも冒険者登録してるよね?」
お兄さんの腕には幅広の皮紐に金属製のタグが打ち付けられたバングルがついていた。
冒険者証だ。
どんな腕の太さにも関係なくフィットする驚きのフリーサイズ仕様。ごつごつトゲトゲとしたお兄さんの腕にもぴったりフィット。
「あ、ああ」
「なら簡単だ。あなたのパーティーに私を入れて。──ほら早く! 早く!」
パーティメンバーに入れば、発動中のクエストに強制参加という形をとれる。
他にも、パーティを組む恩恵は大きい。広域攻撃魔法を放った時に巻き込まない、というのが一番大きい恩恵だ。このゲーム、単なる共闘だと、自力で範囲外に避けてもらうしかない。
お兄さんは私があまりにも急かすので、仕方なくタグを二度叩いた。
「【解錠】」
お兄さんの前にA4程度のウインドウが開く。鋭い爪で器用に操作している。紙だったら絶対破ってる。
「【パーティメンバー募集】、お前、名前は?」
「【夕月】」
「……対象者指定【夕月】」
ポーン、と音がして、私の腕にあるタグが点滅している。
なるほど。バーチャルになると、こんな感じになるのか。
私もお兄さんを真似て、タグを叩いてみる。
「【解錠】?」
「……なんで疑問系なんだ」
「まあ気にしないで」
冒険者証のウィンドウメニューが空中に開いた。上のほうに、新規情報が水色に強調表示されている。
『ジェイス・センバーより【パーティメンバー募集】の申請が入っています。承諾しますか?』
私は【はい】を押した。
「おお。できた」
冒険者ウインドウのパーティメンバーの欄に名が連なっている。
パーティ名 蒼銀の風
リーダー ジェイス・センバー
メンバー レフト
ライト
夕月
ん?
左、右?
「……レフト、ライト?」
「はい!」
「はい!」
左ブチの子、右ブチの子と順番に挙手し、元気に返事をしてくれた。
私は目頭を押さえた。
「……ちょ、お兄さん、なんて名前つけてんのさ! 女の子なのに可哀想すぎる! もっと考えてあげなよ!」
「ち、違う! 俺じゃねえよ!」
また咆哮。
近い。
ジェイスが冒険者証を消しながら、驚いたように私を見て目を開いた。いや、だから怖いから目を開くのやめてほしい。
「な、お前、レベル96なのか! しかも職業が【魔導学者】って……聞いた事がないんだが」
「レア職業だからね。偶然レベルチェンジアイテムが手に入ったんだよ。でもこのクラス、魔道士系としての能力値は凄いんだけど──」
それはもう、どんな魔道士系クラスの追随も許さないほどに。魔道士系では最強なんじゃなかろうか、この嘘のような神ステータス。
但し──唯一のネックが。
「なんだこれ。HPがチビ共並だぞ。しかも、このVIT、ヤバくないか」
「そんなこと分かってるんだよ! 空気呼んでよお兄さん!」
木のなぎ倒される音がした。
見ると、草むらの向うに、木の背丈と同じくらいの、赤黒い巨体な──
兎が立ち上がっていた。
紅く光る、吊り上がった四つの大きな目。
口端からは大量のよだれが垂れ、真っ赤な口内にはびっしりと並んだ牙が見える。
牙は赤黒く変色しており、ここからも分かるほどに鋭利だ。
爪も明らかに草食動物のものではない。肉食動物系だ。捕食する為に太く長く曲がっており、突き刺す為の先端は鋭い。
嘗ては白くてふわふわしていたであろう体毛は、口元と両手と腹の辺りを中心にして赤黒く斑に染まっている。今に至るまで喰い殺してきたものの返り血だろうか。見る者の背筋を凍らせるには十分な効果を発している。
なにこのホラー系兎。
怖すぎる。
「う、兎? ちょっと、あんなホラーな兎、初めて見たんだけど」
「血塗られた野兎【ブラッディ・ヘア】。話では、昼間は寝ているはずなんだが……」
兎が跳ねてきた。紅いよだれを垂らしながら。今晩の夢に見そうだ。
「来るぞ! 下がれ!」
ジェイスが前衛に移動しながら指示を飛ばす。
双子は隊列の中央に。
私は最後衛に移動しながら、暝の書を構えた。
ページがぱらぱらとめくれ出し、足下には魔方陣が現れ、詠唱モードになる。
私は【良く使う魔法リスト】を呼び出す。魔導学者は10個登録できる。ちなみに普通の魔道士は5個。戦闘中に魔法リストをだらだらとスクロールして探さなくてもいいので、とても便利な機能だ。
私はその中の一つを選んだ。
「まずは足止めする! ──我、アイテールを通し土の元素へ干渉」
ページの上に光りでなぞったような正六面体が浮かび、くるくると回る。呪文のスペルがすらりと口からでてきて驚く。
なんだこれ。選択したら、スペルはオートなのか。
「砂塵よ集積し、硬き固体として再変成せよ──【石化】」
凶悪兎の足下の地面から、土が爆発的に盛り上がった。
兎の足を取り込みながら収縮し、石となって固まっていく。
【石化】は詠唱が短く、且つ拘束時間のそこそこ長い、使い勝手の良い足止め用魔法スキルだ。これでしばらくは足止めができるだろう。何らかの足止めをしては、詠唱。基本だ。詠唱中に攻撃されたら本当に泣けてくるから。
「お前、詠唱早すぎないか!?」
「そりゃ、私は詠唱短縮スキル、レベル10でマックスですから」
お兄さんが目を見開いた。だからそれ怖いです止めてほしい心臓に悪い。
「今のうちに強化魔法かける! ──我、アイテールを通し、対象素体を構成する全ての元素へ干渉せん」
正6面体が消え、今度は複雑に組み合わさった図形が光で描かれる。
「【アイテールの再照射による素体補強】」
複雑な図形が、眩い光を放つ。
光はパーティ全体に降り注いだ。
「なんだそれは?」
「攻撃・防御・命中率・素早さとかいろいろアップする。全パラメータを一時的に1.5倍する。全員にかけたから、今のうちに畳みかけよう!」
「「畳みかけよう!」」
双子がショートボウを同時に撃った。同時撃ちか。なるほど。ダメージのプラス補正がつく。
ジェイスが凶悪兎に鋭い爪で殴りかかる。
凶悪兎の腕が飛んだ。うまく部分破壊できたようだ。強化魔法に加えて、運良くクリティカルが発生したとはいえ、すごい攻撃力だ。三回の連撃で、片腕一つふっ飛ばした。
いける。
これなら勝てる気がする。
【解析】スキルで、ボスのHPがボスの頭の上に表示されているのが見える。
さっきので、15分の1程度削られていた。
「15分の1、HPが削れた! これなら頑張れば私達だけでもいけるかもしれない!」
「おう!」
ジェイスの攻撃の隙間を縫って、私が風系の攻撃魔法を放ち、双子が連射で追撃する。ジェイスが攻撃している間に、私が全員を回復。
もう、三十分以上は経過しただろうか。
攻撃と回復を何度も何度も繰り返していると、
凶悪兎が、断末魔の咆哮を上げて、倒れた。
勝利のファンファーレ。
「……た、倒した、のかな……?」
「……みたい、だな」
全員で顔を見合わせる。
「や」
「「や」」
「やった──!」
「うわっ」
私と双子はジェイスに抱きついた。お兄さんの鱗は硬すぎて、ちょっといやかなり痛かった。
結局、夜までに森を抜ける事はできなかった。
森はそこそこ広く、陽のある内には抜けられなかった。
夜になって視界も悪くなり、夜行性の強い魔物も徘徊しはじめた森の中を無理に進むのは、骨が折れるし、危険だ。
私たちは、街道の途中にある野営ポイントで一晩越すことにした。まあ、ボスも倒したので大丈夫だろう。
ランダムエンカウントのボスがいるエリアで野営なんて、恐ろしすぎて絶対できない。不意打ちなんてくらった日には、阿鼻糾喚の惨劇が目に浮かぶ。
私は腰の後ろにぶら下げるタイプの旅鞄を地面に降ろし、蓋を開けた。
ノートパッドの形をしたウィンドウが鞄の上に現れた。
中に入っている物がリストアップされている。メニューリストと同様、私は恐る恐る意思?でスクロールしてみた。リストが動く。
なるほど。選べっていうことか。
胸をなで下ろす。四次元ポケット仕様に感謝する。
鞄の中に、湯気のでてる血のついた肉とか、剥いだ皮とか、牙とか、食材とか、武器とか、防具とか、ごっちゃり詰め込まれていたらどうしようかと思った。
持ってる食材から、たき火を利用して簡単な食事を作ろう。
ソロでやってる事のほうが多かったので、食材は結構持ち歩いているのだ。レシピも豊富だ。調理ランクSSのレベル9なので、大抵のものは作れる。
調理ランクは下から、E、D、C、B、A S、SS、SSSとあり、各10レベルずつ。あまり料理効果に頼らない人は、Cくらいまでで止まっている人が多い。
しかし調理は奥深い。侮ってはいけないのだ。美味く作れれば、それだけ調理効果が期待できる。HP30%アップとか、VITアップとか、防御力アップとかね!
あの時の苦労が思い出され、私は心の中で涙を拭った。
それに、ここでも空腹システムはしっかり引き継がれているようだ。お腹が減った。食べなければ倒れてしまう気がする。
しかし。
調理道具と、新鮮な野菜と、保存状態のとても良い干し肉と、良く冷えた牛乳瓶と、バターと、小麦粉と、各種スパイスを鞄から取りだし、手に取って、私ははたと考え込んだ。
というか、途方にくれた。
どうしろと。
え、まさかのセルフ調理?
いや、まてよ。
取り出した食材をまた鞄に戻す。
メニューから調理スキルを呼び出す。
レシピを選択。
レシピが表示された。
必要な道具と食材が目の前に現れた。
脳が瞬時に理解した。
「……作れってことですか」
手がシェフのように動きます。
双子が正座し、星がきらきらと輝き飛ぶ両目で見つめてくる。私は湯気の立つ鍋の中をかき混ぜながら耐える。時々かき混ぜながら、あと三分で完成だ。
「さっきの兎の肉、使う?」
「使う?」
さっきの凶悪兎からは、いろいろな新素材がとれた。その中に、あろうことか【血塗られた野兎の腿肉】が五つも……
「……使わない。売る」
「「ええ──! なんで──!?」」
「だって、気持ち悪かったじゃんか、あのホラー兎! 絶対お腹壊すって! 呪われるって!」
なんと責められようと、絶対食べたくない。ていうか触りたくない。いかに食材ランクが高かろうと、生理的に無理だ。アレは。
「美味しい干し肉と新鮮野菜のクリームスープ作ってあげるからさ。そんなことより、ジェイス遅いね」
荷物を拾ってくる、とジェイスが言って森の奥へ入っていって、30分。
草むらが揺れた。
帰ってきたようだ。
「お帰り……て、君、誰」
そこには、頭にざっくりと黒い布を巻き、機能重視のポケットが沢山ついた黒いコートを羽織った、十代前半の少年が立っていた。
華奢な身体には不釣り合いな、重量感のある大剣を背負っている。
背が私の頭1つ分低い。
ばざばさとした灰色の髪に、灰色の瞳。
やや尖った耳。
ほどよく焼けた肌。
やや目つきの鋭い、年の割には大人びた表情。
将来はさぞや美形になるであろう、整った顔立ち。
お姉様たちが狂喜乱舞して写真を撮りまくりそうな、クール系美少年だ。
私は、ちょっと年下は範囲外だな。どちらかというと渋い人が好きだ。そしてなにより、私より背の高い人。これ、切実に重要項目。
「俺だ」
少年がぶっきらぼうに答えた。
「【俺】っていう名前の人は知りません」
「だから、俺だ」
だから俺って誰さ。ふざけてるのか。喧嘩なら買……わないけど。万事話し合いで解決しよう。平和が一番。いや、まてよ。もしかして。
「【オレ】っていう名前?」
カフェ・オレみたいな。
「違うわ! ジェイスだ!」
「説明を求める」
私は完成したほかほかスープを双子に渡し、ジェイスだと主張する少年にも、とりあえずスープをよそいながら胡乱げに見あげた。
気配や仕草からなんとなくだが、あの灰色凶悪デーモンジェイスとこの人間ジェイス(仮)が同じな感じがするから、おそらく信じられないが同一な気はするが──
「あの姿から今の姿が結びつかない」
人間ジェイス(仮)は、眉間に皺を寄せながら唸る。
犯罪者をみるような不審な視線に耐えられなくなったのか、ぶすり、とした表情で口を開いた。
「……俺は【半竜人】だ。」
「はんりゅうびと? 【半竜人】? ──あ!」
私は思い出した。
【半竜人】
竜と人の間に生まれた、禁断の落とし胤。
竜は本来、生まれながらにして各属性に則した《色》をもって生まれてくる。
けれど、人の血が混じると竜の血が濁り、灰色になるという。
その姿も、本来の竜の姿も、本来の人の姿もとれず、禍々しき異形となる。
竜の血が入っているため、強大な力を持つ。
力の強い者であればあるほど完璧な人型に変化することが可能な為、ひとたび人の中に紛れてしまえば見つけだす事は難しい。
但し、人型を完璧にとれる者ほど、恐るべき攻撃力・防御力・身体能力を持つ。
よほど腕に自信のある冒険者でなければ、互角に戦う事すらできないだろう。
〜モンスターリストNo.865より〜
て、モンスターじゃんか。
私は口から飛び出そうになる言葉を飲み込んだ。
「な、納得した。でも、よく冒険者登録できたね?」
「人と変わらないくらいに【変化】できるからな」
よほど腕に自信のある冒険者でなければ、互角に戦う事すらできない感じですか。そうですか。
私はスープをジェイスに差し出した。
ジェイスが不思議そうにこちらを見返す。
「ほら、早く受け取って」
「あ、ああ」
私は自分の皿にスープをよそう。こういう場合、匂いがあるのはいいな。美味しそうだ。
私は両手を合わせた。
「いただきます」
「「いただきます!」」
「……ちょ、おい、ちょっと待て。何か他に言う事ないのか?」
「食べる前には、いただきます、でしょ。他になにか言う事ある?」
「いや、そうじゃなくてだな」
「なに?」
スープをすくって口に含む。クリームの甘味が程よく、自分で作って言うのもなんだけど、これすごい美味い。
「──【パーティ脱退申請】しないのか?」
「は? なんで?」
「俺と一緒でいいのか?」
「君がいないとだめじゃん。前衛君。中衛チビちゃんたち。後衛私。パーティとしては、なかなか良いバランスだと思うけど」
「いや、だから」
「まさか……君。私を追い出そうとしてる? 私に1人で行けっていうのか! 右も左も分からない私にむかって!」
「そうじゃなくて! ていうか右も左もわからんのかお前」
「わからない。だから私を街まで連れていってくれると、とても助かる」
ジェイスが不思議そうな顔をした。
「わからないって……お前、どこから来たんだ?」
「わからない。途中から記憶があやふやで、はっきりしないんだ」
「……記憶喪失か?」
記憶喪失か。説明するとややこしくなるから、とりあえずそういう事にしておくことにしよう。
「……みたい、かな?」
ジェイスはがりがりと前髪をかき回した。
「わかった。街まで一緒にいこう。お前がそれでいいなら……」
私はほっとした。
「うん。ありがとう」
「「わーい! のっぽのお姉さん、一緒! うれしい!」」
「のっぽって言わない!」
気にしてるんだから!
2013.3.21 行間調整、他