002 白紙の地図を携えて
——第十三レベル管理者権限にてアクセスします
——選択したデータを『虚空』サーバナンバー48000より、『虚空』サーバナンバー84000へ位相転移開始します
……なにそれ。
私は、船酔いにも似た吐き気をこらえながら、唸った。
脳内に響く《音》は、言葉のような、音楽のような、耳鳴りのような、形容し難いものだった。
音。
高い音。
低い音。
今にも消え入りそうに小さな音。
他をかき消しそうに大きな音。
軽やかな音。
重苦しい音。
音。
音。
音。
音の洪水。
頭が、割れそうだ。
音の意味が分かるようで分からない。
気持ち悪い。
記憶されているあらゆる知識を総動員して、脳が必死になって《言葉》に変換しようとしている感じがする。
検索。修正。近似値へ置換。変換。演算。
そしてまた検索。
膨大な情報量に、処理が追いつかない。
脳が破裂しそうだ。
……
──エラー
──位相転移許容量オーバーです
──1個体分のデータが超過しています
1個体分を選択し、転移先を再指定してください
「あ、しまった」
頭の中で声が反響した。
声はとても良い声だった。美声。女性ほど高くもなく、男性ほど低くもない、耳に心地良い、声音。
しかし、内容は不穏すぎる。
何? しまった、って、何? なんなの?
「ううん、やっぱり転移可能質量越えてしまったら、はじき飛ばされてしまうんだね。少しのオーバーならいけると思ったんだけどなあ。やっぱり君のデータ分だけ、同じ場所には転移できないみたいだ」
え、何が?
──実行取り消しは、移送中データ量が多い為できません
「あらら」
──1個体分のデータ削除は可能です
削除しますか?
え、何? 削除? それって、まさかとは思うけど、私の事じゃないよね?
「ん〜大丈夫大丈夫、削除はしないよ。僕のせいだからね。仕方ない。ちょっと外れに落ちるけど、いい?」
いいも悪いも、言ってる意味がさっぱりわからないんですけど。
それにさっきから、頭が割れるように痛いんですけど! 鼻血出てない私!?
「出てない出てない。ああ、そうだ。無理に《音》を聞こうとしないほうがいいよ。君の情報処理機能が過負荷で壊れてしまうから」
え!? 何それコワイ! そういう事は早く言ってよ!
……
──指定完了しました
──位相転移再実行します
「よしオッケー。では、幸運なるお嬢さん。よい旅を」
あまりに軽い見送りの挨拶を最後にされた。
文句を言う暇もなく、再度、私の意識は遠のいた。
* * *
閉じた瞼の向こうに、揺れる微かな光を感じた。
頬に当たる微かな風。
揺れて擦れる木々の葉のさざめき。
鳥の囀り。
木や草の青い香り。
土の香り。
知らない獣の遠吠え。
しっとりとした湿り気のある空気。
私は立っているようだった。
恐る恐る目を開ける。
眼前に広がるのは、鬱蒼とした森だった。
車一台がぎりぎり通れるくらいの細い街道の真ん中に、私は立っていた。
街道、というよりは獣道と呼んでも差し支えないくらいに荒れていた。舗装もされていない。ただ、長い間少しずつ踏みしめられて土が硬くなり、単にそこだけ草が生えてないだけのような道だ。
「……なに」
何がどうしてこうなった。
足を僅かに動かすと、じゃり、と土を擦る音がした。
音と靴底の感触に驚いて、慌てて下を向く。
視界の端に、濃紺色のローブの裾が見えた。
濃紺地に銀糸と金糸の文様が織られた重厚なローブ。
嫌な汗が頬を流れた。
見覚えがある。
「アカデミーローブ……」
まさかと思い、頭に手をやる。
帽子があった。
手触りの良いビロードのような生地を貼った低い円筒形の帽子。帽子の右側には銀細工の羽飾りが付いており、そこから銀糸の飾り紐が三本流れて房になっている。
恐る恐る両耳に触れると、魔力増強のカフスと、魔法効果増強の魔法石が三つスイングするピアスが左右に1セットずつついていた。
間違いない。
これは、【夕月】が身に付けていた装備だ。
しかし。
私はもう一度、髪を触る。短い。さらさらだけど少しだけ前髪に癖のある、長めのショートヘア。
夕月は、さらさらストレートの、腰まであるロングヘアだったはずだ。
どうにも、嫌な感じがする。
私は、道端を流れる小さな小川に行き、そっと覗き込んだ。
「な、なんで……?」
水面をみて、私は言葉を失った。
そこには、生まれてこのかた飽きるほど見慣れた、中性的な顔が映っていた。
肉付きの薄い手足と身体。
違うのは色だけ。
髪色は茶色から青色へ。目の色は、茶色から濃紺へ。
肌色はイエローオークルからホワイトへ。
まるで2Pカラー版私だ。
恐ろしい事に、私の外見は『夕月』ではなかった。
どういうことだ。
こういう場合、そのまま姿もキャラクターと同じになるのではないのか。
そしてあろうことか。
見慣れた視界の高さ。
ということは。
……もしかして、リアル高身長まで戻っている?
運動部なんて入った事もないのにすくすく伸びやがりました。
ちょっと、これどうなってんだ。
クレームはどこに言ったらいいですか。
私は深呼吸した。
危ない危ない。少し錯乱しかけてた。まずは、落くちこう、違った、落ちつこう私。
「ゆ、ゆっくり考えよう、私。そ、そうだ。まず、始めから思い出してみよう」
ボス戦で死んで。
イケメンだけど変な男に遇って。
招待された(行き先は不明)。
無理やり連れていかれて(攫われて?)。
現在に至る——
「そうだ、ここって、何処?」
これは、噂に聞く、バーチャルでマッシブリーでマルチプレイでオンラインなヤツですか。
心臓がさっきから激しく打っている。
仮想現実にしては、ものすごくリアルです。額の汗が気持ち悪いです。鳥肌も立ってるのを感じます。
「──あ! そうだ。ゲームなら!」
ログアウトがあるじゃないか!
そうしようすぐしようさっそくしよう。なんだか此処怖いし。
私はメニュー画面を探した。
め、メニュー、って、どこにあるんですか。そういえば、パソコンないし、キーボードもないし、どうやって──
「ん?」
さっきから視界の右上端に、何かふよふよ浮かんでいる。
よく見ると、白っぽい半透明の四角形だった。
なにこれ。
四角形の中には、文字。見覚えのあるメニュー項目が縦に並んでいた。
「あ、あった、メニュー!」
なんだかよく分からないけれど、意思でカーソルが動かせるようだった。見たいと思った項目にカーソルが移動していく。ちょっと癖がある。慣れるまでに時間がかかりそうだ。どうにかメインメニューをスクロールして一番下……
予想した通り、期待した項目が消えていた。
「ログアウトがないじゃないか!」
そんなテンプレートはいりません。
ログアウトがあった場所には、オラクルという項目が追加されていた。
「なにこれ……オラクル?」
初めて見る項目だ。
これが前のゲームと同じ仕様なら、説明機能があるはずだけど。
探すと、四角形の枠の右下に、説明機能のオンオフを切り替えるボタンがあった。良かった。仕様は前と同じようだ。
「ええと。これ、どうやってクリックするんだろ?」
浮かんだ文字を指で触ろうとしたが、すかすかと空をきる。え、なにこれ。どうすればいいんだ。焦る。
駄目元で、クリック!、と念じてみた。
説明機能がオンになった。
あ、そういうことですか。
念じればクリックできるようだ。脳波と連動してるのだろうか? なにそのハイテク技術。
カーソルを合わせると、説明の書かれたウィンドウが表示された。
『オラクル:選ばれた者だけが使用できる特別項目。神様との直通回線。神様と話が出来ます。留守番電話サービス付。神様不在時、あとからかけ直します。また、神様の御都合により、着信拒否される場合があります』
「着信拒否ってなに! ちょ、最近の神様って、携帯的なもの持ってるの!?」
それはそれで凄いが、ものすごくシュールだ。
「……でも、まあ、やってみようか」
神様ならゲームマスターってことだ。自分を神様って言うなんて、なんて痛いヤツなんだ。まあどんなに痛々しいヤツでもゲームマスターなら、頼んだらログアウトさせてくれるかもしれない。
私はオラクルをクリックした。
呼び出しのコール音。
五回目のコールで、音声に切り替わった。
『こちらは神様直通回線です。お客様のお掛けになった番号は、神霊波の届かない場所にいらっしゃるか、アイテール源が入っていないため掛かりません。後ほどお掛け直し頂くか、ピーという発信音の後に、留守番電話サービスに接続します。メッセージを三分以内でお話しください』
「届かないってどういうことだよ! ていうか電波……じゃなくて神霊波て、何? アイテール源で何? 何か電源ぽい感じのもの?」
携帯電話だったら、投げていたかもしれない。
ピーという発信音が鳴った。
なんか、もう、つっこみすぎて、疲れた。
「……すみません。夕月です。お聞きしたい事が山ほどあるので、気づいたら、折り返しお電話下さい」
私はオラクルを切った。
「あ! そうだ!」
私はメニューからフレンドリストを呼び出した。
誰かいれば、何か話が聞けるかもしれない!
空っぽの枠が表示された。
「え、ない!? うそ!?」
フレンドリストは、クリアされてしまっていた。しかも、メールもチャット機能も消えている。
「どういうこと……」
──まさか、私1人ってことはない、よね?
私はぞっとした。
頭を強くふる。
やめよう。その件は後回しだ。
とにかく、まずはこの森をでなければ。
夜になる前に出たほうがいい気がする。すごくする。システムが同じなら、朝昼晩がある。そして、夜は特に強いモンスターが出没する。
加えて、見覚えの全くないこの景色。
これがゲームだと過程するなら、新規エリアに違いない。何のモンスターが出てくるか分からない。情報収集もしないまま、迂闊に進むのは自殺行為だ。
「戻ろう」
戻って、とにかく近くの街に行こう。
街なら、【冒険者協会】という名のインフォメーションセンターがある。考えるのはそれからだ。
マップ表示機能をオンにする。
視界の斜め右下に、碁盤目上に緑の線が走った、半透明の正方形が表示された。
拡大ボタンを押す。
空中に、A1用紙ほどに拡大された。
地図のエリア欄には、不明であることを示す、【?】マーク。
やっぱり。
私は目の前が暗くなるのを感じた。
マップの中央には、小さな緑の三角マークが1つだけ、寂しく点滅している。
自分の現在位置を示すマークだ。
緑の三角マークの周囲五マス程度が、オートマッピングされて、【道】を示す黄土色に塗りつぶされている。
「私が立ってる場所しか、埋まってないじゃんか……」
これじゃ、どこが出口がわからない。
どうする。
どうするよ、私。
前の道へ行くか、後ろの道へ行くか。
気分的には、なんとなく、後ろの道が出口に繋がっている感じがする。
「よ、よし。後ろの道にしよう」
私は私の勘を信じる事にした。
この後、私は、思い込み、とはいかに恐ろしいものか、という事を実感する事になるとも知らず。