001 デッドエンド
2013.8.14 全体的に順次推敲始めました。
パソコンの画面には、旅行ガイドブックによく載っている総石造りの大教会内部のように壮麗な風景が広がっている。
天井にはステンドグラス。
両脇には、等間隔に並ぶ柱と彫像。
ただ、教会とは違い、内装に使われている石は全て黒い。
漆黒に埋め尽くされた空間。
バックサウンドには、パイプオルガンによる壮麗で美しい音楽。
ここは、現在プレイ中のオンラインゲーム【グラナシエールの創世】の、ラストダンジョンだ。
そして、最奥の、三段高くなっている上座には──
体長10メートル以上はゆうにありそうな、天井を突き破りそうな程に大きな黒い竜が、20枚もの漆黒の翼を大きく広げていた。
このゲーム最大にして最強のボス、【渾沌の冥龍】。
黒い竜が、断末魔の咆哮を上げた。
大きな身体が傾ぎ、轟音を立てて倒れる。
勝利を告げる華やかなファンファーレが、画面内に響き渡った。
そして──
「──え?」
私の目の前の、パソコンのディスプレイが、赤くフラッシュした。
次いで、画面左上に表示された、ステータスウインドウの文字が全て赤くなる。
DEAD
名 前 夕月
レベル 96
職 業 魔導学者
クラス 理を解し者
H P 0/3500
M P 55/9999
ステータス上部に冠された赤い文字を見て、私は思わず椅子から立ち上がった。
「マジですか────!?」
* * *
私の名前は、月岡夕。
根っからのゲーマー女子大学生だ。
そして、ここは私の自室。
『ちょ、ちょっと、待ったあ──! ラスボスのHPが0になる1秒前に、タッチの差で猛毒になって先に死亡した場合って──経験値とお金と限定アイテムは手に入るの!?』
私は震える手で、キーボードを叩いて書き込んだ。
吹き出し型をしたポップアップウインドウが画面に浮かび、文字が走る。
一緒に戦った10人のメンバーたちも一斉に書き込み始めたらしく、一瞬にして画面の上半分が吹き出しで埋まってしまった。ちょっ、読み切れないんですけど。仕方ないので手前のものから順に目で追っていくことにする。
『いや、可哀想だけど、ボスより先に死んじゃったらなあ』
『可哀想に……ぷふふ』
『お前はいい仕事をしたよ……』
『www』
『夕月ちゃん……ネタ提供サンクス〜! ね、ね、ブログに書いていい? いい?』
『ご愁傷様です』
『残りHPには注意しろとあれほど』
『【魔導学者】は、能力値すごいんだけど、唯一、HPがなあ……ネックだよな……』
『可哀想に……』
吹き出しの内容のほとんどは、共にラスボス戦を勝ち抜いたパーティメンバーからの、なぐさめと同情の声だ。
若干、一部に面白がってる奴がいる。「ぷふふ」と「www」の奴、後で覚えてろよ。月夜ばかりと思うなよ。
私は大きく溜め息をつきながら、画面を眺めた。
ステンドグラスからは七色の光の筋が差し込んでいる。
光が照らす石畳の上には、仰向けに倒れている女性が1人。
細身で女性らしい体形の、二十代後半くらいの女性だ。
青い髪は腰まであるさらさらのストレート。濃紺色のローブを身に纏い、学者がよく被っているような円筒形の帽子を被っている。
──私だ。
ゲーム内の私の分身であるキャラクター、【夕月】。
皆が勝利に歓喜している中で、唯1人床に倒れている。
なんだこの羞恥プレイ的な状況。
これは、あれか。無意識の内に、レアな上位職業についているから大抵の事は切り抜けられるよね、という根拠もない自信を持ってしまっていたからだろうか。
私の現在の職業は、【魔導学者】。
総プレイヤー人口約50万人中、私を含めて二ケタ程度しか存在していない。
そんな希少種的に珍しい職業に私がつけたのは、偶然以外の何ものでもない。
2年程前に某探索クエストで、幸運にもクラスチェンジ用のレアアイテム【書きかけの研究書】を手に入れられたからだ。
本当に珍しい上位職業だし、知り合いの【魔導学者】は驚くほど強くて、面白い戦い方やプレイをしていた。魔法もオリジナルのものが膨大に揃っている。
面白そうだったので、私も思いきって、【魔道士】から転職してみた。折角ゲームをしてるんだから、こんな面白そうな機会、遊ばないと損だろう。
ただこのゲーム、転職には結構シビアだ。
余程のことがない限り、ある程度レベルが上がった後で転職する者は少ない。
なぜなら、転職するとレベル1からの再スタートとなり、能力値も上昇した分の三分の二は消えてしまうからだ。さすがに初期能力値以下には下がらないけれど。
そういったリスクを考えると、このゲームの職業は定番のものから【傀儡師】とかいう少し変わったものまで50種類あるから、早めにその中からいろいろ試すなりして、自分に合うのを選んで、極めていった方が効率がいい。
職業には、【クラス】という設定がある。
ある一定レベルに達する毎にクラス名は変化してゆき、クラスが上がる毎に能力値にボーナスがついたり、使えるスキルが増えていったりする。
私の現在のクラスは、【理を解し者】。
レベル80になったら取得できるクラスだ。
私は、もう一つ大きな溜め息をついてから、ステータス詳細画面を開いた。
装備も、この日の為に、時間と労力をかけて揃えたというのに。
武 器:暝の書
頭 :アカデミーハット
身 体:アカデミーローブ
足 :アカデミーブーツ
アクセサリ:魔力増強カフス
アクセサリ:魔法効果増強ピアス
【魔導学者】専用の最強装備だ。
【アカデミーハット】は、濃紺の低い円筒形の帽子で、右端に美しいブルーの大きな石が嵌め込まれた銀細工の羽飾りが付き、そこから銀糸の飾り紐が三本流れて房になっている。
きめ細やかな濃紺の生地に、銀糸と金糸の幾何学文様が織り込まれた、見た目にも重厚な【アカデミーローブ】。
そして、胃液を吐きそうなくらいに苦労して手に入れた最強武器──漆黒の魔導書【暝の書】。
漆黒の中に、夜空の星々のような光が無数に瞬いている。まるで宇宙を写し取ったかのような表装。
通称、黒本とも呼ばれている、希少な武器だ。
黒本は、魔道士系なら誰でも装備できるが、【魔導学者】であれば、特殊な魔法を取得することが可能だ。お陰様で、これゲームバランス崩れるんじゃね、と心配するくらいの魔法もいくつか使えるようになった。
だというのに。
いくら最強装備で固めたって、死ぬ時は死ぬんです。
世の中は所詮、諸行無常。
1人、また1人と、仲間がラストステージを去っていく。
メル友でもある【僧侶】が、私を蘇生させてくれた。
『夕月、残念だったね。せっかく、あんなに頑張ったのに……。まさか、最後の最後で、ボスがあんな攻撃スキル仕掛けてくるなんて……』
『うん……反則技を持ってる、ていうのは知ってたんだけど……』
油断、と言われればそれまでだ。だけど、誰もがわかるほどボスは瀕死で、勝利は目前だった。最終ボス討伐経験者の話から残りHPを推測するに、おそらく、あと数撃で倒せる感じだった。
パーティ内に心地よい疲労と達成感、安堵の空気が流れ始めた頃──ラスボス固有スキルを使われたのだ。油断大敵、窮鼠猫を噛む、一寸先は闇、とは正にこの事だなあと思いました。
【怨嗟の猛毒ブレス】
あらゆる防御を無視して猛毒状態にする、という反則的なブレス攻撃だ。
あまりに反則的な為、一戦闘中に一回しか発動しないらしい。猛毒にかかるかどうかは、純粋にリアルラック次第。
皆はどうにか耐えきった中、私だけが【猛毒】になってしまった。
猛毒は、HPが一秒毎に2000減るという恐ろしいステータス異常だ。その時、私のHPは1800だった。次で回復しようと思っていた矢先の出来事だった。
私の今までの苦労は──
水の泡となりました。
『気を落とさないでね。また、あとでメールするから。今度、おいしいケーキ屋でも行こうね』
吹き出しが浮かんで、優しいメッセージが走る。
『うん。ありがと……』
キーボードを打ちながら、ちょっと涙が出そうになりました。
最後まで残ってくれていたメル友を見送って、私はもう一度、ラストステージを見回した。
ボスステージには、私以外にはもう、誰もいない。
何もない。
「はあ……」
あのラスボス戦は、本当にキツかった。
もう一度やり直そうという気は、当分起きそうにない。
なにせ、状態異常の品評会のような攻撃の嵐だった。全体回復と全体状態回復と全体防御魔法と全体補助魔法でMPのほとんどを費やしたような感じだ。
製作者に声を大にして言いたい。
ボス戦で、猛毒反対。だめ、絶対。
私はやっとこの場を去る決心がついて、夕月の足を出口に向かわせた。
画面が白くフラッシュした。
あまりの眩しさに目を瞑る。
「ああもう! なんなのさ! よりにもよって、こんな時にフリーズ? ブラックアウトならぬ、ホワイトアウト?」
もう、泣きっ面になんとやらだ。
発光が収まったので、再び目を開ける。
「……ん?」
今までボスが鎮座していた場所に、1人の青年が立っていた。
誰?
背がすらりと高い。白地に銀糸のストライプが入った、小奇麗なスーツをきている。紫のネクタイに、胸元には薄紫のハンカチ。髪も白金。ゆるくウエーブのかかった長めの前髪から覗く瞳は、薄い紫色。うっすらと微笑みをたたえた薄い唇。
超のつくイケメンだった。
思わず画面に顔を近づけてまじまじと見入ってしまった。職人だ。神業だ。どうやって調整したんだろう。
このゲーム、キャラクターエディット機能がとても充実していて、腕さえよければ、超絶美形を造ることだって可能だ。
ただ、顔のパーツのバランスというのは、いざ理想の美形を造ろうと思っても案外難しい。
私なんか、あんまりにも思うように造れないから、いくつか用意されているキャラクターモデルから良いのを選んで少し手を加えて調整したくらいだ。
私は立ち去るのも忘れて、青年を凝視した。
顔パーツの配置とか覚えて帰って、後で顔作りの参考にしよう。
青年がゆったりとした足取りで近づいてきた。
青年の頭の上に、吹き出しが浮かぶ。
『ラスボス戦、お疲れ様』
イケメンに話しかけられた。しかも労われた。
誰だろう、と思いながらもキーボードを叩く。
『お疲れ様です。ていうか、私、死にましたから』
『いやいや。君の働きぶりは称賛に値するよ。己の命を賭して他者に尽くす。美しき自己犠牲の精神。なかなかできることじゃない』
私は手を顔の前で横に振るジェスチャーをした。
『いや、大げさに言わないで下さい。そんな大層なものじゃないです。単に、私が自分の残りHPに注意していなかった所為ですから』
『いやいや』
『いやいや、って。本当そうですから』
思い出して、私はまた自己嫌悪に陥った。
まさか、あんな反則技が最後の最後でくるとは思わなかった。油断した。
『ふふ。僕の作ったその魔道書、手に入れてくれたんだね。《天への黒き塔》は大変だっただろう?』
「……天への黒き塔」
その名称を見た瞬間、私の脳裏を、数々の苦い思い出映像がよぎった。
天へなんかじゃない地獄の底への塔だ、と後々酷評されるあのクエスト。
それは、今より3年前に配信された、超上級者向けクエストの1つだった。
よくある設定の探索クエストで、全部で3つ配信された。
【天への赤き塔】
【天への白き塔】
【天への黒き塔】
〈クエスト説明〉
神が創りし3つの試練の塔。
その道程には、数々の苦難と試練が待ち受けている。
己が持つ知識と力のみで塔を登りきった者には、その功績を賞して、神の叡知の一片が授けられるであろう。
〈クリア条件〉
塔の最上階まで1人で登り、魔導書を手に入れる。
〈クエスト終了条件〉
クエスト参加者の1人が各魔導書を手に入れた時点。
※尚、他参加者がクエスト攻略途中であっても、書が取得された時点で該当クエストは即時終了となります。
一見すると、非常に単純明快なクエストだ。
塔を登り、最上階まで登りきったプレイヤーが、各塔に1個ずつしかない限定アイテムを得ることができる。
但し。
その参加条件と塔の仕様には──多大な問題があった。
〈参加条件〉
レベル90以上。
パーティを組んでの参加は不可
これがまた、徹底していた。
塔に一歩踏み込むと、他のプレイヤーが全く見えなくなってしまったのだ。
だから結局、途中まで協力という事すらもできない仕様になっていた。
特に【天への黒き塔】は条件が更に厳しく、レベル95以上、パーティでの参加は不可、魔道士系職業限定というものだった。
まあそれでも、ただひたすら登るだけという簡単なクエストだ。誰もが、あっという間に終了してしまうだろうと思っていた。
しかし、なかなか攻略者は現れなかった。
ようやく【天への赤き塔】の333階を登ったプレイヤーが現れたのが、配信から半年後だった。
それというのも、その塔の内容が、ソロ限定クエストのくせにすさまじく鬼仕様だったためだ。
あまりの鬼仕様に、廃人や、精神を病む者や、諦めて去る者が続出した。
『ええ、もう、大変でした。本当に大変でした。大変を通り越して苦行でした。フロア自体はそんなに広くないんですけど、三次元的迷路になってて下手すると方向感覚狂って迷うし。一度入って、出て、また入ると1階からだし、マップは数時間ごとにランダムに変わってるし。トラップは無数にあるし、敵はやたら強いし属性ついてて面倒臭いし、階を上がるごとに哲学めいた質問を1つしてくるし、答えによっては一階に強制送還されたりするし、何この鬼仕様……って、僕が作ったって言いましたか? もしかして、あなたはプログラマーの人?』
青年が肩を揺らして笑う仕草をした。
『まあ、そんなものかな。でも、よく手に入れられたね』
『まあ、地道な作業は苦にならないタイプなので』
時間に余裕のある大学生でよかった。最上階まで登るのに、400時間近くかかったのだ。暗号の解読に悩んでいる間や、死んでやり直しを入れると、カウントしたくないほどの時間を費やしている。食べたり休んだりする時はスリープにして休んだから、ゲーム内の連続プレイ時間は恐ろしいことになった。
暇人だと笑わば笑え。私は一点集中型のA型です。
青年がまた笑った。
『成程。それ、赤本、白本、黒本の3冊シリーズの魔道書でね。その黒本が誰の手にも渡っていない最後の一冊だった。僕は感心したよ。君をとても気に入ったので、君も招待メンバーにいれようと思う』
『は?』
招待メンバー?
なにそれ。
『今回の規定枠は埋まってしまっているから、特別枠でね』
そういって青年は、画面に顔を向けて、優雅に首をかしげて微笑んだ。
え?
私に向かって、微笑んだ?
まさか。
まさかね。
青年が、ゆっくりとした足取りで近づいてくる。
画面に向かって。
青年が片手を伸ばす。
画面全体が、僅かに暗くなった。
部屋の照明も少し暗くなった。
青年の手が伸ばされる。私の操作キャラクターに、じゃなく──
画面に向かって。
じわりと伸びてくる、青白い手の平。
私は、鳥肌がたった。
なにこれ。
コワイんですけど。
これ、ホラーRPGゃなかったよね?
確か、ファンタジーARPGだったよね?
私の身体は恐怖で硬直してしまって、逃げたいのに動いてくれない。
私は、ホラーは、苦手なんですけど!
友人に、面白いから、と無理やり引きずられて観たホラー映画。邦画だった。消したはずのテレビにアレが映るやつ。ものすごく怖かった。画面いっぱいの血みどろの女の顔。画面いっぱいの血みどろの手。画面から飛び出してくる血まみれの手。引きずり込まれる男。バッドエンド。観させられた日から一ヶ月は、家にいる間中テレビをつけっぱなしだった。だって消したはずのテレビにうっすらアレが映っちゃったら怖いよね。
白い手はどんどん近づき──
画面を、するりと突き抜けた。
悲鳴を上げる前に、幸か不幸か、私の意識はブラックアウトした。