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人が忘れた町のはずれで

雨が止んだら

作者: 黄葉

 朝から曇っていた空が俄かに暗くなって、ぽつぽつと雫を落とす。それは見る間に強くなって、暗く見通しの悪かった辺りの景色を、ますます不鮮明なものにした。

 家の中からそれを眺めながら、出かけなくて良かった、とジョゼフは思う。買い物は明日、仕事の帰りにでも行けば良いし、急いで出かける用事もない。

 そこまで考えて、ジョゼフは部屋の中に視線を戻した。ソファに陣取って本を読んでいる、完全に帰るタイミングを逃した男が一人。友人のアオイである。先ほどふらりとやって来たかと思うと、何を話すでもなくソファに座り込み、かれこれ三時間ほどずっと本を読んでいる。

 毎度のことではあるが、こいつはいったい何しに来たんだ、と思わずにはいられない。アオイとは子供の頃からの付き合いである。ジョゼフより一つ年上だが妙に馬が合って、家が近かったこともあってかよく遊んだ。おかげで今でもこうしてつるんでいる。

 ――それにしても。ジョゼフは窓の外を見て、次いで先ほどから同じ姿勢で読書中のアオイを見た。やはり、雨が降り出したことに気づいていないようだ。

「――アオイ」

 声をかけると、一拍遅れて顔を上げた。

「なんだ?」

 ジョゼフは窓を示して、雨降ってきたけど、と言った。アオイは外に目を向けて、しまったという顔をした。小さく、げ――と声を漏らす。

「それとだな、お前はいったい何しに来たんだ。おれのソファ占領しやがって」

「すまん」

「いや、良いんだけどさ。――というかお前、何をそんなに夢中で読んでんだ?そんなに本好きだったっけ」

 ジョゼフの記憶にある限りでは、アオイはあまり読書をしない質だったはずだ。彼の問いに、アオイは首を横に振って答える。

「好きじゃないな。これはサーシャから借りたんだ」

「サーシャ?あの根暗くんか」

「あいつはお前のこと、悪ガキって呼んでたけどな」

 知ってる、とジョゼフは苦笑いで応じておいた。

 サーシャというのは、アオイのいとこ達の隣に住んでいる男だ。アオイよりもさらに二つ三つ年長だったから、そろそろ三十に差し掛かる頃だろうか。

 これがひどく暗くてやたらと考え込む人間で、生来楽観的な質のジョゼフとは根本的に合わないらしい。だが何故かアオイとは気が合うようで、子供の頃はたびたび引き合わされたものである。そのたびにお互い、根暗くんだ、悪ガキだと言い合っていたのだから忘れようもない。

「で、あいつから借りたって?」

「そ。推理小説」

「――どれ」

 ソファに伏せて置いてある本の表紙を覗き込む。茶色の表紙に大仰な金の文字で、『赤い朝』と書かれているのが見えた。

「ああ、これ読んだことある」

 十代の頃に読んだ記憶がある。そう言うと、アオイは意外そうな顔をしてジョゼフを見た。

「ホントか」

「うん。あれだろ、いきなり冒頭から人がバタバタと」

「そうそう。いやに物騒でスプラッタで」

 ジョゼフは本を手にとる。なんだってまた、こんな本を、と思った。以前読んだ時は、ひたすら気分が悪くなったのを覚えている。

「――やっぱりあいつ、趣味悪いって。なんでこんなもの勧めるんだよ」

 思わずそう言うと、アオイは苦笑する。

「研究中なんだとさ。これは参考資料」

「研究中?」

 何を、と聞いた彼に、アオイはすっと指を突き付けた。

「――何故この町では死体が遺らないのか――だそうだ。この前意見を聞かれたんだが、さて――ジョゼ、お前どう思う?」


 アオイの問いに、ジョゼフは「サーシャは根暗だと思う」と即答した。

「お前な――」

 アオイは呆れたように息を吐いたが、ジョゼフにしてみれば、そんなわかりきったことを一々考えたがるサーシャは、どうひいき目にみても根暗野郎である。

 ジョゼフはアオイの持っている本に目をやった。なるほど、この小説ではやたらと人が死ぬし、死体が大量に出てくる。だが、今彼らがいるこの町では、人が死んでも死体と呼べるようなものは遺らない。姿も記憶もきれいさっぱり消え去って、後に遺るのはものだけだ。

 だが、死が認識されていないわけではない。記憶から消えても遺品など、生前の痕跡がある以上、それが近しい人間ならどうしたって違和感を感じる。

 つまるところ、死体が遺らないのは上手く忘れるためのもので、考える間でもなく答えは明らかだとジョゼフは思う。答えがもう出ているのだから、サーシャの言う「研究」はこのうえなく無意味な代物である。

「で――んなことをわざわざ考えないと気が済まないってか、あの馬鹿は」

「お、きついこと言うね」

「おれはあいつ嫌いなんだよ。お前だって知ってるだろうが。――それに、そんなことは考えても意味がないと思うな。おれの意見はこれだけ」

 そうか、とアオイはつぶやく。何か言いたげな顔をしている。ジョゼフはアオイの隣にどさりと腰を下ろした。

「――お前の意見はどうなんだ」

 尋ねるとアオイはうん、と一つ頷いた。本を玩びながら、考えをまとめているようにゆっくりと話し始める。

「おれは思うんだけど、そもそもこの町の仕組みからいけば、おれ達は“死”という現象だって認識出来ないはずだろう?忘れるようになってるんだから。でも、その認識はあるわけだ。ないのは死体だ。

 まあ、忘れるのは――なんでだか、そういうふうになってるからだとしか、思えないんだけど。……結局のところ死体が遺らないのは、きれいさっぱり忘れるための機構の一つじゃないかと思う」

 そこで一端言葉を切り、一息ついてからまた口を開く。

「……だから案外、死体はおれ達に見えなくなってるだけで、その辺にあるのかもしれない、なんて思ったりもしたんだけど――いくらなんでも、それはないだろうな」

 それだけ言って口をつぐむ。

「サーシャはその意見じゃ駄目なのか?」

「みたいだ」

 ふう、とため息をついたアオイを横目で見ながら、何故サーシャはそんなことにこだわるのだろうと、ジョゼフはぼんやり考える。

 ジョゼフ自身は、アオイが今言ったことに概ね賛同できる。というより、他に考えようもないのだ。生の対極が死なのだと言えるのならば、生きている体に対して死んだ体も在るわけだ。そして、それが目に見えないのは――。

「……死ぬことの意味が違うのかもしれないな……」

 隣で頬杖をついて考え込んでいたアオイが、ひょいと首をもたげて彼を見る。

「なんだって?」

 横から不思議そうな声がかかったが、ジョゼフは構わずに思考を進める。とっさに思いついたくだらない考えだったが、妙に引っ掛かった。それが真理だ、などとは思わないが、しかし――。

「なあ……アオイ」

「なんだ?」

「人は二度死ぬ、って誰の言葉だっけ」

「――なんだそりゃ」

 アオイは顔をしかめた。大丈夫か、とでも言いたげな顔をしているが、しかしジョゼフは気にしない。

「なんだったか――肉体的な死が一度目で、人の記憶から消えた時が二度目、とか。聞いたことないか?」

 なんだ、とアオイは心得たような顔になって、言う。

「――それ、小説とか映画とかでよく聞くよな。特に誰の言葉ってわけじゃないと思うよ」

「そうなの?」

 うん、とアオイは頷く。

「で、それがなんだ」

「――ああ、いや。なんと言うか――ここでの死は、一足飛びに“存在の抹消”まで行っちまってるんだと思って」

「――存在の抹消」

 アオイは怪訝そうな声で聞き返した。

「存在の抹消だよ。

 ――肉体的な死ってのはつまり、社会的な死のことだろう。でもこの格言の言うところの、二度目の死は違う。その人のことを記憶してる人間が居なくなれば、その人が確実に居たということを証明するものがなくなるだろう?存在があやふやになる。

 この町はさ、死んだ人間に対して始めからそれをやってるんだ」

 アオイは瞬いた。

「そう……なるのか?だがジョゼ、それがいったい何の――」

 言いさしたアオイを遮って、ジョゼフは続ける。

「つまりこの町では、死ぬのは存在しなくなることと同義だ。死体が消えるのも記憶が消えるのもその一環、死んだって体があれば、まだそこに存在するってことになるわけだ。それで人の記憶に在るうちはまだ完全には死んでいない、と。つまり小説とか映画で言うような、一般的な死とは少し意味が違うんだな。

 だから結論としちゃ、さっきお前が言ったのでだいたいあってると思うんだが――どうだ?」

 一気に言ってアオイを見ると、ぽかんとした顔でジョゼフを見ている。

「どうした?」

「……いや――お前って常々頭使うの嫌いとか言ってるわりに、ちゃんと考えられるんだと思って」

「失敬なやつだな、お前は」

 いやあ失礼、とこれまた失礼極まりない態度で言って、アオイは笑う。

「まあ、お前の意見はサーシャに話しておくよ」

 こんなのであいつが納得するとは思えないな、とジョゼフが言うと、アオイは苦笑混じりに、まあね――と返事をした。


     ◆


 小降りになってきた雨の中を、傘を斜めに差し掛けてアオイは帰って行った。

 ジョゼフはようやく空いたソファにごろりと横になって、やっと帰ったかと息を吐いた。そもそもこのソファはジョゼフの昼寝スペースであって、アオイのための読書空間ではないのである。もちろん寝室にベッドはあるが、いかんせん安物なので寝心地が悪い。一休みしたい時にはソファを使うのが常だった。

 ジョゼフは横になったままぼんやりと天井を眺めて、サーシャってどんなやつだったか、と考える。

 彼とはここ数年、まったく会っていない。相手を好ましく思えないのはお互い様、顔を合わせればつまらないことで言い争いになるだけだとわかっている。ならば進んで顔を合わせることもないと、学校を卒業した頃から疎遠になって、今ではまったく交流がない。

 ――だが。

「……研究中、か――」

 あいつはそんなことにこだわる質だったろうか。確かに一々考え込む性格だったようだが、それでもこの問題に関しては、サーシャは無関心に見えた。確か最後に会った時には――七、八年は前だ――考えても意味のないことだから考えないことにしたと、そう言っていたはずである。そして、その前は――。

「――あ」

 ジョゼフは顔をしかめた。そうか、と思う。

 ジョゼフが十三かそこらの時までは、サーシャは何かにつけてこの話題を持ち出していた。関心がない、興味がないと言いながら、思い返してみればしょっちゅう、そんな話をしていた気がする。「殺人鬼の殺意は被害者が死んだら消えると思うか」だの、「死ぬ瞬間ってどんなだと思う」だの、ただ話のネタとしての気軽さで。――だからこそ、ジョゼフは彼のことを根暗だと思っていたのだし、嫌ってもいたのだが。

 しかしそれも、サーシャが学校を出たあたりから話題にしなくなった。それなのに今頃になって、また気にしだしたのだろうか。それも研究、とは――。


 ジョゼフは窓の外に目をやる。雨はまだ、しとしとと降り続いていた。その糸のように細い雨を見ながら、馬鹿なやつ、と口の中で小さく声を漏らした。

「考えなけりゃ楽なのに」

 つぶやいて、小さく笑う。

 考えなければ楽ではあるが、サーシャにそんな芸当が出来るとは思わない。ジョゼフやアオイや、他の気楽な人々は、そんなことは考えなくてもまったく平気だが――サーシャは考えたがりだから。

 もっと楽に生きりゃ良いのに、と思わないでもないが所詮は他人事であるし、嫌いな相手のところにわざわざ行って人生論をぶちまけるほど、ジョゼフは話し相手には困っていない。やつのことはアオイに任せようと決めて、さっさと頭から追い払った。


 また窓を見ると、雨足はさらに弱くなっていた。時計を見る。まだ四時だ。

 外はまだ明るいし、雨が止んだら出かけよう。そう決めて、ジョゼフはソファに身を沈める。有意義に過ごすはずだった貴重な休日は、朝から押しかけてきたアオイのせいで、もう半分も残っていない。雨も降っていることだし――ソファでのんべんだらりとして過ごすのも悪くはないだろうと、そう思って――彼は目を閉じた。

こんにちは。

というわけで、シリーズ第二弾です。とはいえ、続編というわけでもないです。


少し補足しますと、本作は時系列としては、前作「白い〜」から十二年ほど後になります。ジョゼフは二十六、アオイが二十七、サーシャは三十路(笑)、ということになります。


今回は少し軽目の文章と内容にしてみました。というのも、前作でサーシャを主人公に据えたら辛気臭さマックスで書きにくかったからなのですが、お気楽なはずのジョゼフはジョゼフで書きにくかったのは何故でしょう(汗)

おかげで、何が言いたいのやら、といった内容になってしまいました……。


今回の二人組は、このシリーズを考えた時に一番に出来た登場人物でして、個人的には結構気に入ってたりします。ので、また出てくるかもしれません。



それでは、そろそろ失礼します。読んでくださってありがとうございました!

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― 新着の感想 ―
[良い点] 示唆的な問答が交わされていて、幻想文学かと思っていたらミステリチックな怪しさが漂っていて、なんとも魅力のある世界だと感じました。 キャラクタの名前・アオイという名前がいいですね。サーシャ・…
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