愛しき人
ああ、愛しきひと
◆
「また見ているのか、ウメ」
暗闇の中でうっすらと輝く真っ黒な双眼が、こちらをじとっと見詰めながらそう零した。
その口ぶりは呆れにも怒りにも似たもののように感じる。
「うん」
わたしはいつもながらに彼の視線と言葉をかわしながら、視線は目の前の一軒家にくぎづけだ。
今日は、居た
"彼"は身体が弱いようだった。
今日のように冷えた夜は窓を閉め、月明かりと部屋の、恐らく暖炉の明かりの中で本を読んでいるのが常だった。
そしてわたしは、ゆらゆらと淡い光を放つ彼の家に誘われた住人の一人であった。
今日は厚手のカーディガンを、羽織ってる・・・
わたしは目を細めて、必死に彼の姿を脳裏に焼き付けようとする
最近は、カーテンも閉められて窓際に姿を現す日も少なかったのだ。
噂によると、ここ最近体調が思わしくないらしい。
彼は、色素が抜けたような茶色の髪で、なんだかふわふわとしている。
わたしと同じ色だ。
隣の彼は、真っ黒なのだが、以前その事を口にしたら奴と比べるなと怒られたことがある。
「・・・ウメ、もうここに来るのはやめにしないか」
しん、と音が消えた気がした。
隣できゅ、と喉を鳴らす音だけが僅かに聞こえる。
「・・・・・・なぜ」
「・・・分かるだろう?彼はもう長くない。傷付く前に、もう諦めたほうが良い。」
「・・・・・イヤ」
「ウメ」
「・・・・・・・・・・・・・嫌だもん」
「ーウメ」
ふ、と視線を感じた。
窓辺の彼と目が合う。
ギュ、と心臓が掴まれた気がした。
薄く微笑まれて、わたしはなんだか涙が出そうになった。
知っていたの、知っているのよ。長くはないことを。でも
・・・・ああ、神様
わたしはもう死んでもいい
わたしのちっぽけな命で彼を一日でも長く生かせてください
次の日から彼は、一度も窓際に姿を見せることは無くなった
◆
「若いのに」
「以前から身体が弱かったとか」
「奥さまも若いのにお気の毒に」
「・・・・・・言ったろ」
「・・・・・・」
「俺は忠告してたからな」
「・・・・・・」
「奴を乗せた車が出発するぞ。下向いてたら行っちまうぞ。見送らなくていいのか?・・・−っておい!!!」
「きゃあ・・・!なにこの猫!」
「あ、猫ちゃん危ないわよ!車に轢かれちゃう!」
「−っ馬鹿野郎!ウメ!!!」
「行か・・・・っ、行かないで・・・・・!やだあ・・・・っ」
「轢かれるぞ!危ないだろう!」
「やだよぉ・・・・・・っ行かないで・・・・・・お願い・・・・連れてかないで・・・・っ」
「・・・・・・ウメっ」
「好き、なの・・・・・っ、連れて・・・行かないでぇ・・・・・・」
彼の庭に咲く小さな白い花が遠く霞んで見えた
いつぞやか彼が自分の生まれた季節だからと好んでいた花だ
ああ、愛しき人
わたしがあなたの傍らに立つので、毎日を記念日にしましょう
ああ、愛しき人
どうか安らかに
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かなり久しぶりの投下となりました。眠れない夜。二時間程で小話を作ってみました。猫は個人的に大好きです、ええ。