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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

おひやさま

掲載日:2026/06/08

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と内容に関する、記録の一篇。


あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。

 うんま~! やっぱり暑い日の冷やしトマトは、しみるぜ~。

 冷たさって、ある意味正義だと思わねえか? 常温なら気になっているかもしれない苦みとか臭みとかをある程度おさえ、勢いでもって口に入れることができる。

 後からつけるタレなりドレッシングなりの味が際立つってのもあるな。素材そのものの味が好きという声も聞くが、俺はそこそこ入っていればいいかな。

 冷やしトマトにしても、そのかすかな酸味と一緒に食べる玉ねぎ、塩、ごま油……各々との調和した味を、ぬるくならないうちにいただく。これがたまらないんだなあ。


 ま、美味いのひとことで済ませんのは簡単だが、ここはあえて突っ込んでみる。

 冷えるってことは、様々なものを構成する酵素なり微生物の働きが弱まりがちな環境になるってこと。相手にとって不利な条件を押し付け、こちらにとっては有利というか美味しい思いができる環境へ持っていき、そのままぺろりといただく。

 自分の都合を押し付けて、意のままに翻弄する気持ちよさ、分からないやつのほうが少数じゃないか? こちらが損害を受けないためのコンディション調整は、あらゆる場面で重要視されるしな。

 自分がしんどい目に遭っているとき、ひょっとしたら何者かの意図が働いている恐れがどれほどあるのか……俺の昔の話なんだが、ひとつ聞いてみないか?


 今でこそ、春をなくさんとする勢いで夏日、夏日が続いている。だが、俺が子供のころといえば、夏といえど涼しい日のほうが多かった。

 地元が標高の高いところ、というのも大きかったのかもしれん。晴れかつ風の少ない日ならば、よそと大差ない過ごし方ができたものの、どちらかの条件が崩れると一気に空気が冷え込んでくる。

 どちらもダメとなれば、重装備プラス携帯カイロのお世話になるのも恥とは呼べないほどの寒さ。学校や仕事がないのなら、家でぬくぬくしていたいのが正直なところだ。

 このように季節外れの寒い日の訪れを、俺たちの地元では「おひやさま」と呼んでいる。


 漢字で書いてみると、御冷様となるとのこと。

 おひやさまがおいでになるときであって、この寒さはいわば、露払いならぬ熱払い。おひやさまにとって訪れやすい環境を整えているのだ、と教えられてきたな。

 おひやさまは基本的に目で見ることができない。厳密には、はるか昔の人であればそのお姿を見られたというが、おひやさまの作為か。あるいは俺たち人間が代を経て、その手の力が衰えたのか。今では間接的にその存在を知ることしかできないな。


 おひやさまを察するために、もっとも簡単な方法は火を焚くことだ。

 大々的なものでなくても構わない。マッチ、ライター、チャッカマン……手元でこしらえる小さな火でオッケーだ。

 風の吹く中でつけるそれは、風の向きに合わせて、その身を大きくよじるだろう。しかし、おひやさまが近づいたのならば、決まって火はそこから逃げるようになびく。風の方向を無視するほどに。

 風のないときであったなら、なおはっきりと分かるな。仮に東へ炎がやたらとなびくのなら、西からおひやさまが近づいてきている、というわけだ。

 本当におひやさまが近づくと、閉め切った屋内の火にも影響を及ぼすほどになる。ガスコンロとかの火にもな。そのようなときには、いったん火を消すことがすすめられる。

 熱払いの邪魔をしないためにもな。


 やるなといわれると、いったんはやってみたくなるのが人のサガ。

 俺も小さいころの、やたらと寒い冬の日。学校へ行く前に自宅からライターをひとつ、こっそりポケットへ忍ばせていったんだ。下校際に、おひやさまの熱払いじゃないかと期待してね。

 うまいことに、学校の最後のコマは理科。アルコールランプを使う授業だったんだが、その火が急に、一斉にぶれたことで実験は一時中断。おひやさまの接近が確かであることも分かった。

 下校するときにも、いまだ季節外れの寒さは残ったままだ。俺はいつも一緒に帰っているみんなと別れたあと、ライターを取り出して火をつけたんだ。


 変化がより分かりやすくなるよう、出る火の大きさは最大限にしている。点火したままで、俺は家には帰らないまま近所をうろつきまわった。

 おひやさまが近づいているのを、理解している人がほとんどなのだろう。すれ違う人はほぼ皆無だったよ。

 やがてたどり着いたのは、区の境目に当たる小さな橋の手元。風は西から東へ吹き、火もまた東へなびいていたのだが。

 その火がにわかに90度、かくりと曲がった。

 南向きの風をあらわす格好だが、身体に感じる風そのものはまったくその向きを変えていない。話に聞いていたがなんとも奇妙だ。


 おひやさまだ、と思ったときには、もう俺はライターを手放していた。

 意識してやったわけじゃない。沸騰したやかんへ、不用心に指をついてしまったときのような反射の動き。

 俺の手から飛んで、地面にはずんだライターは火が消えるどころか、全身へ真っ白く霜がおりて凍り付いていたんだ。

 俺の手はというと、先ほど感じた強い痛みが残っているも、それがどんどん引いていく。ただおさまるだけならよかったが、その指へいつの間にか白斑が浮かんでいる。そこへ俺がいくらつまんでも、握っても、そのいささかの圧も感じられない。

 凍傷じゃないか。

 悟った俺はすぐ家へ逃げ帰って、しかるべき治療を受ける。寒いとはいえ、夏の日での凍傷。すぐにおひやさま相手においたをしたのだとバレて、ひとしきり怒られたっけなあ。


 相手の目論見を知るのはいいが、ゆえあってしていることの邪魔は、やはりそれなりリスキーだと俺は思ったわけよ。

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