第五話 『乖離ノ星』
屋上に来ること自体は、もう特別なことではなかった。
放課後になると、自然と足が向く。
理由を考えることもなく、
来るのが当たり前になっていた。
扉を開ける。
冷たい空気が流れ込む。
視線を向ける。
いない日もあった。
最初は、それが普通だったはずなのに、
少しだけ、違和感があった。
そのまま帰ることもあれば、
少しだけ空を見てから降りることもあった。
理由はなかった。
ただ、
いない、という事実だけが、
少しだけ残った。
別の日。
扉を開ける。
いた。
フェンスの近く。
いつもの場所。
それを見て、
少しだけ、思考が止まる。
理由は分からなかった。
距離を取って、立つ。
「……来たんだ」
先に口を開いたのは、向こうだった。
少しだけ意外だった。
「来るだろ」
それだけ返す。
「別に」
いつもの調子だった。
それ以上は何も言わない。
空を見る。
星は出ている。
少しだけ、風が強い。
「……東雲」
名前を呼ばれる。
少しだけ間が空く。
「何」
「今日、遅い」
事実だった。
だが、なぜそれを雨宮が言うのだろうか。
「用事あっただけ」
それ以上でも、それ以下でもない。
沈黙が落ちる。
風の音だけが続く。
それでも、
前よりも、少しだけ、
空気が違っていた。
「……雨宮」
口に出す。
「何」
「名前」
「…は?」
「呼ぶとき、困る」
理由としては、それで十分だった。
「呼ばなくていいって言ったでしょ」
少しだけ、強い口調だった。
「でも呼んでるだろ」
「それはあんたが勝手に——」
途中で止まる。
言葉が切れる。
少しだけ、間が空く。
「……別に、いいけど」
小さく付け足す。
その変化に、気付かないまま、
「じゃあ呼ぶ」
そう返した。
それで終わると思った。
でも、
終わらなかった。
視線が、強くなる。
「……なんで」
「何が」
「なんで来るの」
意味が分からなかった。
「来るだろ」
「だから、なんで」
少しだけ、苛立った声だった。
「……別に」
本当に、それだけだった。
理由はなかった。
ただ来ているだけだった。
「意味わかんない」
小さく、吐き捨てるように言う。
何も言わない。
何を言えばいいのか、分からなかった。
思いついたとしても、これ以上意味不明な会話は控えたかった。
しばらく沈黙が続く。
風が強くなる。
「……帰る」
そう言って、雨宮が歩き出す。
止める理由はなかった。
でも、
「……待てよ」
口が勝手に動いた。
足が止まる。
振り返らない。
「何」
「なんで怒ってる」
そのまま聞いた。
一瞬、空気が止まる。
「……怒ってない」
「怒ってるだろ」
「怒ってないって言ってるでしょ!」
声が少し強くなる。
「じゃあ何だよ」
沈黙。
風の音だけがある。
「……知らない」
小さく言う。
「知らないって何だよ」
「知らないから知らないって言ってる」
会話が噛み合わない。
最初から、ずっとそうだった。
でも、
ここまで分からないのは、初めてだった。
「……もういい」
そう言って、今度こそ歩き出す。
止めることはできた。
でも、
しなかった。
する理由が、分からなかった。
正解は何だったんだろうか。
どうすればよかったんだろうか。
どうなればよかったんだろうか。
どれも言葉に詰まる疑問だった。
今の自分には「正しさ」という言葉について聞かれても答えられそうにない。
扉が開いて、閉まる。
音が消える。
静かになる。
空を見る。
星は出ている。
さっきと、何も変わらないはずだった。
それなのに、
何かが、明らかに変わっていた。
理由は…もう求めなくなった。
考える気もなかった。
ただ、
さっきのやり取りが、
少しだけ残っていた。
意味は分からない。
分かろうとも思わなかった。
そのまま、しばらく立っていた。
風が吹く。
星は、変わらずそこにあった。
ただ、
前よりも、少しだけ遠く感じた。




