第26章:五感の再発見
ミカの魂が現実世界へと越境してから数日が経過した。ミカにとってこの世界は、まさに情報の暴力そのものだった。
仮想空間ではパラメータに過ぎなかった重力が、今は常に彼女の四肢を大地へと引き寄せる 。
「ミカちゃん、ゆっくりでいいのよ。この街の地面は、ゲーム世界みたいに平坦じゃないから」
サナが優しくミカの手を引く。二人は、アパート近くの上水路沿いにある、緑豊かな散歩道を歩いていた。頭上の木々からは、初夏のまぶしい光が透過し、最新の光学レンズを通じてミカの視覚を激しく刺激する。本物の青空は、彼女が夕暮れの駅で見上げていた琥珀色の空よりも、ずっと深く多層的な色彩を放っていた。
「……お姉ちゃん。空気が動いてる。土と緑の匂いを感じる……」
ミカは立ち止まり、深く「呼吸」の真似事をした。人工声帯を震わせる空気の感触さえもが、彼女にとっては奇跡のような経験だ。
サナはミカの小さな手をそっと握り返した 。
「ミカちゃん、これを飲んでみて。この街の誇りなの」
サナが手渡したのは、この街の地下水だ。ミカが慎重にその液体を口に含むと、味覚センサーが複雑なミネラルの「味」を検知した。
「……つめたい。集落の井戸水よりも、ずっと……命の味がする」
ミカの瞳から、一粒の涙が溢れる。それは重力に従って頬を伝い、土へと還っていく本物の液体だった 。




