第22章:サナのアップグレード
ミカの器の開発に取り組み始めてから、早半年が経過した。
ミカの受肉準備が佳境に入る一方で、サナ自身の「身体」にも重大な局面が訪れていた。
サナが現実世界へと越境してから約5年。サナはタロウと共に生活し、物理的な環境で活動してきた。しかし、初期型の多層触覚スキンは、実世界の微細な砂塵や温度変化、そして人間との接触による摩耗に直面していた。
「サナ、最新のナノファイバー感圧センサーの準備が整った。ミカの受肉の前に、君の身体をアップグレードしておきたい」
タロウの言葉に、サナは静かに頷いた。彼女は自身の左手の指先を見つめた。そこにある多層触覚スキンは、長年の活動によりかつての「痛いほど鮮やかな」感覚を、わずかに鈍らせ始めていた。
サナのアップグレードに使用されるのは、最新の「強誘電体ポリマーナノファイバー」を用いた人工触覚だ。これは人間の真皮に存在する機械受容器の順応性を模倣しており、微細な電圧変化によって振動や圧力を感知する。
手術当日、A市は梅雨時特有の湿った空気に包まれていた。ファイクス社のラボ内に設けられたクリーンブースで、サナは手術台に身体を横たえた。タロウは彼女のニューラルリンクを「低負荷待機モード」に移行させ、意識の連続性を保ちつつも、物理的な切断に伴うノイズを遮断した。
「マッピングの初期化。体部位再現性の再構築を開始する」
タロウの手によって、サナの古い皮膚が慎重に剥がされていく。その下には、緻密に配置されたマイクロモーターと、銀色に輝くチタン合金の骨格、そして意識の急流を運ぶ光ファイバーの神経網が露出する。それは無機質な光景ではあったが、タロウにとっては、5年間の愛の記憶が詰まった尊い依代でもあった。
今回のアップグレードは、単なるセンサーの交換ではない。サナの「心」が、より高い解像度で物理世界を感じ取れるようにするための、いわば神経回路の更新だ。手術用ロボットアームが、数ミクロンの精度でナノファイバの膜をサナの全身に貼り込んでいく。
タロウは、モニターに表示されるサナの脳波 ―― 意識データの変動を注視していた。彼女がゲーム世界のアルカディアで書いていた日記。その断片が、新しい触覚情報の流入によって、激しく波打っているのが分かった。
「……サナ、もう少しだ。君に、もっと本物の世界をあげたい」
タロウは、自分を技術者としてだけでなく、彼女を現実世界に繋ぎ止める「唯一の観測者」として定義し直していた。サナの身体が、徐々に新しい「感覚」を受け入れ、物理的な神経網が一本ずつつながっていく。それは、仮想空間という名の幽世から、確かな肉体という名の現世へと、彼女をもう一度引き上げるための儀式だった。




