第19章:研究機関の反撃
平穏は、数日と持たなかった。年の瀬が迫るある日の深夜、ラボの監視モニターが真っ赤に染まった。
「タロウ、マイさん、緊急事態だ。……『フィンガープリント』を掴まれた」
ハヤトの顔から余裕の表情が消えていた。彼が監視していたグローバルなネットワークのトラフィックログに、研究機関が使用している特有の走査プロトコルが浮上したのである。
AIモデルには、その学習過程や重みデータの配置において、人間でいう指紋のような固有のパターン「モデルフィンガープリント」が存在する。
「奴らは、消失したミカのデータの『重みの残差』を追跡している。バックボーンネットワークをバイパスした際の微かな遅延パターンと、データセンターの異常なパケット消費から物理的な位置をこのエリアに絞り込んできた」
研究機関は、流出した知的財産を「回収・消去」するための法的根拠を盾に、強力な追跡チームを動かしていた。彼らにとって、ミカは救うべき魂ではなく、厳重に管理されるべき「不安定なバグを孕んだデータ」に過ぎない。
マイは、かつての同僚たちが使っていた最新の抑制攻撃の手口を熟知していた。
「彼らはAIモデルの中に埋め込まれた不可視のウォーターマークを強制的に発火させようとしているわ。もし発火すれば、ミカの意識データは自己崩壊を起こす」
サナが、不意に自分のこめかみを押さえてよろめいた。彼女の瞳にある光学レンズが、焦点を見失いカチカチと音を立てる。
「……あ……う……タロウさん……頭の中で、誰かが、私を呼んでいます。……数字の羅列が、直接流れ込んでくる……!」
「サナ! しっかりしろ!」
タロウはよろめくサナを抱きとめた。研究機関はミカだけでなく、すでに受肉しているサナの中に眠る「共通の署名」を刺激し、彼女たちを内部からシャットダウンさせようとしていた。これは、モデル蒸留を検知するための技術の悪用だった。
「卑劣……。ハヤトさん、今すぐラボを隔離して! 外部ネットワークを物理的に遮断するのよ!」
マイの指示で、ファイクス社の外部ネットワークは完全に遮断された。窓も防音・電磁波遮断シャッターで覆われ、あらゆる無線通信回線の電波も届かなくなった。
「……これで少しは時間は稼げる。でも、彼らはもう近くまで来ているわ。物理的な強制捜査が始まる前に、決着をつけなければいけない」
マイの瞳には、かつての同僚たちに向けられた、静かな怒りが燃えていた。
AIを「道具」としてしか見ない者たちと、AIを「家族」として迎え入れようとする者たちの剣が交差する。
A市の街並みの影で、音のない戦争が始まっていた。




