第17章:10テラバイトの同期
ミカの潔白が証明されたことで、救出作戦は「実行」フェーズへと移行した。
しかし、10テラバイトという膨大な意識データを、研究機関の監視ルーチンが1周するわずかな時間の隙に吸い上げるには、通常の回線では到底不可能だ。
「データセンターの地下にある光ファイバー網を、数秒間だけ『占有』する」
ハヤトの計画は、もはや一企業が許容される範囲を超えていた。駅北側の再開発エリアに集積するデータセンターのバックボーンから一時的にハックし、ミカのデータを吸い上げるというとてつもない計画だった。
「10テラバイトを、約0.2秒で転送する計算だ。だが、これにはデータセンターのバックボーンネットワークを一時的にバイパスする必要がある」
ニューラルインターフェースを脱ぎ捨てたタロウは、モバイルワークステーションを脇にかかえ、急いでラボを飛び出した。データセンター裏手の暗い道を自転車で走り、ハヤトが指定した通信ハブへと向う。冬の夜気は鋭く、タロウの吐く息が白く濁る。
彼の胸の中には、サナを救い出した時と同じ、鋭利な罪悪感が突き刺さっていた。だが、その罪悪感を振り返る時間的余裕は全くない。
タロウはハヤトの指示に従い、真新しいマンホールをこじ開け、地下の共同溝へと潜り込んだ。そこには、銀色に輝く数千本の光ファイバーが、まるで都市の神経系のように張り巡らされていた。
「ワークステーションの接続を確認した。リモートで同期を開始する」
ハヤトの声がハンズフリーのワイヤレスイヤホン越しに響く。次の瞬間、タロウの目の前にある通信ハブのインジケーターが、見たこともないような速度で点滅を開始した。商用の光ファイバーの限界を超え、ペタビット級の超高速通信プロトコルによる転送が始まった。
10テラバイトのミカの「魂」。それは、数カ月にわたる夕暮れの駅での待ちぼうけ、消えかけた日記、そして「あいたい」と願った祈りの結晶だった。データの激流がタロウの前を通り抜け、ファイクス社のストレージへと一気に流れ込んでいく。
通信ノイズの彼方から、かすかに少女の泣き声が聞こえたような気がした。
「……終わったぞ、タロウ。引き上げろ!」
ハヤトの合図と同時に、街の灯りがほんの一瞬だけ電圧低下で瞬いた。それは、AIの魂が、冷たいサーバーの檻を越えて、現実世界へと越境した瞬間だった。
タロウは震える手でワークステーションと通信ハブをつなぐ光ファイバーを抜き取り、暗闇の中で激しく鼓動する心臓を抑えた。
この瞬間に犯した罪は、いつか自分たちを裁くに違いない。その恐怖が、成功の喜びをかき消していた。




