あぁ~・・・
短編です
「なかったことにしておこう」
緊張した面持ちで、兄がそう言った。弟は最初、兄が何と言ったのかよくわからなかった。
「・・・・え」
「なかった、最初から」
兄の口元が震えている。泣き出してしまいそうな兄の顔を見ると、弟の心臓もドキドキと早鐘を打ち始める。事の重大さが、兄の顔からひしひしと伝わってくる。弟は、とんでもないことをしてしまったのだ、とここでようやく気がついたようだった。
冷蔵庫に入っていたプリン。
昼食が済んで、別にお腹がすごく空いていたわけじゃないが、口が甘いものを欲していた。兄も同じだったようで、買い物に出かけた母が作り置きしてくれていたナポリタンの皿を片付けながら、弟に冷蔵庫を見るよう指示した。
「にいちゃんが・・・」
「お前だって食べただろ!どうざいだ!」
“どうざい”という言葉がよくわからないが、自分が悪いことをした、と証明してしまう言葉なのは、なんとなくわかった。弟の目に涙が滲む。
「泣くなよっ・・・」
兄の目にも、涙が浮かんでいる。
プリンを食べ終えた二人は、冷蔵庫に貼ってあるメモに気が付かなかったのだ。
[プリン食べないで 姉]
プリンを堪能して振り向いた兄が、そのメモに気が付いたのは、弟が最後の一口を食べ終えてからだった。
彼らにとって、姉は逆らってはいけない恐怖の存在だった。すでに中学生に上がってしまっている姉は、小学校高学年と低学年の兄弟には太刀打ちできないほど凶暴で、特に食が絡むと、めちゃくちゃに怒る。ソレがわかっているから、なおさら怖かった。
「とにかくプリンのカップを捨てよう!」
兄がそう言うと、弟は慌ててゴミ箱にプラスチックのカップを捨てた。
ゴミ箱に捨てると急に安心感が芽生えた気がした。
兄に促されるまま、スプーンを流しに置いて、まるで何もなかったかのような様子で二人はテレビの前に座った。そろそろ夕方のアニメの時間だ。
アニメを見ていると、母が帰ってきた。
母が帰ってきた安心感も相まって、二人は、次第にプリンの事を忘れていった。
母に風呂に入るように促された頃、姉が帰ってきて、兄の様子がソワソワしだした。その様子を見ると弟も伴ってソワソワとする気がした。
「ただいま~」
姉に合わせる顔がない兄は、いつも渋るくせに、すぐに風呂に逃げていった。その様子を見て、弟もついていく。
バレてない、大丈夫、大丈夫・・・。
ドキドキとしつつも、二人は風呂に素早く入り、風呂場のドアを閉めた。
リビングの方で姉と母が会話をしているのがうっすらと聞こえる。怒号ではないから大丈夫だろう。
安心して体を洗っていると、「お母さん、アタシのプリン知らない?」と聞こえた気がした。兄弟の心臓が高鳴った。
何やらもにょもにょとして聞き取れないが、母は知らないと答え、姉が部屋中を探し回っているような声や音が聞こえる。
しばらくして、誰かの足音が風呂に近づいてきた。素っ裸の兄弟は互いに身を寄せ合い、弟が兄の手をしっかり握った。小さな手は震えていた。
地獄の門が開くような音が響き、姉が笑顔で現れた。
「・・・・」
「・・・・お、オレじゃないよ」
「オレも違う・・・」
兄弟がそう呟くと、姉の顔が菩薩のように柔らかな笑顔に変わったように見えた。『あれ、もしかしてあんまり怒ってないんじゃ?』なんて安心がよぎった瞬間、姉の背後に般若が見えた気がした。
——アタシまだ、何も言ってないけどぉ?——
プリン、美味しかったぁ?




