第7話 断罪劇の裏側
長老の一人が、バサリと書類の束を机に投げ出した。
舞い上がった埃が、午後の日差しの中でキラキラと光る。
けれど、そんな悠長なことを言っていられる状況ではなかった。
クレイヴィス公爵家の応接間は、重苦しい緊張感に包まれている。
「……言い逃れはできんぞ、小娘」
向かいのソファに座る分家の長老が、歪んだ笑みを浮かべて私を指差した。
その指先は震えている。
怒りではない。獲物を追い詰めた愉悦で震えているのだ。
テーブルの上に散らばっているのは、数通の手紙だった。
そこには、公爵家の財務状況や、領地の魔石鉱脈に関する極秘情報が記されているらしい。
そして差出人の欄には、私の名前「エレナ」と署名されていた。
「我が国の敵対勢力に、家の内情を売り渡すとはな。平民の血が混じった娘は、これだから信用ならん」
長老が唾を飛ばしながら罵る。
私の後ろには、武装した家令たちが控えており、逃げ場はない。
これは、いわゆる「断罪」というやつだ。
私は拳を膝の上で握りしめ、努めて冷静に反論した。
「身に覚えがありません。私はそのような手紙を書いたことは一度も……」
「黙れ! 筆跡鑑定も済んでいる! 貴様が夜な夜な部屋で書いていたという証言もあるのだ!」
証言?
そんな嘘をつくのは、分家が送り込んだ息のかかった使用人だろう。
完全に嵌められた。
彼らは私を追い出すために、ここまで手の込んだ茶番を用意したのだ。
(ルーカス……)
私は助けを求めるように、部屋の主座にいる義弟を見た。
ルーカスは頬杖をつき、冷ややかな瞳で書類を見下ろしている。
その表情は、相変わらず氷のように動かない。
「……ほう」
彼が短く呟き、一枚の手紙を手に取った。
ピリッ、と紙が鳴る。
長老たちが「それ見たことか」と勢いづく。
「ルーカス、これでもまだこの娘を庇うつもりか? 公爵家の情報を売るなど、万死に値する!」
「即刻、この場で断罪し、国外追放……いや、投獄すべきだ!」
罵声が飛び交う中、ルーカスは無言で手紙を眺めている。
私を見る目は冷たい。
もし、彼がこの捏造を信じてしまったら?
あるいは、分家の圧力に屈して私を切り捨てる判断をしたら?
恐怖が足元から這い上がってくる。
その時だった。
私の脳内に、聞き慣れた、けれどいつもとは違うトーンの声が響いた。
『……雑だな』
あまりに冷静な、事務的な分析音だった。
『筆跡を真似ているつもりだろうが、エレナの文字はもっと線が細く、右上がりの癖がある。これは明らかに右利きの男が左手で書いた文字だ』
『インクも安物だ。公爵家で使っている特注のインクには、防腐のための魔力が微量に含まれているが、これにはない。市井の文具屋で買ってきたものだろう』
『極めつけはこの紙質だ。隣国のスパイとの通信に使われた設定なら、燃えやすい羊皮紙を使うのが常識だ。なぜわざわざ、裏写りしやすいパルプ紙を使う? 素人か?』
ルーカスは瞬き一つせず、心の中で彼らの証拠を完全論破していた。
しかも、呆れるほどの高速思考で。
『詰めが甘すぎる。俺を欺けると思ったのか? エレナを陥れるなら、もっとマシな嘘を用意してこい』
(ルーカス……!)
私は安堵で膝が抜けそうになった。
彼は信じていない。
むしろ、この茶番の粗悪さにイライラしている。
よかった。
私は彼を見つめ、小さく頷いた。
「私はやっていない」という意志を目で伝える。
すると、ルーカスの思考が一瞬で切り替わった。
『……だが、ここで論破するのは悪手か』
え?
私は心の中で問い返す。
どうして? 今すぐ彼らの嘘を暴いて、私を助けてくれないの?
『長老たちの背後に気配がある。庭の植え込みに二人、屋根裏に一人。……暗殺者だ』
『俺がここで証拠を握りつぶし、長老たちを追い詰めれば、奴らは窮鼠となって実力行使に出る可能性がある。エレナを人質に取るか、あるいはその場で口封じに襲ってくるか』
『俺一人なら全員氷漬けにできるが、万が一、流れ弾がエレナにかすりでもしたら?』
『あり得ない。そのリスクは0.0001%でも許容できない。エレナの安全が最優先だ』
彼の視線が、ほんの一瞬だけ私に向けられた。
いつもの冷たい瞳の奥に、燃えるような庇護欲が見える。
『まずはエレナを安全圏へ隔離する。この部屋よりも、結界を張り巡らせた自室の方が安全だ』
『奴らを油断させ、暗殺者ごと一網打尽にするには、俺が一度彼らの言い分を飲むフリをするのが一番確実だ』
なるほど。
わざと騙されたフリをして、私を「謹慎」という名目で守るつもりなのだ。
私は覚悟を決めた。
彼がそう判断したなら、私はそれに従う。
悪役令嬢として断罪されるフリくらい、いくらでもやってみせる。
ルーカスは手紙を机に放り投げた。
そして、ゆっくりと口を開いた。
「……弁明の余地はないようだな、エレナ」
冷徹な声。
室内の温度がスゥッと下がる。
長老たちが「おお!」と歓喜の声を上げた。
「さすがは賢者殿! 賢明な判断だ!」
「さあ、すぐに衛兵を!」
「待て」
ルーカスが片手を上げて彼らを制した。
「公爵家の恥を、みだりに外へ晒すわけにはいかない。処遇は私が決める」
「な、何だと? しかし……」
「何か不満でも?」
ルーカスが長老たちを睨みつける。
バキキッ、と音を立てて、テーブルの脚に霜が降りた。
物理的なプレッシャーに、老人たちがひっ、と息を呑んで黙り込む。
「……エレナ。沙汰を下すまで、自室での謹慎を命じる。一歩も出ることは許さん」
「……はい、承知いたしました」
私は殊勝に頭を下げた。
演技だとわかっていても、彼に冷たくされるのは少し胸が痛む。
でも、脳内の声は必死に私を慰めていた。
『すまないエレナ! こんな三文芝居に付き合わせて! 本当は「無実だ! 俺の天使になんてことを!」と叫んでこいつらを氷像にしたい!』
『でも我慢だ。あと数時間の辛抱だ。君の部屋には最強強度の結界を張ってある。ドラゴンが来ても壊れない仕様だ。安心して引きこもっていてくれ』
『美味しいお菓子と新作の小説も差し入れさせる。退屈させないように手配済みだ』
(準備が良すぎる……)
私は家令に促され、立ち上がった。
部屋を出る際、最後にもう一度だけルーカスを振り返る。
彼は私を見ようとしなかった。
ただ、拳を固く握りしめ、何かを耐えるように目を伏せている。
『……必ず、守る』
その声だけが、私の心に深く響いた。
廊下に出ると、背後で重い扉が閉まる音がした。
長老たちの高笑いが微かに聞こえてくる。
「これで邪魔者は消えた」「あの小娘、青ざめておったわ」
勝手に言わせておけばいい。
彼らは気づいていないのだ。
自分たちが、氷の公爵の「絶対零度の激怒」のスイッチを、今まさに全力で押してしまったことに。
家令に連れられ、私は自分の部屋へと戻った。
ガチャリ、と外から鍵がかけられる。
本来なら、絶望的な状況だ。
冤罪で閉じ込められ、味方はいない。
けれど、私はふふっと小さく笑ってしまった。
ベッドサイドのテーブルには、ルーカスの心の声通り、山盛りのお菓子と読みたかった本が置かれていた。
部屋の窓には、うっすらと青白い光の膜――結界が張られているのが見える。
「……過保護なんだから」
私はマカロンを一つ摘んで口に入れた。
甘い味が広がる。
不安はなかった。
この鍵は、私を閉じ込めるためのものではなく、外敵から私を守るためのシェルターなのだから。
窓の外では、雪が激しくなり始めていた。
ルーカスの魔力が高まっている証拠だ。
今頃、応接間では本当の「断罪」の準備が進んでいるのだろう。
(頑張ってね、ルーカス)
私は温かい紅茶を淹れ、彼が戻ってくるのをのんびりと待つことにした。
最強の味方がついている「悪役令嬢」ほど、気楽なものはないのだから。




