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冷徹な義弟公爵、心の声がダダ漏れです。溺愛が全部聞こえてますよ  作者: 月雅


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第3話 ドレスの攻防


貴方は、たかが布切れ一枚に対して、純粋な殺意を覚えたことがあるだろうか?


私は今、目の前で起きている惨状を見ながら、そんなことを考えていた。


王都の冬が深まる午後。

本館の応接間には、冷たい沈黙が張り詰めている。

いや、沈黙というよりは、凍りついた空気と言った方が正しいかもしれない。


事の発端は、一時間ほど前に届いた荷物だった。


「……エレナ様。分家の皆様より、今週末の夜会でお召しになるドレスが届いております」


メイドが困惑した表情で運んできた箱。

その中に入っていたのは、見るも無残な代物だった。

色はあせた土色。

デザインは十年以上前に流行った、今となっては野暮ったいだけの過剰なフリル。

生地に至っては、カーテンの方がまだマシではないかと思うほどゴワゴワしている。


明らかに、嫌がらせだった。

血の繋がらない私が公爵家の人間として夜会に出ることを、分家の方々は快く思っていない。

これを着て会場に行けば、私は「センスのない田舎娘」として笑いものになり、公爵家の面汚しだと糾弾されるだろう。

それが彼らの狙いだ。


(わかっているけれど……)


断る権利など、居候の私にはない。

私は唇を噛み締め、その古臭いドレスを箱から取り出した。


「ありがとうございます。……大切に着させていただきます」


メイドたちが同情の視線を向ける中、私は努めて明るく振る舞った。

その時だ。


ザッ、ザッ、ザッ。


廊下から、規則正しい足音が近づいてきたのは。

重厚な扉が開かれると同時に、室温が一気に五度は下がった気がした。


「……何をしている」


現れたのは、宰相の公務から戻ったばかりの義弟、ルーカスだった。

完璧に着こなした黒の執務服。

銀髪をかき上げ、氷のような瞳で室内を見回している。

彼の視線が、私が手に持っている土色のドレスに吸い寄せられ、そこで止まった。


ピキッ。


窓ガラスに小さな亀裂が入る音がした。

ルーカスの周囲に、目に見えるほどの冷気が渦巻いている。

彼はゆっくりと、私の方へ歩み寄ってきた。


「それは、なんだ」


低く、地を這うような声。

私はドレスを背中に隠したくなったが、遅かった。

彼は汚いものを見るような目で、私の手にある布切れを凝視している。


「あ、あの、分家の方々が送ってくださったドレスで……」


「……これを、着るつもりか?」


「は、はい。せっかくのご厚意ですので」


嘘だ。本当は着たくない。

でも、揉め事を起こしたくない。

私が強がって微笑むと、ルーカスはふっと目を細めた。

美しい顔が無表情のまま、スッと右手を上げる。


「貸せ」


「え?」


彼は私の手から、強引にドレスをひったくった。

そして、無造作に宙へ放り投げる。


パキンッ!


乾いた音が響いたかと思うと、空中のドレスが一瞬にして白い霜に覆われた。

次の瞬間、それは粉々に砕け散り、キラキラと輝く氷の塵となって床に降り注いだ。

文字通りの粉砕だった。


「ひっ……!」


メイドたちが悲鳴を上げて下がる。

私も息を呑んだ。

高価な(ということになっている)贈り物を、躊躇なく破壊するなんて。

これは、私への怒りなのだろうか。

「こんなみすぼらしい布を公爵家に持ち込むな」という、彼なりの拒絶なのかもしれない。


ルーカスは床に散らばった残骸を、冷徹な瞳で見下ろしている。


「……なんだその布切れは。雑巾か?」


吐き捨てるような言葉。

やはり、怒っている。

私は身をすくませた。

どうしよう、着ていく服がなくなってしまった。

分家の方々になんと説明すればいいのか。

恐怖と混乱で頭が真っ白になりかけた、その時。


『ふざけるなッッ!!』


脳内に、爆発音のような怒声が響いた。


『なんだあのボロ雑巾は! あんなガサガサの布をエレナに着せたら肌が荒れるだろうが!』


『しかもあの色はなんだ! エレナの透き通るような肌色が台無しだ! デザインも古臭い! あんなものを着せて恥をかかせようとする根性が腐っている!』


『許さん。絶対に許さんぞ分家の狸ども。俺のエレナを何だと思っているんだ。至高の宝石を包むなら、それ相応の布を持ってこい!』


「……え?」


私は呆然とルーカスを見上げた。

彼は依然として、氷の彫像のように冷たい表情を崩していない。

けれど、脳内に流れてくる声は、怒り狂う守護者のそれだった。


『あああ、エレナが怯えている! すまない、ついカッとなってやってしまった! 目の前で破壊活動なんて野蛮だと思われたか?』


『でも、あんな呪いのアイテムみたいな服を着せるわけにはいかないんだ。君の美しさを損なうものは、この世から消滅させるのが俺の義務だ』


ルーカスは私の顔を見て、ハッと息を呑んだようだ。

周囲の冷気が少しだけ揺らぐ。

彼はコホン、と咳払いを一つして、私に背を向けた。


「……家令」


「は、はい!」


部屋の隅で震えていた家令が飛び出してくる。

ルーカスは懐から懐中時計を取り出し、時間を確認する仕草を見せた。

その指先がわずかに震えているのを、私は見逃さなかった。


「マダム・ロゼを呼べ。待機させてあるはずだ」


「承知いたしました!」


マダム・ロゼ。

その名を聞いて、私は耳を疑った。

王都で最も予約が取れないと言われる、伝説の針子だ。

彼女にドレスを頼むには、王族でさえ半年待ちだという噂がある。


数分もしないうちに、応接間の扉が再び開いた。

現れたのは、派手な帽子を被った初老の女性と、大量の衣装箱を抱えた助手たちだった。

まるで、最初からこうなることが決まっていたかのように。


「お呼びでございますか、公爵閣下」


「……ああ。例のものを」


ルーカスが短く命じると、マダム・ロゼは恭しく一礼し、一番大きな箱を開けた。


「うわぁ……」


思わず声が漏れた。

中から現れたのは、息を呑むほど美しいドレスだった。

夜空をそのまま切り取ったような、深いミッドナイトブルーのシルク。

散りばめられた小さな宝石が、星々のように瞬いている。

派手すぎず、けれど気品に満ち溢れた、完璧な一着だった。


「こ、これは……?」


私が問うと、ルーカスは視線を逸らしたまま、ぶっきらぼうに答えた。


「……以前、付き合いで注文したが、余っていたものだ。捨てるのも惜しい。サイズが合うなら着ればいい」


嘘だ。

付き合いでこんな女性物のドレスを作るはずがないし、余り物にしてはあまりにも手が込みすぎている。

それに、脳内の実況が真実を暴露していた。


『三ヶ月前から準備させておいてよかった! 俺の目に狂いはなかった、この深い青こそがエレナの金髪を一番引き立てる色だ!』


『刺繍の配置も完璧だ。胸元の開き具合も、清楚かつ魅惑的に見えるギリギリのラインを攻めさせた甲斐があった』


『さあ、早く着てくれ。絶対似合う。俺の想像の中では既に五百回着てもらっているが、実物はその一億倍美しいに決まっている』


五百回。

その数字の重みに、私は思わず顔が引きつりそうになった。

彼はいつの間に、そんな想像をしていたのだろう。


「試着なさってください、お嬢様」


マダム・ロゼに促され、私は別室へと案内された。

袖を通すと、驚くべきことが起きた。

ドレスは、まるで私のためにあつらえたかのように、どこもかしこもぴったりだったのだ。

ウエストのくびれも、肩幅も、裾の長ささえも。

ミリ単位で調整されているとしか思えない。


(……いつ、測ったの?)


採寸された記憶なんてない。

まさか、目視だけでここまで正確に?

ルーカスの有能さが、少しだけ怖い方向に発揮されている気がする。


着替えを終え、私は恐る恐る応接間へと戻った。

ルーカスは窓際で腕を組み、外を眺めていた。

私の気配に気づき、彼がゆっくりと振り返る。


その瞬間、部屋の時間が止まった気がした。

彼は目を見開き、微動だにしない。

ただ、その青い瞳だけが、揺れる水面のように光を宿していた。


「……どう、でしょうか」


私が恥ずかしさに耐えかねて尋ねると、彼は口元を手で覆い、呻くような声を出した。


「……悪くない」


それだけだった。

たった一言、「悪くない」。

けれど、私の頭の中には、鼓膜が破れそうなほどの絶叫が響き渡っていた。


『ああああああああッッ!!!!』


『美しい! 美しすぎる! なんだこれは、女神降臨か!? 今すぐ画家に肖像画を描かせたい、いや、俺の網膜に焼き付けるだけで十分か、いや勿体ない、全国民に見せびらかしたいが誰にも見せたくない!』


『似合うなんてもんじゃない。このドレスは君のために生まれてきたんだ。ありがとうシルク。ありがとうマダム・ロゼ。ボーナスを弾もう』


『息が苦しい。可愛すぎて心臓が止まりそうだ。抱きしめたい。その細い腰に腕を回して、俺だけのものだと宣言したい』


ルーカスの顔は真っ赤……にはなっていなかった。

むしろ、感情を抑え込みすぎたせいで、彼の足元から急速に霜が広がり、応接間の絨毯を白く染め上げている。

物理的に部屋が凍り始めているのだ。


「か、閣下! 室温が!」


家令が悲鳴を上げる。

ルーカスはハッとして、慌てて背を向けた。


「……行くぞ。馬車が待っている」


早口で言い捨て、彼は逃げるように部屋を出て行った。

その後ろ姿からは、「これ以上ここにいたら理性が崩壊する」という必死な気配が漂っていた。


私は残された冷気の中で、自分の胸元をぎゅっと握りしめた。

雑巾と呼ばれたドレスの残骸は、もう跡形もなく消えている。

代わりに私が身に纏っているのは、義弟の重すぎるほどの愛が詰まった、世界で一番美しい鎧だった。


(……ありがとう、ルーカス)


声に出しては言えないけれど。

私は心の中でそっと呟き、霜の降りた床を踏みしめて彼を追った。

分家の方々の企みなど、もうどうでもよかった。

このドレスがあれば、どんな場所でも胸を張れる気がしたから。


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