第10話 最愛の公爵夫人
その後、分家の老人たちがどうなったか。知りたいだろうか?
結論から言えば、彼らの春は二度と来なかった。
文字通りの意味でも、比喩的な意味でも。
一夜明けた公爵家のエントランスホール。
そこに集められた分家の長老たちは、昨日までの威勢を完全に失い、青ざめた顔で震えていた。
彼らを取り囲んでいるのは、武装した衛兵たちだ。
「……な、何かの間違いだ! 我々が横領など!」
「公爵家のっとり? 濡れ衣だ! 証拠を出せ!」
喚き散らす彼らの前に、一人の男が優雅に歩み出た。
銀髪を揺らし、仕立ての良い漆黒のコートを纏った義弟、ルーカスだ。
昨日のような、感情を殺した能面のような顔ではない。
その口元には、冷ややかだが確かな意志を感じさせる笑みが浮かんでいた。
「証拠なら、ここにある」
彼は指先で書類の束を弾いた。
パラパラと舞い落ちたのは、彼らが隣国の密偵と交わした契約書の写しや、裏帳簿のコピー、そして昨日私を陥れようとした捏造手紙の原本だった。
「筆跡鑑定、魔力残滓の解析、金の流れ。すべて調べ上げさせてもらった。……随分と私腹を肥やしてくれたな」
「ひっ……!」
「公爵家への反逆、および国家機密漏洩未遂。極刑に値するが、前公爵に免じて国外追放に留めてやる。二度とこの国の土を踏めると思うな」
ルーカスの声は低い。けれど、以前のような肌を刺す冷気はなかった。
彼は感情を制御できている。
怒りを魔力に変えて暴走させるのではなく、言葉と法で敵を裁く、真の支配者としての姿がそこにあった。
『あー、せいせいした。やっとゴミ掃除が終わった』
『これでエレナの視界がクリアになる。害虫駆除完了だ』
脳内に響く彼の心の声も、実に晴れやかだった。
私は階段の上から、その頼もしい背中を見守っていた。
長老たちは衛兵に引きずられ、無様な悲鳴を上げながら屋敷から連れ出されていく。
嵐は去ったのだ。
ホールに静寂が戻ると、整列していた使用人たちが一斉に頭を下げた。
ルーカスがゆっくりと振り返り、階段の上にいる私を見上げる。
その瞳が合った瞬間、彼の表情がふわりと緩んだ。
『……可愛い』
まただ。
心の声が、甘いトーンに切り替わる。
『今日のドレスも似合っている。淡いピンクもいいな。桜の妖精か? 食べちゃいたい』
『階段を降りてくる姿が優雅すぎて、スローモーションに見える。俺の動体視力が勝手に強化されているのか?』
相変わらずの溺愛ぶりだった。
私は苦笑しながら、彼のもとへと階段を降りていく。
最後の一段に足をかけた時、ルーカスが自然に手を差し伸べてきた。
私はその手を取る。
温かい。
もう、冷たくない。
「……エレナ」
彼は私の手を握ったまま、その場に片膝をついた。
使用人たちが息を呑む気配がする。
公爵当主が、大勢の前で膝を折るなんて、最大級の敬愛の表現だ。
「すべて片付いた。もう君を脅かすものは何もない」
彼は真っ直ぐに私を見つめた。
「俺は、不器用で、独占欲が強くて、君を困らせてばかりの男だが……君なしでは生きていけない」
『愛している。細胞レベルで君が必要だ』
『断られたらどうしよう。いや、断らせない。泣いて縋ってでも離さない』
心の声が必死すぎる。
私は笑いを堪えるのに必死だった。
こんなにかっこよく決めているのに、中身は不安でいっぱいなのだ。
「俺と結婚してくれ、エレナ。君を、生涯かけて守り抜く」
「……ええ」
私は彼の手を両手で包み込んだ。
「喜んで、ルーカス。……私も、あなたなしじゃ寂しくて凍えそうだもの」
私が答えると、彼はパァッと顔を輝かせた。
それは「氷の公爵」の異名を持つ男とは思えないほど、無邪気で、幸せに満ちた笑顔だった。
『やったあああああああああああ!!!!』
『結婚! 結婚! 俺の妻! 公爵夫人!』
『世界よ、見たか! エレナは俺のものだ!』
脳内が大騒ぎだ。
彼は立ち上がると、そのまま私を抱き上げ、くるくると回り始めた。
使用人たちから「おおっ!」と歓声と拍手が沸き起こる。
私は恥ずかしくて彼の肩に顔を埋めたけれど、胸の奥は温かさで満たされていた。
***
それから、数ヶ月後。
クレイヴィス公爵家の執務室は、相変わらず書類の山に埋もれていた。
けれど、以前とは決定的に違うことが一つある。
「……ルーカス、仕事の邪魔じゃない?」
「邪魔なものか。これが一番効率がいいんだ」
私は今、執務机に向かうルーカスの膝の上に座らされていた。
いわゆる「膝上抱っこ」の体勢だ。
彼は私の腰に片腕を回したまま、器用に書類にサインを続けている。
重くないのだろうか。
私が身じろぎすると、彼はすかさず腕に力を込めて固定してくる。
「動かないでくれ。君の体温がないと、調子が出ない」
「魔力制御はもう完璧でしょう?」
「精神安定の問題だ」
彼は真面目な顔で嘘をついた。
ペンを走らせる横顔は理知的でクールだけれど、聞こえてくる心の声は甘ったるいことこの上ない。
『ああ、いい匂いがする。髪の手触りが最高だ』
『このまま仕事なんて放り出して、ベッドに連れ込みたい』
『いや、我慢だ。この書類を片付けたら、ご褒美に膝枕をしてもらう約束だ』
欲望に忠実すぎる。
私はため息をつきつつ、手元のクッキーを彼の口に運んだ。
彼は書類から目を離さずにそれをパクりと食べる。
「……美味い」
『エレナが食べさせてくれると、味が三割増しになる魔法か?』
幸せそうに咀嚼する彼を見て、私もつい口元が緩んでしまう。
私のテレパス能力は、あれから少しずつ制御できるようになってきた。
意識すれば声を遮断することもできる。
けれど、私はあえてオンにしたままにしていることが多い。
彼の心の声を聞くのが、好きだからだ。
言葉には出さない些細な悩みや、私への溢れんばかりの愛情。
それを共有できることが、私たちの絆をより深くしている気がする。
「……愛しているよ、エレナ」
ふと、彼が筆を止めて私を見た。
心の声ではなく、肉声で。
甘く、低い声が耳をくすぐる。
『愛している。昨日よりも、一秒前よりも』
心と口、両方からの愛の二重奏。
私は彼の首に腕を回し、その唇にキスを落とした。
「私もよ、ルーカス」
窓の外には、穏やかな春の日差しが降り注いでいる。
氷河期は終わった。
これからは、二人で温かな季節を歩いていくのだ。
少し、いや、かなり過保護で心の声が騒がしい、最愛の夫と共に。
(完)
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