第005話 静かすぎる隣人問題
“静かすぎる”は、この店ではよくあること。
だいたい寝ているか、集中しているか、そのどちらかだ。
チリン、と控えめな音がした。
トーワはカウンターで伝票を整理していた手を止め、顔だけ入口へ向けた。
入ってきたのは、リュックをしょった若い男の客。
そのまま個室エリアのほうへ向かっていった。
静かな客がいると、店全体の空気も少し静まる。
とはいえ、《Book Road》はもともと静かめの店だ。
トーワは伝票にメモをつけ、いつものように巡回に出ようとした。
──そのとき。
「店長!」
ほうきを抱えたミカが、なぜか小声で駆け寄ってきた。
「今日……なんか、静かすぎません?」
「ここは基本的に静かな店だぞ」
「でも、いつもの静かじゃなくて……“気まずいほうの静か”です!」
「分類が細かいな」
ミカは個室エリアを指差す。
「個室Aの人、三時間ずっと動いてないんです。ドリンクも減ってないし、ページをめくる音もゼロ!」
「ページの音で生死判定するな」
「してません! ちょっと気になっただけです!」
トーワはカウンターから個室の利用板を確認した。
“個室A・使用中 三時間コース”
入室時刻は確かに三時間前。
延長リクエストはまだない。
「いつもの“静かすぎるパターン”かもしれんな」
「パターンあるんです?」
「あるぞ。寝落ち、集中しすぎ、耳栓、泣いてる、あと“ただ静かな人”」
「五種類!?」
「まだ細かいの入れればある」
ミカはほうきの柄をぎゅっと掴んだ。
「でも……なんか、こう……静かすぎて逆に怖いです。ほら、普通はページが“ペラッ”って鳴るじゃないですか」
「そんな効果音みたいに鳴らんだろ」
「“ペッ”でもいいです!」
「もっと違う」
ミカが不安そうにちらちらと個室のほうを見てくるので、
トーワは仕方なく立ち上がった。
「じゃあ行くぞ。まずノック三回」
「はい!」
ミカが先に個室Aの前に立ち、軽くノックしてみせた。
間をあけて、もう一度。
……反応なし。
「次、案内札を差し込む。『困ったらボタン』の札な」
札のボタンは、内側から押すと小さくベルが鳴る仕組みだ。
ミカが投函口に札を入れる。
数秒待つ。
……鳴らない。
「水を置いて五分待つ」
「五分……長い……!」
「五分待てないなら店のスタッフ失格だ」
「がんばります!」
ミカはドリンクバーから水を注ぎ、個室前の小さなトレイにそっと置いた。
五分の間、トーワは他の客の様子を一巡した。
仕切り席では学生がノートを広げ、氷の溶ける音がほんのり聞こえる。
完全個室Cでは漫画を返す音がカタンと響き、
ドラグは黙ってページをめくっている──ページの角を整える癖も相変わらずだった。
個室Aの前に戻ると、水はそのまま、結露だけが増えていた。
「次。メモだ」
トーワは短い紙片に『大丈夫ですか? 問題なければ、札を返却口へ』と書き、投函口へ入れた。
……返ってこない。
「店長……いよいよ……?」
「最後の三分な」
トーワはポケットから小さな三分砂時計を出す。
店の象徴の“砂が落ちない砂時計”ではなく、普通に落ちるほう。
「ミカ、通路の人がぶつからないように誘導頼む」
「了解です!」
ミカは両手を広げるでもなく、自然に“そこにいるだけでぶつからない位置”へ移動する。
なぜかその動きは上手い。
三分が過ぎた。
「じゃ、開けるぞ。個室Aの方、スタッフです。開けます」
返事はない。
トーワは合鍵を差し込み、ゆっくりドアを少しだけ開けて覗いた。
「……なるほど」
「な、なんですか?!」
「寝てる。床で」
「床!? なんでベッドじゃなくて!?」
「寝相の問題だろ」
個室の中では、男の客が毛布に包まり、椅子からずり落ちる形で床で深く寝ていた。
耳には魔導耳栓。完全防音タイプ。
「そりゃノック聞こえないな……」
トーワは小声で言い、ミカを中へ入れた。
「まず首の角度だな。変な方向向いてると起きたとき痛いから」
「任せてください!」
ミカは毛布の端を丁寧に直し、トーワは棚から枕を取り出してそっと頭の下へ滑り込ませた。
その後、机の上のメモを見て、短いメモを一枚追加する。
『寝場所:ソファかベッド推奨。起きたら水をどうぞ』
ドアを静かに閉め、合鍵を戻す。
「無事でしたね……良かった……」
「だろう? “静かすぎる”のは、だいたい寝てるか集中してるかだ」
「でも床は予想外でした……!」
「人間、けっこうどこでも寝る」
ミカが胸を押さえてほっと息をついたところに、個室Bの客がやってきた。
昨日の“見習い常連”の女の子とは別の、静かな学生だ。
「あの、隣どうでした……?」
「寝てただけ。耳栓で完全に防音」
「良かった……自分、ちょっと心配になって……」
「気にしてくれるだけありがたいよ」
学生は安心したように笑い、席へ戻っていった。
カウンターへ戻ると、ヴァーニアが銀のカップを回していた。
「静かすぎる件、解決でしたの?」
「寝てただけ。床で」
「床寝は首が痛くなりますわね。夜は気温が下がりますし」
「湯、少し高めに頼む」
「了解ですわ」
ミカが黒板の前に立ち、“今日の出来事”をメモし始める。
「“静かすぎる案件:床寝→枕追加→回復見込み”と……」
「案件って書くのやめろ。怖い」
「じゃあ“今日の静かすぎる出来事”!」
「まあ、それなら」
数分後、個室Aのドアが少し開いた。
寝癖の青年が顔を出す。
「あの……すみません。床で寝てて……」
「枕、使えたか?」とトーワ。
「はい。助かりました……あの、延長ってできますか?」
「一時間かい?」
「はい」
延長処理をしながら、ミカがにこにこする。
「次はベッドで寝てくださいね!」
「はい……たぶん」
「たぶんが多いな」とトーワ。
青年は申し訳なさそうに笑って席へ戻った。
入れ替わりで、ドラグがカウンターの横を通る。
「……“静かすぎる、解決”」
「お前も見てたのか」
「……“床寝、わりとある”」
「ないわ」
「……“オレは立って寝られる”」
「だから比較が変だって」
ドラグは小さく肩を揺らし、いつもの席へ戻っていった。
夜が近づくと、個室のランプがちらほら青に変わる。
カラオケ小部屋からは控えめな歌声。
ドリンクバーで氷をすくう音が響き、仕切り席で誰かが静かに伸びをする。
特別な事件はなにもない。
でも、《Book Road》では、それがいちばんいい日だ。
「店長」
「ん?」
「“静かすぎる問題”って、今日みたいなの多いんです?」
「多いぞ。“集中しすぎ”は特に」
「へえ……」
「静かすぎるって、案外“がんばってる音”だからな」
「がんばってる音……?」
「うまく言えんけど、そういう日もある」
ミカはうんうんとうなずき、黒板の前に戻った。
『ここは、一息ついてからまた歩ける場所』
その言葉の下に、小さく書き足す。
『静かな日も、にぎやかな日も、どっちも大事』
トーワがそれをちらっと見て、何も言わずにマグを伏せた。
今日も、《Book Road》は静かに回っている。
最後まで読んでくれてありがとう。
次は、はじめての常連から見たBook Roadを、静かな角度からのぞいてみよう。




