第003話 夜勤の吸血鬼
夜の《Book Road》は、昼と同じでちょっとゆるい。
トーワとヴァーニアの掛け合いは、今日も地味に息ぴったり。
《Book Road》の照明が、夜用の明るさに切り替わった。
眩しくも暗くもない、読めるけど寝られるくらいの光。
カウンターでトーワは、スプーンをトレイに並べながら独り言をこぼした。
「照明の明るさ、昨日と同じにしたのに……なんか違うな」
「同じに見えて、違うのが夜ですわ」
ボルドーのドレス、深紅の髪、銀のカップ。夜番のヴァーニアが軽く会釈した。
「湯の温度、少し上げますね。今日、外が冷えてますわ」
「助かる。蜂蜜の瓶、もう軽いぞ」
「味見ではなく、検査ですの」
「検査が毎日あるの、君だけだよ」
「品質維持の努力ですわ」
やれやれと笑い合い、店は夜の準備に入る。
通路を風が抜けて、ドリンクバーの氷がチリ、と鳴った。
扉が開いて、フード姿の青年と小柄な少女が入ってくる。
「……ここ、まだ空いてますか?」
「どうぞ。三時間七十。飲み放題、寝落ち自由」
「寝落ちは自由なんだ」
「いびき次第」
「……じゃあ気をつけます」
青年が苦笑して席に向かい、少女は氷を見て目を丸くした。
「すごい、丸い氷!」
「転がすと音が良いぞ。試してみる?」
少女はカップを傾け、カランと鳴らした。
「ほんとだ。……気持ちいい」
トーワが軽く親指を立てる。音ひとつで客が笑えば、それで十分だ。
「店長ー、夜任務、ありますかー……」
白金の髪のミカが、ほうきを抱えたまま半分寝ている。
「ある。仮眠準備任務」
「寝るの、任務なんですか?」
「働き方改革中なんだ」
「素敵です!」
ヴァーニアが笑いながらショールを肩に掛ける。
「五分だけ眠っていいですわ。寝顔は監査外ですの」
「了解……監査外……」
ミカはそのままソファに倒れこみ、すぐ寝た。
天使でも寝る。働き方改革は広い。
黒ジャケットの男が、棚から本を抜く。
金の目。無言。ドラグだ。
「……“続き、どこ”」
「左の棚、炎マーク」
「……“ありがとう、店”」
「“店”って呼ぶな。俺にしてくれ」
「……“了解、相棒”」
「やっぱりそれも違う」
会話は五秒で終わり。あとはページの音だけ。
ドリンクバーから「ぷしゅっ」と泡の音。
青年が慌ててレバーを押さえた。
「止まらない!」
「ほう」
ヴァーニアが近づき、指でレバーを一ミリ戻した。
「焦ると泡が反抗しますの。落ち着いて、息を合わせて」
「……人間と同じですね」
「炭酸は素直ですのよ。人間より」
「言い方が鋭い」
「事実ですの」
泡が止まって、青年は照れ笑い。
こういう瞬間が、この店では日常だ。
「店長、軽めのブレンドひとつ」
カウンターに腰を下ろしたのは、いつもの常連。
「仕事終わりに飲むやつ。寝る前に効かない味で」
「了解。眠くならないブレンド、香りだけ多め」
「蜂蜜は?」
「見るだけ」
「入れないの?」
「見ると甘くなる」
「また怪しい理論だ」
「経費節約でもある」
「そっちが本音ね」
湯気が立ち、香りが広がる。常連がひと口飲んで、「今日の当たりだ」とつぶやいた。
「当たりって何基準だよ」
「飲んだあと、ため息が出たら当たり」
「なるほど、採点法が雑」
「夜の採点はアバウトでいいのよ」
そんな軽口が、コーヒーよりあたたかい。
カラオケルームの扉が少し開き、若い男が困った顔で出てきた。
「すみません、音が勝手に上がって止まらないんです!」
「押しすぎですの。機械にも疲労がございます」
ヴァーニアが歩いていき、端末の角を軽くトントン叩く。
「ほら、反応石が熱を持ってますの。三秒休ませると直りますわ」
「ほんとだ……すごい」
「すごくないですの。優しく扱うだけですの」
「人間にも効きます?」
「効きますわ」
男が笑い、扉を閉める。店の音がいつもの粒に戻る。
ミカがむくりと起きた。
「仮眠任務、完了」
「おつかれ。今度は“巡回任務”」
「了解!」
彼女がドリンクの受け皿を拭き、氷スコップを直す。
「トーワ店長、今日の氷、すごく丸いですね!」
「昨日の魔導冷却石、磨き直したからな」
「じゃあ私、褒めときますね!」
「誰に?」
「冷却石に!」
「報告書、謎すぎるだろ」
「日報ってそういうもんです!」
ミカが胸を張り、また小走りで棚の間へ消える。
黒板の前で、ヴァーニアが立ち止まった。
「店長、この言葉、拭きます?」
「いや、置いとけ」
「了解。夜は夜で誰か読むかもしれませんしね」
「昼も夜も同じ客が来るしな。店のセリフはひとつでいい」
「名言っぽく言いましたけど、普通のことですね」
「普通が一番続くんだ」
そのとき、扉の鈴が鳴った。
制服姿の若者二人。片方が肩を落として、もう片方がその背を叩く。
「すみません、終電逃して……」
「問題ない。ここ、寝転がらなければ泊まっても文句は言わない」
「優しい」
「規約が緩いだけだ」
「やっぱり優しい」
「……うるさいな」
ヴァーニアが笑って、タオルケットを渡した。
「お好きな席で。明日、寝ぐせは各自で直してくださいね」
「はい!」
彼らが笑いながら席へ向かう。眠りと笑いが混ざる時間。
トーワがカウンター越しに呟く。
「こうしてると、時間が止まってる気がするな」
「止まってませんわ。お湯も人も動いてますの」
「じゃあ、ちょうどいい店だな」
「そうですわね。止まらず、急がず」
ヴァーニアは銀のカップを伏せ、カチリと音を立てた。
棚の端でドラグがページを閉じる。
「……“続きは明日”」
「短くて助かる」
「……“今日はそういう日”」
「毎日そういう日だ」
「……“そうかも”」
会話はそれで終わり。
ミカが戻ってきて報告する。
「巡回任務完了! こぼしゼロ、転倒ゼロ!」
「よし。今日も平和だな」
「平和、合格!」
「テストみたいに言うな」
「結果、大事です!」
トーワが笑い、ヴァーニアも肩をすくめた。
扉がもう一度鳴る。
外の風が少しだけ入って、すぐ抜けた。
棚の本、椅子、砂時計、全部昨日と同じ位置。
人だけが入れ替わる。
店は特別じゃない。ただ、いつでも開いている。
「お湯、ちょうどいいですわね」
「さすが夜勤マイスター」
「称号、悪くない響きですわ」
ヴァーニアは軽く笑って、カップを重ねた。
誰も拍手しない。誰も焦らない。
それでも、店はちゃんと回っている。
――ここは、一息ついてからまた歩ける場所。
たぶん、それだけで十分だ。
読んでくれてありがとう。
明日は昼班と夜班がごちゃ混ぜの回。
眠気と笑いが、ちょうど半々でお届け予定。




