第7話『君は……何故僕をここに連れてきた』
東篠院さんに家を確認して貰った日から一ヵ月ほど経ったが、特に何の異変もなく、例の札も信頼できる人たちに手渡す事に成功していた。
何も異変は無い。
無いが、奇妙な事は起こっていた。
そう。藤崎さんの様子がおかしいのだ。
「あ。鈴木くーん。ねぇ、一緒にご飯食べない?」
「僕は良いけど。古谷は良いの?」
「古谷君? 知らないけど、どこかで食べるだろうし、良いんじゃないの?」
「そうか」
おかしい。おかしいなんて物じゃない。
以前はあれだけ古谷にべったりだった藤崎さんが、何故か僕にやたらと接触してくる様になった。
しかもそれだけじゃなく、家に来て料理を作ってくれたのだが、まぁ何とも言えない味だった。
二度と食べたくないとまでは言わないけれど、口にするのは中々に勇気がいる味であった。
おかしいなんて物じゃない。
かつて僕も藤崎さんのご飯を食べた事があるが、こんな味では無かった。もっと素朴で安心出来る味だった。
この異常さを僕は説明できない。理由も分からない。
だが、荒唐無稽な考えかもしれないが、僕は最近普通の人間では解決出来ない事象に出会ってしまった時、頼れる知り合いが居るのだ。
だから今日は、この藤崎さんの様な何かを連れて図書館へと足を運ぶことにした。
「ふぅーん。ここが鈴木君の来たかった所かぁ」
「嫌だった?」
「ううん。私、本を読むのは好きだから。嬉しいよ」
「良かった」
僕は藤崎さんの様な何かに笑いかけながら、何気なくカウンターの傍を通って、東篠院さんに視線を送る。
そして僕の目論見通り、東篠院さんは僕の腕に抱き着いている藤崎さんの様な何かを見て目を見開いていた。
だが、動かない。
驚きに目を見開いてはいるが、動かない。
という事は、この人は本物なのか? 本物の藤崎さんなのか。ならどうしてこんなにも変わってしまったんだ。
何故古谷を見捨てる様な真似をしたんだ。
もし藤崎さんが本物だというのなら、僕は聞かなくてはいけない。その心変わりのワケを。
「藤崎さん」
「何かな。鈴木く……ん!?」
嬉しそうに、楽しそうに歩いていた藤崎さんは僕の方を見て、凍り付いた。
まるで風邪を引いているかの様に顔は青ざめ、カタカタと震えている。
僕は何を見ているんだと藤崎さんの視線の先を追って、東篠院さんと目が合った。
東篠院さんは見た事が無い程に冷たい視線を藤崎さんに向けており、ゆっくりと立ち上がると、いつの間にか手に持っていたお札を藤崎さんに向けて突き出した。
「消えろ……」
「ひぃっ!」
相変わらず人の居ない図書館で、藤崎さんは悲鳴を上げながら、人間とは思えない跳躍で遥か後方に飛んでいった。
そして、東篠院さんは藤崎さんが捕まっていた僕の右手をタオルで何度も拭くと、僕を後ろに下がらせて藤崎さんの様な何かの方を見た。
「貴女が鈴木さんの家に現れた女ですね」
「な、何なの!? お前!」
「私は東の守護を司る一族。東篠院家が一人。東篠院詩織。貴女の様な存在から一般の方を守る者です」
「守るなんて、私は何も悪い事してないわ!」
「家屋への不法侵入は重罪です。さらにストーカー行為。そして、その体の持ち主は貴女じゃありませんよね?」
「うるさい! だって、この女が悪いんだよ! 私の方が先にハジメ君の事を好きになったのに! 後から現れて、ズルいよ!!」
「その方は生者で貴女は死者。あるべき所へ行きなさい」
「お前なんかに命令されたくないよ!」
藤崎さんの様な何かはそう言うと、周囲にあった本を操っているのか、それを東篠院さんに飛ばしてきた。
それをかわそうとした東篠院さんだったけど、僕がすぐ後ろに居たせいで動けず、腕で顔を庇いながら本の直撃を受けてしまう。
「東篠院さん!!」
「くっ。厄介な」
無数に飛んでくる本を振り払い、前を見た東篠院さんだったが、本の向こう側には誰もいなかった。
僕も何処へ行ったんだと探していたが、すぐ後ろから、いつか何処かで聞いた様な声が聞こえた。
『一緒に、行こう?』
「君は」
その声に僕が振り向いた瞬間、僕は視界が暗転し、宙に投げ出されていた。
まるで水の中に飛び込んだ様な浮遊感を味わいながら、遠くから聞こえてくる東篠院さんの声に意識を向けるも、そちらへ視線を送る前に僕の視界は闇に染まって、消えてしまうのだった。
床に叩きつけられる様な感覚に、僕は緩やかに目を覚ました。
強く打ち付けた背中は僅かな痛みを発しているが、周囲の景色を見た瞬間、それどころではないと気づかされてしまう。
昼間だというのに薄暗く、寒気がする様なこの場所を僕はよく覚えていた。
そう。かつて東篠院さん達とやってきた廃病院だ。
「起きた?」
「君は……何故僕をここに連れてきた」
「あそこじゃあの煩い人が邪魔するから」
「僕と話がしたいだけなら、藤崎さんは関係ないだろう? 解放してあげて欲しい」
「やだ」
「そうか。ならしょうがない」
「……え?」
「何となくさっきの話を聞いていて、君が藤崎さんに憑りついているのだという事が分かった。でも君が出ていく気が無いのならしょうがない。ちょうど良かったし。僕も藤崎さんの事が好きだったからね。君の思惑に乗ろうじゃないか。ただ、そうだな。中身が違うというのは少々問題だな。君の料理は藤崎さんとは違い、お世辞にも美味しくは無かったし」
「っ、で、でも練習するよ」
「別に練習なんかしなくても良いよ。僕は藤崎さんの思い出と付き合うから。誰が藤崎さんの中に居ようと関係ない。君はお人形遊びでもしていれば良い。僕が好きになったのもこれから愛し続けるのも藤崎さんだ。君じゃない」
「や、やだ! そんなの、私を見てよ」
「出来る訳無いだろう。僕には君が藤崎さんにしか見えないのだから」
「……なら、もう要らない! こんなの!」
瞬間、藤崎さんは糸が切れた操り人形の様にその場に崩れ落ちた。
僕は鍛えた瞬発力で地面を滑る様に動き、藤崎さんを受け止める。
そして、息を確認するが、小さいながらも呼吸しており、ただ寝ているだけだと分かった。
「……良かった」
『ふ、フン。その女! ハジメに近づいてた癖に、本当はハジメの事が好きじゃなかったんだよ!?』
「あぁ、知ってるよ。古谷が好きなんだろ?」
『知ってたの!?』
「長く友達をやってるからな。分かるさ」
『でも、ハジメはその女が好きだったんでしょ!? 前にデートに誘ってた』
「その件か。それは古谷に危機感を抱かせるためだ」
『ならさっき言ってたのは』
「君と直接話をするためだ。一条立夏ちゃん」
『私の事、覚えててくれたの……?』
「忘れるものかよ」
僕は薄っすらとした影が、確かな少女の形に変わっていくのを見て、目を細めた。
あの時から何も変わっていない。
幼い姿のまま、何も、何一つ変わっていなかった。
それが、その姿が……鋭い刃となって僕の胸を貫いた。
「僕達じゃ、君の絶望を消し去る事は出来なかったんだな」
『……ちがうよ。違うの。私は、ただハジメに』
立夏ちゃんは立ち尽くし、涙を流しながら僕に手を伸ばした。
しかし、その手が届く前に天井が崩れ、僕と立夏ちゃんの間に降り注いだ。
そして何度も助けたいと願ったあの小さな姿は土煙の向こうに消えてゆく。
僕は一瞬立夏ちゃんを助けようかと悩んだが、腕の中に居る藤崎さんを見捨てる訳にもいかず、幽霊である彼女は傷つかないだろうと、判断し、藤崎さんを背負って現場から離れた。
崩落は運よく僕たちの方に来ることは無かったけれど、このままじゃどの道どうにもならない。
悩んだ末に僕は貰っていたお札に願い、東篠院さんを呼びだすのだった。




