クソジジイ
「ってことは、あのクソジジイはまだそんな世迷言を本気で言ってるのか? 遠慮してないでとっととくたばっちまえってんだ」
そう、俺の血縁上の祖父であり、朝倉家の現当主にして朝倉重工相談役、通称・クソジジイ。
その人柄を知る全ての人間から「傲慢」「強欲」「冷酷」と、外道の三冠王みたいに評価される正真正銘の人でなしで、七十をとうに数え、長患いで入院中の今もまだ意地悪くこの世にしがみついているカネと権力の亡者だ。
俺は顔を歪めて吐き捨て、断固として否定した。
「正式に俺を朝倉家に引き取って朝倉重工の後継者にするって話だろ? 何度も言うけどそれだけはお断りだよ。あのクソジジイや親父がなんと言おうと、これは譲らんぞ」
「なっ、なんでよぉ……! 弟君が継いでくれないと私がお祖父様に朝倉重工を継がされちゃうんだよ!? 弟君はそれでいいの!?」
「いいの? って、俺は元から部外者だろうが。後継者問題ならそっちだけで解決してくれよ。戦国時代じゃねーんだぞ」
「だっ、だって、私だよ!? 演じてないモードの私がどういう人間なのか弟君は知ってるでしょ!?」
んなもん知るか。ぷい、と俺が横を向き、朝倉山吹のすがるような視線を顔ごと無視ると、うわあああああん! と朝倉山吹が俺の両肩に手を回し、ガクガクと前後に揺すった。
「私、社長とか無理だよ! ずっとコンタクトつけて演じ続けるのなんか無理! 舞台とか撮影ぐらいならどうにかごまかせるけど、社長なんかになったらずーっと演技してなきゃいけなくなるじゃん! 過労で死んじゃうよぉ!!」
「だーもう、鬱陶しいなぁ! いくら親父にアンタ以外の子が生まれなかったからって、なんで俺に白羽の矢が立つんだ!? 俺じゃなくても誰か適当に優秀な奴を後継者に据えればいいだろうが!」
「だってお祖父様は他人を全然信用しないんだもの! 曲がりなりにも信じてるのは血の繋がりだけ、みたいな人なのは知ってるでしょ!? キミがいるってわかった時点でお祖父様の頭の中には以外いないんだよ!」
「ヤだ! 絶対に俺もヤだ! 第一、社長の隠し子が会社継ぐなんておかしいだろうが! どこの三文昼ドラなんだよ!? 俺の方こそ居心地悪くてストレスで死ぬわ!」
俺が遠慮なく言い返すと、むぅーっ! と涙目の朝倉山吹が頬を膨らませた。
子どもか。俺はなんだか情けないような呆れたような、人生で一度も感じたことのない莫大な気疲れを感じた。
「大体なぁ、なんであのクソジジイは俺にそこまで執着するんだ? 言うたら妾の子だぞ俺は。あの朝倉家の次期当主が不倫してて、しかも隠し子までいるなんて話、世間バレするだけでも大ダメージだろ? なんでそんなやつを後継者にするんだよ?」
「それは決まってるでしょ。私じゃなく、キミの方が朝倉家の血を継いじゃったからだよ」
何を当然のことを、と言いたげな表情で朝倉山吹は説明した。
「お祖父様は世間体も気にするけど、それ以上に使えるものは何でも使う人なんだよ。それにキミだって、その能力があるから一般公立小学校からアッサリ明桜学園に入学出来たんでしょ。キミのその優秀な頭脳と高い能力は間違いなく朝倉家の血だし。こりゃ使える、って思ったんでしょ」
確かに、それはその通りなのかもしれない――朝倉山吹の言葉に、俺はなんとなく居心地が悪くなった。
その高貴なる遺伝子戦略の結果なのか、朝倉家の血を引く人間はおしなべて天才揃いで、現に今も一族の人間の多くが実業界や学問の世界、芸能・芸術、その他のいろんな世界で活躍しているという。
単なる弱小機械メーカーに過ぎなかった会社を、たった二代で朝倉重工という巨大企業に育て上げた、俺の血縁上の祖父と父などはその典型だ。
だから、気持ちが悪い。
あの事件が起き、自分の親父が如何なる人間なのか知ったのが小学校五年生、俺が十歳の時だ。
まさかこの地方なら誰でも知っている華麗なる一族の次期当主、有名企業の社長が俺の血縁上の父で、しかも母との不倫関係の末に俺が産まれたなんて、いくら俺でも知りたかったはずがなかった。
中でも一番知りたくなかったことは――俺に、曲がりなりにも血の繋がりがある、姉となる人がいるという事実だった。
けれど、あの事件が起き、俺が瀕死の重傷を負った時、母は二度と会わないと決めていた父の力に頼ることで、俺を死の淵から救い出した。
父と朝倉家のツテを辿り、超一流の外科医に執刀してもらうことで俺の命を救うことの条件――それこそが、俺が朝倉家に引き取られ、後継者候補の一人として一通りの教育を受けることだった。
礼儀作法から始まり、学問、芸術、武術や護身術、その他各種の帝王学を徹底的に叩き込まれたあの三年間は、正直思い出したくないことがほとんどだ。
そして――思いの外、その忙しい日常に適応できてしまった自分も、否応なく俺の身体の中に流れる朝倉家の血を思い知らされて、なんだか穢らわしく思えたものだった。
今まで単なる庶民でしかなかった俺の生活は中学入学を境に一変し、明桜学園中等部という、ゆくゆくはこの国の中枢を担うやんごとない家柄の子息子女たちの間に紛れ、俺は窮屈さと苦痛に満ちた三年間を過ごした。
だから、俺はひとつ、あの人でなしのクソジジイと賭けをした。
そして、俺はその賭けに勝ち、自分の居場所に戻る権利を勝ち取ったのだっけ。
俺が思い出したくもない中学時代の三年間を回想していると、朝倉山吹が少し改まった表情になった。
「弟君は私と違って頭もいいし、やるときはやる行動力もあるじゃん。これはおためごかしじゃなくて、その才能は世の中のために使うべきだと私は思うけどな」
「――そんなだいそれたものは俺にはないよ。俺は庶民の子で貴族じゃない。適当に進学して、適当に就職して、出来ればトントン拍子に出世して、結婚して、子ども作って、なんとなくジジイになれればそれで満点の人間だ」
「はぐらかすな。褒めてんだから妙なところで捻くれないでよ」
「アンタと違ってアンタの親父に似たんだよ」
「こら、ナマイキ言うな!」
ナマイキ――ふと、あの御厨三姉妹の口癖がこの人の口からも飛び出したことに、俺は少し可笑しくなった。
俺が失笑したい気分でいると、朝倉山吹のレンズの奥の目が、俺の何かを見透かすような目になった。
「そんな適当な人生を生きたい人がお祖父様とあんな賭けするわけないでしょ。キミは明桜にいた三年間、ずっと成績一位を取り続けるって約束を見事に果たした。だから約束通り実家に戻れたんでしょうが」
むぐっ、と黒歴史をほじくり返された俺は唸り声を上げた。
朝倉山吹は更に追撃をかけてきた。
「弟君にはさ、そんなに無理してお祖父様に逆らってまで、実家に戻ってやりたいことがあったんでしょ?」
――その一言に、俺は微妙に沈黙してしまった。
いいや、あの時の俺には、あのクソジイイに逆らってまでやりたいことなんかなかったし、今もない。
中学時代にやらかした無茶な賭けだって、俺はただただ、元の居場所に戻りたかっただけだ。
突然変わってしまった世界から逃げ出したかった。それ以上に、またあいつらと一緒に暮らせれば、ただそれだけでよかった。
そう、俺は、あの時の俺は、ただ、家に帰りたかっただけ――。
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