迎え
その後、約一時間ほど作業をしていると、朝にぐずついていた天候がまた崩れ出し、結構な勢いで雨が降ってきた。
んお、雨か――と俺が窓の外を見ると、「ああっ、いっけない! カーちゃんが!」と林音が窓の外を見て声を上げた。
「んん、どうした林音。火凛がどうかしたのか?」
「カーちゃんの分の傘、この間私が生徒会で遅くなった時に借りたままだったの! どうしよう、カーちゃんに傘を届けてあげないと……!」
林音が、しとしと降り出した雨を見て心配そうな声を発した。
なんだそんなことか、と俺は立ち上がり、朝倉カミラに声をかけた。
「会長。もうあらかた重いものは整理しましたんで、俺は一足先に帰ってもいいですか? 駅まで火凛を迎えに行きたいんですよ」
俺の言葉に、おう、と朝倉カミラが頷いた。
「確かに、キミのおかげであらかたは整理がついたな、森崎神秀。後はボクらだけでやるから大丈夫だ。キミは火凛を頼む」
「わかりました、ありがとうございます。――ということで風夏、林音。俺は駅まで火凛を迎えに行くから、火凛の分の傘をくれ」
そう言うと、林音が折り畳み傘を取り出して手渡してくれた。
可愛い猫ちゃんの柄が入った、あの女剣士みたいな人が使うにはちょっと可愛すぎの感がある折り畳み傘を、俺は自分のスクールバッグに押し込んだ。
「ところで、火凛は駅ビルの書店に行くって言ったんだよな?」
「そうだけど」
「なら帰りは少し遅くなると思う。夕飯は作り置きが冷蔵庫にあるから先に食べてていいぞ」
「うん。ジン君、カーちゃんをよろしくね?」
「わかってる。――それと、風夏」
「うん、何?」
「言ってなかったけどお前、また肥えたよな? バツとして今日の夕食は800kcalまで、夜食間食は一切禁ずるからそのつもりで」
「ええーっ!? そんな殺生な! 今日は色々作業もしたからお腹も空いたんだし――!」
「安心しろ、明日の朝になればまた空くんだから。――それじゃお前ら、行ってくる」
うわーん! と、本気でショックを受けたような顔で嘆き声を上げる風夏と、そんな風夏の頭をヨシヨシと撫でて慰める林音、そんな二人を眺めてケラケラと笑う朝倉カミラを残して、俺は資料室を出た。
この学校から駅ビルまでは徒歩で十分ほどだ。俺は自分の分の折りたたみ傘を取り出しながら、一人で雨の下に飛び出した。
◆
十分ほど歩いて、この地方都市の中心施設である駅と、そこに併設されている商業施設に来た。
書店は商業施設の一番奥、お土産屋や飲食店が居並ぶ先にある。俺は定時退勤に浮かれているサラリーマンや、これからこちらの地方の珍味や地酒に舌鼓を打つのだろう観光客の群れを縫うようにして掻き分け、書店へと急いだ。
書店について、火凛の姿を探す。
小説――のコーナーにはいない。
漫画――は、火凛はあまり嗜まない人だ。
週刊誌――のコーナーには、グラビアページを食い入るように見つめている疲れたおっさんたちだけ。
ということは、参考書――の方に行くと、輝くような黒髪の後ろ姿が目に入った。
なんだか、随分熱心な表情と眼差しで、火凛は何かの分厚い参考書を立ち読みしていた。
平積みにされている本の上には火凛が取り置いたと思われる数冊の本が積み上がっている。
なんだろう、なんの本を読んでいるんだ……? と目を凝らして、俺は目を丸くした。
『警察官採用試験 過去問集』
警察官?
俺がはっと息を飲むと、その気配が伝わったのか、火凛がこっちを振り返り、露骨に慌てた表情になった。
「じ、ジン――!? どうしたお前、なんでここに!?」
「いや、色々あってまだ学校にいたんだけど、雨が降ってきただろ? リンから借りてた傘、持ってきたぞ」
俺が猫ちゃんの柄の傘を差し出すと、おずおずと、火凛は参考書を持ったまま、左手でそれを受け取った。
それから、自分が立ち読みしていた本に今更気がついたように、火凛はちょっと気まずそうにそれを胸の前に抱えた。
「おっ、おう、わざわざ悪いなジン。そっ、それじゃ、私もそろそろ帰るとするか……」
「その前に火凛。なんだお前、将来は警察官になりたかったのか?」
ストレートに質問してみると、むぐっ、と火凛がうめき声を上げ、視線を逸らした。
「そっ、そりゃあ、私は運動が苦手だし、格闘で犯人を取り押さえることなんて難しいのかもしれないけれど……進路として考えてる、というか……」
「馬鹿にしたいわけでも笑いたいわけでもないよ。それにしても初耳だな。へぇ、火凛が警察官、ねぇ……」
俺は改めて、火凛が将来、そうなった時の想像とやらをしてみた。
堅物で、融通が利かない性格で、それ故に真っ直ぐで、「仕方姉ぇ」とさえ称される火凛の性格。
将来、バリッとした警官の制服に身を包み、黄色い旗を手に幼稚園児の道路横断を先導してやる火凛。
はてまた隙のないスーツ姿でバッチリ武装し、なかなか口を割らない容疑者を前に机を叩き、厳しい口調で追い詰める火凛。
この実に涼しげで凛とした見た目の火凛なら、警察官はまさに天職、という感じではないだろうか。
「へぇ、いいじゃん警察官。俺はいいと思うぞ。似合ってるじゃないか」
俺がへらへらと笑いながら言うと、火凛がちょっと驚いたように俺を見た。
「えっ? ほっ、本当か? 私が警察官になるの、おかしくないと思うか?」
「全然おかしくないと思うし、むしろお前の性格に合ってると思う。俺は応援するよ」
「そ、そうか。お前にそうストレートにそう言ってもらえると嬉しいもんだな……」
火凛がこれまたわかりやすく照れた。
まだレジを通していない参考書を胸の前に抱きながら、えへへ、とはにかみつつ、長い髪を指先で弄りながら、顔をほんのり紅潮させている。
そうかそうか、火凛ももう進路を考える年齢になったんだな、と思いながら。
――ふと、俺はどうするんだ? と問いかけてくる己が、どこかにいた。
俺は、俺という男は、将来何になって、どういう人生を歩むんだろう。
今のところ、俺は将来なりたいものも、着きたい職業もない。
中学時代の三年間では常に、御厨家の隣に、こいつらの隣に戻りたいと思っていたけれど、それが叶ってしまった後は目標が消えてしまった。
ぼんやりと心の中にあるのは、これからもずっと御厨三姉妹の近くにいたいという、あまりにも曖昧で、子どもじみた欲求だけだ。
だったら、俺はどうするんだ?
ただなんとなく大学に行って、ただなんとなく就職するのか。
いいや、そんなことはどうせ周りにさせてもらえそうにない。
《《ならば俺は》》、《《朝倉カミラと》》、《《その一族が望む通りの道を歩むのか》》。
そう考えかけて、いいや、と俺は首を振った。
朝倉カミラと、その背後にいる名族・朝倉家の言いなりになることは、俺が御厨三姉妹と永遠に切り離されることを――おそらく同時に意味している。
何しろ、己たちは一般庶民とは違う高貴な一族、下々は我々に使われてこそ本望、と、今の時代も本気で信じ込んでいるような連中だ。
あいつらは幼馴染なんて曖昧な絆は信じないし、理解もしないし、むしろ邪魔だから捨ててしまえと言い放つだろう。
あいつらが信じているのは打算と計算に基づいた利害関係、そして――己たちの中に流れる高貴な血の繋がりだけだ。
「ん? どうしたジン。なんか怖い顔してるぞ?」
火凛にそう言われて――はっ、と俺は物思いを打ち切った。
「あ、いや、なんでもない。それにもう六時だ、それレジ通したら帰ろうぜ」
俺が促すと、火凛が頷き、参考書の束を持ってレジに歩いていった。
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