初課金の記憶
随分長い間、暗闇にいた気がした。
どこが地面で、どこが空なのかもわからない、真っ黒い空間。
その真っ暗な空間の中に、幼い日の俺はたった一人、膝を抱えて座っていた。
ああ、と、俺は理解した。
また、あの時の夢を見ているのだ、と。
そして――自分が今囚われているこの空間、この現象こそが――死、というものなのだと。
無明の闇の底で、幼い日の俺は膝を抱えながら、ずっと同じことを考えている。
あいつら、ちゃんと無事だったかな。
ああ、もっとあいつらと一緒にいたかったな。
出来れば、悲しまないでいてほしいな。
俺が死んじゃったとしても、あいつらにはずっと、ずっと笑っていてほしいな――。
と、その時。ふと頭上に何かを感じた俺は、反射的に顔を上げた。
途端に、俺の頭上の闇がぐわっと裂けて、そこから真っ白な光が降り注いできて、俺は咄嗟に目を細めた。
なんだ? 空が裂けたのか? 驚いている俺に、光の中から何やら声がした。
よくよく耳を澄ましてみると――ジン、ジン君、と。
それは紛れもなく、俺の名前を呼ぶ声だった。
その瞬間――今まで闇の底に沈んでいた俺の意識が急速に覚醒し、俺の中に莫大な使命感が突き立った。
そうだ、俺は名前を呼ばれている。だから戻らないといけない。
この闇の向こうには、俺が帰ってくるのを待っていてくれる人がいる。
いつまでもこんなところにいられない、光のある世界に戻らなければ――!
俺がそう思った途端、裂けた闇の向こうから、一本の手が垂れ下がって来た。
この手を掴めば、俺は俺がいた世界に、俺が俺でいたい世界に戻れるのだと――何故か確信できた。
俺は必死になって手を伸ばし、その滑らかな手を両手で掴んだ――。
◆
全身の力を振り絞り、躍起になって目をこじ開けた先に――。
まず目に入ったのは、碁石のような黒い瞳が、驚愕に見開かれてゆく光景だった。
それと同時に、ちゅ、という音がして、かさかさの俺の唇を潤してくれていたらしい何者かの唇の感覚が――離れた。
あれ俺、まさか、誰かにキスされている――?
寝ている間に誰かにファーストキスを奪われたことも驚きなら、それに対して抵抗するどころか、うめき声ひとつ上げることが出来ないことにも驚いた。
ぼんやりと、仔細に物事を映し出せない視界に、おそらくは女の子であるらしい顔が、なんとか見て取れた。
そしてその女の子が、薄く目を開けた俺の顔を見て、ぼろぼろと涙を流したのも――。
誰だ? お前は誰なんだ?
そう問いたかったけれど、途端に女の子は跳ねたように立ち上がって踵を返し、狂ったような絶叫を上げて部屋を出いてった。
「お父さん、お母さん! ジン君がっ、ジン君が目を覚ましたよ――!!」
目を覚ました? 俺――どうなってたんだっけ。
そう思った瞬間、半月間もロクに起動していなかったらしい俺の脳みそはそれ以上の思考を紡ぐことを拒絶し、それきり俺の思考は病室のベッドの上で曖昧に溶けていった。
これは、後で医者に聞いた話だ。
小学校五年生の夏、俺はとある事件に遭い、それから実に半月も意識不明で生死の境を彷徨っていたらしい。
正直に申し上げてかなり危険な状態です、覚悟はしておいてください――。海外から病院に駆けつけた俺の母親と、御厨のおじさんおばさんに対し、執刀した医者はかなり本気でそう告げていたらしい。
けれど、俺は黄泉帰った。あの底なしの闇の淵から。
しかも、まるで西洋の御伽噺のように、誰かの、何者かのキスによって。
何を馬鹿なことを、と一笑に伏す人がいるかもしれない。
そんなものはただの偶然だ、と、賢しらに言う人がいるかもしれない。
だが――俺はその全てを拒絶するだろう。
俺は幼馴染である御厨姉妹の誰かの口づけによって、一度零れ落ちそうになった命をどうにか取り留めて、この世界に帰還できた。
そう考えて、そう信じて何が悪いというのだ?
強く強くそう思った途端、今度は今の俺の意識が浮上して――。
◆
眠りの薄皮が破けると、なんだか甘い、いい匂いがした。
ん? 何だこの匂い? 更になんだか柔らかくていい気持ち――。
寝起き早々に感じた違和感に、俺は寝起きでしょぼしょぼする目を懸命に開こうとした。
目ヤニで白く曇る視界にまず映ったのは、薄いピンク色の生地を下からミチミチと押し上げている、すぐ目の前のふたつの柔肉の存在だった。
ぎょっ、と俺が目を見開いて視線だけで頭の真上を見ると、すぐ近くに栗色の髪と、俺の頭を抱きしめたままの体勢で寝息を立てる天使のような寝顔があり――。
俺は目をひん剥いた。
え? なにこれ? 俺、どうなってんの?
なんでこの人が俺のベッドで寝てるんだ?
それだけじゃなく、俺、もしかして抱きつかれて添い寝されてる――?
俺は思わず、声を発していた。
「りっ、リン……?」
目の前ですやすや寝息を立てている林音に声をかけると、林音の目がゆっくりと開かれ、数秒間、俺の顔に焦点を合わせるかのような間があって――。
「あら、おはようジン君」
――俺の頭を抱き抱えるようにしたまま、パジャマ姿の林音がそう言った。
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