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不意打ち課金

 スーパーのある複合型商業施設から俺たちが住まいを為す住宅街は、徒歩で十分ほど離れた場所にある。


 途中立ち寄ったコンビニで、風夏が牛肉コロッケと、俺がお気に入りのチキンを俺の奢りで購入した後は、特に何の会話もなく歩道を横に並んで歩いた。


 午後六時になろうとする住宅街の空気は閑散としていて、犬に散歩されているヨボヨボのおじいちゃんとすれ違った以外、人影はなかった。


 どこかから、カレーの匂いが漂ってきた。俺はその匂いに、昼間ほとんど食いそびれたカツカレーの味を思い出していた。




 後ろから来た自転車に乗った若い男が、すれ違いざまに思いっきり舌打ちをしていった。


 どう見ても、今の俺たちは仲睦まじいカップルにしか見えなかったのだろう。


 今の若い男を追いかけて捕まえ、俺たちは幼馴染であり、ほぼ姉弟みたいなもんなんです、と説明したら、どんな顔をするだろう。




 ああやだやだ、と俺は心の中でかぶりを振った。


 年頃の異性が二人、一緒にいれば、問答無用でカップル扱いされる世の中が。


 ただ男女二人で歩いているだけで、誰かから脈絡のない悪意を向けられる世の中が。


 兎角人の世は住みにくいとはよく言ったもんだ。


 いっそ俺の頭の上に「→こいつは幼馴染です」という文言が常時浮かんでいたらいいのにな――。




「ジン君、なんか今変なこと考えたでしょ?」




 風夏がコロッケを齧りながらそんな事を言ったので、んお? と俺は目を少し見開いた。




「なんでわかった?」

「なんか変な顔してたから」

「参った。お前って変なところで鋭いよな」

「変なところって何よ? 私はずっと鋭いの」

「はいはい、だらし姉ぇがよく言うよ」




 そこで、ん、と風夏が俺に食いかけのコロッケを差し出してきて、俺は遠慮なくそれに齧り付いた。


 じゃがいもの甘い味が口内に広がって、少しだけ心がほぐれた気がした。




 その余韻を楽しみつつ、ん、と俺がチキンを差し出すと、風夏も遠慮なく齧り付いた。


 ――この女、一口で残りの三分の一を噛みちぎりよった。


 俺が一発で小さくなったチキンと風夏とを恨めしげに見ると、ごくん、と鶏肉を飲み込んだ風夏が、意を決したように無言になった。




 やれやれ、やっと本題か。俺の方も覚悟を決めた。




「ジン君、カミラちゃんのこと嫌いなんだね」

「嫌いではないよ、ちょっと苦手なだけだ」

「一緒でしょ?」

「微妙に違うさ」

「珍しいね、ジン君がそこまで人のこと苦手にするのって」

「あぁ、俺も人並みに人間だったんだって感じで、自分に驚いてるよ」

「中学時代にあの人と何かあったの?」

「滅茶苦茶あった。そりゃあ呪わしいぐらいな。何もなきゃ苦手にならないよ」




 そう、この人は知らない。


 とある事情から俺が彼女たちと別に過ごすことになった三年間、俺と朝倉カミラの間に何があって、何が今現在も進行中であるのかを。


 そして――出来れば、御厨姉妹には、御厨姉妹にだけは、あの人と俺の間に何があったのか、知ってほしくなかった。


 聞かないでくれ、という俺の無言の意思を汲んだのか、風夏はそれ以上踏み込んでくることはしない代わりに、言いにくそうな表情で別のことを言った。




「あの、さ」

「うん?」

「カミラちゃんね、いい子だよ? ちょっと人と違う才能を持ってるからすぐには理解しにくい人だけど、優しいし、頭もいいしさ。私だけじゃない、私たち姉妹全員がカミラちゃんのことを友達として信頼してるし、それに……」

「それはわかってるよ。俺もあの人個人になにか意地悪されたわけじゃない」

「わかってるのに、なんで嫌いなの?」




 子犬のような目で問われて、俺は少し考えた末に、以下のようなことを言った。




「あの人が例えば塩の塊だとしたら、俺はナメクジなんだよ」

「そんな宿命的な理由で嫌いなの?」

「そうだな、そうだ。俺はナメクジなんだ。植木鉢の下にいて、見た目がキモいってだけで退治されるナメクジだ。あの人は塩分の勇者だった、お互い生さぬ仲だった。一言で言えばそういうことさ」




 おどけてそう言うと、ムッ、と風夏が憤ったのがわかった。




「ジン君はナメクジじゃないよ」

「男には誰でも卑屈になりたい時があるんだよ」

「それにしたって卑屈すぎでしょ。ナメクジと一緒に下校してる人の身にもなってよ」

「そう怒るなよ」

「怒ってるんじゃないの。心配してるっていうの、これは」




 風夏は腰に手を当てて、数十センチは身長が高い俺を見下ろすようにした。


 物理的はこっちが見下ろしているのに、流石は長女というか、本気で怒った時の風夏には何らかの威厳というものがあって、その時はつい俺も縮こまってしまうのだ。




「だってジン君が人に向かってあんなにひどい言葉使ったところ見たことないもん。そりゃ心配にもなるよ」

「言い過ぎだったとは思ってるよ」

「本来ならジン君が言い過ぎることも珍しいんだよ?」

「それもわかってる」

「後でリンちゃんとカーちゃんもフォローしといてね?」

「わかってるとも」




 俺が頷いても、風夏はまだ、何かを言いたがっていたように見えたが、いつまで経ってもそれを口にする気配はなかった。


 その後はほとんど無言で道を歩いているうちに、御厨家と森崎家が見えてきた。




 家の鍵を取り出した。


 誰にも言っていないことだが、俺のキーケースには森崎家、そして御厨家の鍵が二つ並んでいる。




 俺はその鍵を、風夏にバレないように少し見つめた。


 それほどこの姉妹に信用されていることが嬉しかったし、そんな姉妹の前で昼間は険悪なところを見せてしまって、改めて悪いことをしたと思った。


 俺は風夏に買ったものを手渡し、伝えるべきことを伝えた。




「家にバッグ置いて、少し休んだらそっち行くから」

「うん」

「風呂ぐらいは自分で洗って沸かしとけよ」

「わかってる」

「あと、米は俺が炊いてそっち持ってく」

「はーい」

「じゃ、また後で」

「うん」




 それを最後に俺たちはそれぞれの家へ別れていった。


 森崎家のドアノブに鍵を差し込んで捻り、俺以外の誰も帰ってこない、真っ暗な我が家に侵入した。




 今日は昼のこともあってなんだか疲れてしまった。


 さっきは『天これ』でもするか、と思っていたが、今はそんな気分にはなれなかった。


 夜眠れなくなっても仕方ない、少しだけ昼寝でもするか――。




「ジン君」




 ――すぐ背後に風夏の声が聞こえたのは、その時だった。


 ぎょっとして振り返った瞬間、思った以上に近くにいた風夏の両手が素早く俺の頬を挟み込み――。




 むに、という感触とともに、唇に温かく、ぬるついたものが触れた。


 


 思わず、俺はスクールバッグを床に取り落とした。


 スクールバックが硬い玄関の床と衝突する音が、やけに遠くに聞こえた気がした。




 そのまま硬直している俺の唇を、ぬる……という感触とともに、風夏の舌先が撫でた。


 くっきりと天使の輪が浮かぶ風夏の黒髪から柑橘系のシャンプーの匂いが漂って――それと同時に俺の理性に強いノイズが走り、こめかみに鈍痛が突き抜ける。




 しばらく、まるで頭を撫でるかのように俺の唇を優しく(ねぶ)って――ようやく、風夏の顔が俺から離れた。




 しばらく、何も言えなかった。


 俺が硬直していると、逆光の中、影そのものになっている風夏の目が光った。




「ねぇジン君。今、私が課金シたんだから、嘘つかないで答えてね?」




 瞬間、風夏が怖いぐらい真剣な表情を浮かべて、俺の目をまっすぐに覗き込んだ。




「もしかして、カミラちゃんってさ――ジン君の元カノとかなの?」




 元カノ。


 その単語に、はっと俺は頭を蹴飛ばされたように感じた。


 俺はぶんぶんと、有り得ない、断固違う、という感じで首を振った。


 しばらく、嘘がないか俺の目を真剣に覗き込んでいた風夏の眉から――ふっ、と、力が抜けた。




「そっか、元カノじゃないんだ」




 なんだか物凄く安堵したように表情を和らげた風夏は、次の瞬間、にひひ、と意地悪く笑って、俺の制服の裾を掴み、ぐりぐりと額を俺の胸にこすりつけてきた。




「そうだよねぇ、あんな美人な人がジン君の彼女なワケがないよね」

「あ、当たり前だろ……何を勘ぐってたんだ、お前」

「うふふ、ジン君っていつも一言多いし、ドSだし、ナマイキだし、モテるわけないもんね?」 

「う、うるせぇ! それに俺に彼女なんかいるわけないだろ、女の世話なんてお前らだけで間に合っとるわ――!」

「そうそう、ジン君にはもう私たちがいるもんね?」




 小首を傾げ、いたずらっぽく微笑まれて――悔しいことに、ちょっとドキッとした。


 フゥ、と形の良い唇から短く嘆息して、風夏はゆっくりと、俺の頭に手を乗せた。




「いいよ、カミラちゃんと何があったのか、今は聞かないでおいてあげる。けどねジン君、私はジン君のお姉ちゃんとして、いつでもジン君の味方で、ジン君を心の底から心配してるってことだけは――忘れないでね?」




 「長女の顔」になった風夏に頭を撫でられて、むず痒くて、思わず俺は目を細めてしまった。


 照れる俺の顔を楽しそうに見つめてから、そこで俺の制服の襟を掴んだ風夏の両手に力が入り、風夏が俺の胸に額を埋めてきた。




「それと、今のは、ナンパから助けてくれたお礼でもあるから。その、さっきは唇には出来なかったし、私だって人前では恥ずかしかったから――」




 もごもごと、この人には珍しく、真剣に照れたような声とともに、風夏の耳が真っ赤になった。


 俺が固まっていると、しばらくして風夏は突然俺から離れて踵を返し、じゃあまた後でね、と一言言って帰っていってしまった。




 薄暗い玄関に、自分だけが残された。




 思わず、俺は自分の唇を指先で触った。


 それと同時に、未だに玄関に消え残る柑橘系のシャンプーの匂い、そしてそれとは別の、俺の中の何かを揺り動かそうとするかのような、甘い女の芳香が鼻をくすぐった。




 大きくなったでしょ?


 さっき風夏が俺に言った言葉が、何故か今になって思い出された。


 いくら姉弟分としても、もう気軽には触れられないものに――触れてしまった気がした。




「アイツ、いい匂いしたな……」




 思わずセクハラなことを呟いてから、俺はなんだかふわふわとした気持ちのまま、その場に取り落としたスクールバッグを拾い上げた。




 拾い上げた瞬間、ピロリン、と音がして、ポケットの中のスマホが震えた。


 誰からだろう、とスマホを取り上げると、そこには以下の文面のLINEが記載されていた。




『なぁ弟君、「うる覚え」が正しい? それとも「うろ覚え」?』




 ――もうその時点でうろ覚えじゃねぇか。


 ハァ~……と、灼熱する俺の頭に冷水を浴びせかけるかのような気の抜けた文面に長い長いため息を吐いてから、俺はたった一言、『ググれカス』と返信しておいた。





「面白かった」

「続きが気になる」

「もっと読ませろ」


そう思っていただけましたら

下の方の★からご評価くださるか、

『( ゜∀゜)o彡°』とだけコメントください。


よろしくお願いいたします。

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