ナンパ
その後、なんだかいつも以上に針の筵に感じる教室で午後の授業を全てこなし、掃除を終え、ぼちぼちと帰り支度を始めたときだった。
「おーい、ジン君! おーい!」
――今日はなんだか妙に女子生徒に名前を呼ばれるなぁ。
俺がぼんやりとそんな事を考えながら顔を上げると、教室の入り口に立っていたのは御厨三姉妹の長女、風夏であった。
ニットベストの下の姉妹最大級をばるんばるんと揺らし、ぴょこぴょこと跳ねながら手を降っている風夏に、クラスの男子の何人かがオフッと声を漏らした。
一応、俺はうめき声を上げた連中を順に睨みつけてから、スクールバッグを持ち上げて風夏に歩み寄った。
「……何だ?」
「今日は一緒に帰ろ」
俺は返答すべき言葉に迷って、無言になってしまった。
「一応訊いておくが、なんでだ?」
「今日はむっちゃカレーが食べたいから。一緒に買い物して帰ろうよ」
俺はしばし、頭の中で考えた。
やれやれ、昼間の一件で、遠からず何かしてくるだろうなとは思っていたけれど、意外に早かったなぁ。
風夏は他人の諍いを見るのを嫌うし、ましてやその諍いの当事者が他ならぬ俺なら、それなりに何かを考え、実行に移そうとするだろう。
案の定、風夏の綺麗に切りそろえられた黒い前髪の下の、これまた黒い瞳には何らかの決意が浮かんでいて、テコでも動きそうになかった。
一応、俺はこの御厨三姉妹と、登下校の時間は別にしている。
あまり一緒にいると彼女らの友達が迷惑がるだろうし、妙な噂を立てられるのも嫌だ。
それを察してか、この姉妹は学内で一緒になるとしても学食ぐらいに留めておいてくれているのだけれど、どうやら今日の昼の一件でよほど心配させてしまったらしい。
風夏はこれでも長女である。だらし姉ぇと呼ばれていても、一応弟分のフォローをする責任ぐらいは感じているのだろう。
しばし迷って、俺はボリボリと頭を掻いて、精一杯の申し訳無さを言葉にした。
「わかったよ、もう……帰りに一緒にスーパーに寄る、それでいいな?」
うん! と大きく頷いて、風夏は踵を返した。
ややあって、俺も周囲の好奇と羨望、そして幾つかの嫉妬の視線を居心地悪く思いながら、風夏と並んで廊下を歩き始めた。
◆
電車を降りて、スーパーの他に、ドラッグストア、本屋、ホームセンターなど複数のテナントが入った、最寄りの複合型商業施設に到着した。
風夏と並んで店内を物色し、夕飯として指定されたカレーに必要な食材を買い揃えている途中――あっ、と風夏が何かを思い出したような声を発し、手を合わせて目線の高さに掲げた。
「ごめんジン君! ちょっと私、ドラッグストア行ってきていい!?」
「え? なにかほしいものでもあるのか?」
「あるの! こうも毎日暑いとおっぱいの下にあせもが出来るから塗り薬がほしくてさ!」
風夏が割と大声で言った途端、複数の男がびっくりしたように風夏を振り向き、その全身をしげしげと見つめた後、まぁそうでしょうね、というように納得したような顔をした。
俺はその複数の視線から風夏を庇うように身体の位置を移動させた。
「……フー、俺相手ならいいけどな、あんまりそういうはしたないことを人前で大声で言うなよ?」
「だってむっちゃカユいんだもん! ね、ちょっとだけ行ってくるから! 会計お願いしてていい!?」
「そんな必死に頼まなくてもいいさ。ほら、行って来い」
ありがとう! の一言とともに、風夏はあせもの元凶である肉の塊をばるんばるんと弾ませながら駆けていった。
その後、俺は会計を済ませ、普段から持ち歩いているエコバッグに商品を詰め、入口脇のトイレの前に置かれたベンチに座り、風夏が帰ってくるのを待った。
三分待った。
五分は経過した。
間違いなく――十分は経った。
やれやれ、アイツが如何に爆乳だからって、会計が滞るような量のあせもクリームを買い込んでいるわけがない。
俺が立ち上がり、一旦店を出て、最短コースでドラッグストアを目指して歩いていると――。
「なぁ、どうなの? ちょっとそこまでだって。ね、いいっしょ?」
――不意に、スーパーとドラッグストアの間、誰の目も届かないような暗がりから、そんな声が聞こえた。
「あっ、あの、これ以上は困ります。私、友達を待たせてるんで……」
続いて聞こえてきたのは、やっぱりというかなんというか、蚊の鳴くような声量の、風夏の声だった。
ちっ、と、俺は思わず自分の脇の甘さに舌打ちがしたくなった。
そうだ、御厨姉妹の中で一番爆乳で、なおかつ強く迫られたらイヤとはいえない性格の風夏は、とかくタチの悪いナンパに引っかかる体質なんだった。
ウチの高校とは違う、田舎では劣等生の巣である私立高校の制服を着た男子生徒数人が、風夏を壁際に追い詰めるかのようにして迫っていた。
風夏は困り果てたような表情でなんとかその誘いに断りを入れようとしているらしかったが、元々押しの強い性格ではないことが災いして、もう十分近くも押し問答を繰り広げているらしかった。
ああ、これはマズい。風夏をナンパしている連中が苛立っているのが背中からでもわかる。
しかも、どいつもこいつも制服の上からもわかるぐらいの立派な体格だ。
相手はスポーツ推薦で入ってきたゴリラと、日本語を解さない不良と劣等生しかいない私立校生だ。割って入ったら殴られるかもしれない。
けれど――泣きそうな顔で困っている風夏ひとりでもこの状況から逃がせるなら。
俺ひとりがたとえ半殺しの目に遭っても、構いやしない。
俺は男子生徒たちの背後から近づき、「あの」と声をかけた。
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