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第十四幕  ファータ・パルヴァに捧ぐ・・・(前)

「初めまして。ファータ・パルヴァ(小さな妖精さん)。」



あの日、その人は眩しいほどの笑顔で私の心に舞い降りた。


皇都から遠く離れたあの場所に足を踏み入れた時から、彼女は女王の娘ではなくただの幼い少女となった。

彼女は成長と共に無意識の内に彼女自身が周囲から皇女としての立ち振る舞いを求められていると察してしまう。

そして無自覚にも関わらずその期待に己が絡めとられて息を吸うことすら苦しくなっていったのだった。

だが、その辺境の地では、彼女は周囲から守られるべきものとして在るだけの小さな小さな愛されるもの、ただ唯一無二のそれだけであったのだ。


辺境の地は、最も光の雫が零れ堕ちた祝福であるという聖なる伝承の地であり、豊かな自然と人々の善に満たされた地でもあった。

その場所で彼女と兄であるルキウスは辺境伯家門の人々の家族としての愛情に包まれながら、心身共に壮健であるようにと、健やかにのびやかに育まれて黄金の子供時代を過ごしたのであった。





ああ、もう朝なのね、と寝台から起き上がった彼女はいつもの朝のように立ち上がり窓側のカーテンをシャアッと開いた。

眩しいほどの朝の光を浴びながら、そのまま足をバルコニーに踏み出すと、彼女はぞんぶんに朝の光を浴びながら思い切り体を伸ばす。

さああっと吹いた風が彼女の髪を柔らかく揺らした。


「ふう。今日も、風が心地良い」


そう呟きながら、バルコニーの欄干に肘をついてそこから一望できる館を見回す。


この素晴らしい朝を彩るのは、この辺境の地を包み込む清澄な空気、生々と鮮やかな植物たち、心身を温めてくれる光の恵み。

朝露を含んだ花々は光を受けながらほんのりと頬を染める淑女のように庭園にその蕾を綻ばせようとしている。


そして目にも鮮やかな緑の向こうに開けた場所に向けた彼女の視線は、もうそこだけに囚われてしまう。

その場所でのいつものルーティーン。早朝から剣術の稽古に勤しんでいるその姿を、その動きを彼女の瞳は追いかける。


そう、そこに在る・・彼を。

光が群青にも魅せるのは彼の深い夜のような色合いの髪。

そしていつもいかなる時も彼女の瞳を捉えるのは森の泉の揺れる緑、緑柱石エメラルドのような深く澄んだ彼の瞳だった。




ああ、幼い私の世界は彼と共に在ることで意味を成し、私という人間の幸福しあわせの全てが彼という存在から派生しているのだと、私を形成する全て、身体を成す器官、あらゆる五感さえもが彼に帰属すのだということを・・・

”ルルディアーヌ・ステリルナジュ・セレフィロソネア”は本能で悟っていたのだろう。



このままこの場所にこの幸福な時間に自分を封じてしまいたいとさえ願っても、彼女の祈りは現実に呑み込まれて跡形もなく消えてしまう。


まずその場所を去ったのは彼女の兄であった。

彼女より一足先に幼少期を通り抜けた兄ルキウスはセレフィロソネア皇国皇子としての責務として皇都での学びのために帰還したのだった。


「皇城で待っているよ。僕のかわいいルル。」


生まれた時から常に彼女を慈しんで側に居てくれた兄との別離に胸を痛める彼女の涙を拭ってくれたのも、兄の分まで彼女の側に居てくれたのも、いつも、いつも彼だった。



だが、今、彼もまた辺境伯家門の子息として見聞を広めるために旅立つことになる。


「どうして皇都で学ぶことを選ばないの?お兄様もそうしていらっしゃるのに。

そうしたら私も一緒に皇都に帰還する(かえる)わ。

今ほどではなくても、皇城で会えるでしょう?」


ルルディは彼に何度もそう乞うたけれど、彼の決意は固かった。


「ルル。僕は家門の後継ではない。だからもっと自分を鍛えなければ。」


彼は冷静な態度でもって彼女を説得させようと言葉を選んで口にする。

だがルルディが縋るような瞳を彼に向けながら懸命に言葉を探そうとしている姿を見つめていると、彼の心の内なる声が彼の中で木霊する。


そう、君の側に居る為に、君にふさわしい者となるために、と


そして自分の心の奥底から湧き出るようなその切なさが、ちょっとでも気を緩めると自身から溢れ出て彼女に伝わってしまいそうで。

そうしてはならないのだと己を律しながらぐっと拳を握りしめるのだった。


皇女である君はいつかきっとその身分にふさわしい人と結ばれるだろう。

だが、僕の心はもうすでに、そしてこれからもずっと、君にしか結ばれていない。

だから、僕は強くなる。

きっと。

僕に唯一許されること。

それを叶える為、君の側で君を、君の幸福しあわせを守護する(まもる)為に。

だから、今は。

君とのこの別離わかれが、君の涙が、どれほどこの胸を抉ろうとも。


僕は行く、自分の決めた道へ。

この道がいつかきっと君へと続く道に繋がると信じて。





もはや彼女がどう願おうとも彼の決意が翻らないことを覚ったルルディは薄っすらと浮かんだ涙を決して零すまいと、彼を微笑んで見送ろうと口角をきゅうっと持ち上げる。

そして自分の声が震えそうになるのを懸命に抑えながら彼に言葉を紡いだ。


「分かったわ。もう行かないでなんて言わない。

私は大丈夫だから。

でも、お願い。どうか一つだけ約束して欲しいの。」


「ルル。何をだい?」



「この辺境の地が守護する神仙の地で育まれるという希少なあの花を、月が地に口づけする闇雫夜にのみ咲くというリューリランを見せてくれる?」


「ルル。それは。その言葉の意味を分かっているの?」


「うん。この土地の伝承として、と聞いたの。でも私はそれを信じてる。だから・・・。」


「ルル。それは、僕には。だって君は、」


君は皇女殿下なのだから、と言おうとした彼の言葉を遮るように彼女は自分の言葉を覆い被せた。


「一生に一度だけ、”真実の愛”のみがその盟約に赦されると。

だからお願い。

いつかきっと私をその場所へ。

リューリランの花畑へ連れて行って。

一生に一度だけ希ことができるいつか、きっと私を連れて行ってくれるって。

お願い。

その約束だけで、どこに在ろうとも、私は独りでも耐えることが、きっとできるから。

お願い、どうか。」



悲壮感さえ伝わってくる彼女の姿から彼は視線を外せないまま、互いの視線が絡み合う。


「大好きよ。

いつも、ずっと。

レイブン。

私の・・・」


囁くような彼女の震える声が彼の名を呼んで言い淀み、彼女が少し首を傾げながらきゅっと上唇を噛みながらもなんとか微笑もうとする姿が彼の瞳に全てを刻み込む。

彼女のその表情を、そこに溢れ出る痛々しいほどの切ない想いを。


そしてそれはそのまま彼自身の姿であり、そのままの想いであるが故に、彼の理性がどれほど彼自身を押しとどめようとももはや彼にはルルディを退けることはできなかった。


彼は両手でそっと彼女の両頬を包むこむようにして彼女の瞳から零れ落ちる涙に口付けるようにその雫を拭いながら彼女に約束を捧げたのだった。



「僕のファータ・パルヴァ(小さな妖精さん)。

僕のファータ(運命)。

いつか、きっと。君をリューリランの花畑に連れていこう。

そのために、僕は君の唯一の守護になる。

だから、待っていて。

どうか。僕の・・・」

















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