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第10幕(Ⅰ) 夜の護り人(前)

「また、来たのか?」


「ええ。今日はあの続きを教えて。」


この数日の間、ルルディは自分が取っている行動が自分自身で理解できないでいた。そしてそんな自分を持て余しながらも、またここに足を運び、彼に向き合い、彼に乞うことを自分を許してしまうのだ。



あの幻想のような夜、図書の部屋でルルディの前に現れた一人の男性おとこ

彼はあの突然の邂逅から変わらないままで。

とても寡黙で、そして彼女に対していつも実に素っ気無い。


はじめは彼のその不愛想な態度に驚いたルルディだったが、推測するにきっと俗世に興味無いのだろうなとそう思い至った時、彼女は心の何処かで微かに安堵を覚えている自分に苦笑しながら、視界に映る彼を見遣るのだった。


心の内側にぷつふつぷつと。

まるで溶解していく炭酸が微かに弾けるよう。

ふふふっと。

彼女という己そのものが弛緩するかのごとき心地よさを堪能しながら。


ああ。

女王わたしのことを知らない人間と何の気兼ねもなく共に時間を過ごせることが、ルルディという私にとってこんなにも澄浄なほど新鮮なものなのだとは。




彼女はじいっと彼に見入る。

必要最低限の言葉を発しない寡黙そのもののこの男は、けれどルルディの乞う問いを蔑ろにはせずに応えてくれる。


ルルディは女王ではない彼女という自分自身でいることができるこの時間を半ば焦がれるかように、夜の図書館を訪れることを心待ちにしている自分に驚き、その気持ちを打ち消そうと努めながらも、またこうやって今夜もここに、この男のもとに足を運んでいるのだった。




夜を流し込んだような黒い髪に漆黒の瞳。


背はルルディより頭一つ分よりも高い。


がっしりとした骨格に筋肉質な体躯は騎士団の者達と比べても大きなほうだろうか。


暗色の簡素な服を身に着けているが、手には剣だこがあるように見えるし、その話し方も有する知識もただの図書守りとは思えない。


まあ、皇城の図書館ですら夜は締め切って人を寄せ付けないのにも関わらず、あえて夜の守り人を置く時点でこの図書棟自体が尋常ではないのだから、その守り人が凡庸な人間の訳はないのだろうが。


なんといってもこの男は魔石を使って、始祖の古書記レベルの古文献をおそらくは秘された禁書庫から瞬時にルルディの前に映像として映し出し、かつ語り部のように様々なことを物語るという離れ技を難なくやってのけるのだから。


まずもって魔石をこのように扱えるということだけでも、かなりレベルの高い聖魔力をもっているのはまちがいないだろう。




今では、あの夜の、月明りのもとで彼女が引き込まれたあの空間が決して夢想などではなく、いってみればあれは霊妙な領域でさえあったのかとそう思うのもまた彼故にだった。



あの時、この男は突然視界の中に飛び込んできた。



「暁の闇を閉じよ。」


彼は瞬時に紡いだ言葉をそこに投げ込むようにして、私の目の前の不可思議な空間を封じ込めてしまった。


そしてハッと気付いた時には、ルルディは図書棟の二階の部屋に戻っていた。


あの時、動顛と動揺で飽和状態の彼女は思考そのものが渦巻くのを自制できない自分の感情がただぜるままに、矢継ぎ早に彼に問うた。



「あれは、あの場所はなんだ?

あれは聖魔力の空間なのか?

あの立体は?

私には対価がないといった、対価とはいったいなんのことだ?」



かつて知り得なかった、そうまるで生まれたての自分の奥底の細胞の一つ一つが震えさせられるかのような、そんな表現しがたい衝撃の波に揉まれたままの(ルルディは自分の中の混沌をそのままその男に吐き出したのだ。


あの時、私に向き合ったあの男はなにも言葉を発することはなかった。

彼は、私の興奮をそのまま受け止めるかのように、私の中の熱が治まるまで、私の気持ちが言葉に尽きてしまうまで、ただじっと私を見つめているだけで。


私は自分の中で渦巻く混沌を吐露しながらも、私を見つめるその瞳に自分の瞳を返す。


月明りが男の瞳に射しこんだかのよう。

その漆黒の闇に透けるかのような彼の瞳は、なんて綺麗なんだろうか、と。


そして夜冥の雫を呑んだかのようなその瞳の深淵から、奥深い緑が湧きあがったような錯覚に陥った瞬間、私の心は、やるせない溜息が口づけるかのように深い吐息をもらしたのだった。



彼女の吐息が伝わったかのように、彼の唇がそっと開いた。


ゆっくりとした口調で彼は言葉を紡ぐ。


「あれは月明りの夜に稀に起こる、月夜影の幻のようなものだ。

この始祖の地には、常識では捉えられないことが多々ある。」



「は?月の光の幻だと?

そんなお伽噺みたいなことがあるものか。

あれは私の目の前に確かに在ったものだ。幻などではない。

そう、対価。

私には対価が無いといったのだ。対価とは、いったいなんだ?」




「対価。そう、対価か。」


呟くようにそう言うと彼は口を閉じ、また私をじっと見入る。


私に何かを言いたいのか?

いったい何を言いたいのだ?

そう問い詰めたくなるような焦燥感の渦に引き込まれそうになった時、やっと彼の口が開いた。


「対価。ああ。そうだな。おそらく、それは、」


彼はその視線を私の顔から逸らさずに言葉を繋ぐ。


「おまえ、成人の儀を終えているか?」


「は?」


「まだか。そうだろうな。つまりだ。聖魔力は成人の儀を超えた者にしか価値を見出さないということだ。」


「?」


「この辺境の地では、お前はまだまだお子様ってことだな。」


感情を載せず淡々としていた彼の話しぶりが単調ながらも最後には少しだけ揶揄うような小気味よい拍子になったことで、私の中で渦巻いている熱はあっけなく削がれてしまう。

そしてその透いた中に”秘”そむ、そのなにかしらが奇妙な探求を生じさせた。



「成人の儀を超えれば、か。ではそうなれば、あの不思議な立体は応えてくれるのか?」


「おそらく。お前が、お前の価値を知る時に。心から欲するならば・・・」


「分かった。では、成人の儀を超えたら、またあの場所へ連れて行ってくれるか?」


「?」

彼は、ルルディの言葉が、彼女が乞うた願いが想定外だったかのように微かな戸惑いを感じたようにも見えた。


「いいか?約束だぞ?」


ルルディは無邪気に言葉を重ねた。

彼女は自分が誰かにこんなにも真っすぐに自分の気持ちを晒したことはなかったと、そんな自分の幼さを垣間見たことが可笑しくて。

だが、それはきっと自分を女王扱いしない彼だからこそ叶うのだと心の芯から安堵する自分がいることに無意識の内に微笑んでいたのだった。


「約束・・・か。」


彼は少し首を傾げてルルディを見ながら少し掠れたような声で呟く。


「ああ。そうだな。分かった。約束だ。」


彼女に向かってそう言葉をくれた彼が何故だろうか、こちらに向けた微笑みが少しだけ苦し気で、微かに切なげに見えたような・・・ルルディはふとそんなことを想いながら彼を見つめるのだった。





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