第9幕(Ⅱ)そこに刻まれるは・・・Sacrum Ars magna(中)
あまり公には周知されてはいないが、直系皇族のみに伝承される皇城の文献によれば、かつて始祖の地を受け継ぎしこの地には神から与えられた神聖なる力を宿す血筋があったことが古き神話に刻まれている。
それは、もう誰の記憶にも残っていない昔の。
そう、昔のおとぎ話のように。
伝承の中でのみ生きている聖なる力。
その力は薄まりながらも聖魔士達へ受け継がれてきた。
そしていまでは大陸にも僅少となってしまった聖魔士達は自らの所在を明らかにするのを良しとしない。
彼らは自身の全てを一切の”秘匿”とし、それ故に聖魔塔がどこにあるのかを誰一人として知り得ないのだ。
はるか彼方の時代から揺蕩いながらも決してその誇りを失わずに在り続けてきた彼らは、いまでは聖魔力を研究する者たちとして国家という縛りを超えた存在となり、大陸のどの王権にも屈せぬ立ち位置にある。
今では彼らは、皇国の女王である私にですらその全容は把握できぬほどの大きな勢力の一つとなっている。だが幸いなことに、彼らは決して政治には立ち入らぬという中立の立場を取り続けて来た。それは彼らの矜持で在るとともに、その境界線の強さがどの時代においても彼ら自身を守る結界となっていたことは間違いないだろう。
だがしかし何世代か前に遡った或る女王の統治の時代に、或る山麓にて魔石が発掘されたことで大陸の世論が聖魔士達を攻撃し始めたのである。
人々は魔石の莫大な価値に狂乱し、と同時に聖魔士達がその力を濫用して国家権力を脅かすのではという猜疑に囚われた権力者たちは聖魔士達を弾圧し排斥しようと画策する。
やがて再び迫害を受け始めた聖魔士達はもはや衰退の一途を辿るしかないのかと危ぶまれる時世の渦中にあった。
そして遂に聖魔士達が世の悪意に晒され命をも奪われようとしたその時、大陸中に向けて宣誓を放ったのは大陸の始祖の国セレフィネソフィア皇家の女王そのひとだった。
彼女は聖魔士達に謀反の疑いはいっさい無いとはっきりと断言した上で、もし大陸の誰であろうとも聖魔士達に危害を加える者はセレフィネソフィア皇家に仇なす者として女王自らが決闘を申し込むとまで言い切ったのである。
そして女王は魔石を”大いなる資源”として研究する全ての権限を聖魔士達に託すことを宣言し、彼らは女王と唯一の契約を交わしたのだった。
女王は聖魔士達に乞うた。
「国を豊かにするのは万民の幸福のため。
その為に偉大なる力を貸してほしい。
魔石が悪しき者たちの手に落ちぬように、セレフィネソフィア皇家が力を尽くしその聖なる意思を守ると誓おう。」
女王の民を思う気持ちに聖魔士達は応えることを誓い、彼らは互いに対等の関係でもって無二の契約を結んだ。
その時から、と文献は記している。
その時から、聖魔士達は魔石の力だけでなく聖魔力の研究を日々の暮らしの利便性に尽くすことで人々の生きる道に貢献してきた。
発掘された魔石の使用等はその最たる例である。
魔石は込められる力により夜の灯器となり、冬の暖器となる。
生鮮を腐らせず流通の幅を広げ、交易を発展させる。人々の病を癒す。
そして魔石をどう使うかを模索する、それを機器に作り上げる、それぞれの専門筋の職人達が知恵と技術を積み上げ年月を費やして更に暮らしを豊かにしてゆく・・・それは今を生きる女王ルルディにとっても理想の国の在り方だった。
しかしまたその発展に伴いどの光にも影が、そしてそこには必ず深い闇が生じる。
魔石、聖魔力それらが利権を絡めた醜悪な市場に出回らぬように、そして悪質な商人達からの流用によって戦闘に持ち出されないように、と数え上げれば切りがない目まぐるしさで、自国を統制し他国を牽制する、闇市場をも含めてあらゆる市場にそう大陸中に監視の目を張り巡らしていく。
これは強国であり大国を統べる者としての、セレフィネソフィア皇国女王としての責務であった。
コツン、コツ、と自分の足音が床に響く。
少しだけ物思いに耽っていたルルディは図書の館のフロアを歩きながら、自分でも気づかぬ内に部屋の奥まで辿り着いていたことに気付く。
彼女はいつな間にか上へと繋がる螺旋階段の下に来ていた。
螺旋階段の手すりに沿って取り付けられた魔石灯の光がそのうねりをふんわりと夜に浮き上がるかのように照らしているかのよう。ルルディはその幻想的な空間に惹かれて階段に足を踏み出した。
一段一段ゆっくりと昇っていくうちに彼女自身さえも光の渦に包みこまれていくような錯覚を覚える。
そして、螺旋のその先に足を踏み入れると、正面の壁にはめ込まれた大きな窓が彼女の視界に飛び込んできた。
その大きな窓ガラスには音色が匂い立つかのように月の光が差し込み、その全面に光を纏ったかのようなそれ自体がまるで一枚の絵のようだった。
「きれい。」
月の光がガラスに彫り込まれた花々を浮き上がらせ、銀色のような金色のような花で覆い尽くされている。
まるで花畑のよう。
「この花畑。私。」
ルルディの頭の中で記憶の欠片が微かな響きを鳴らしながら絡み合うように回り出す。
「どこかで、あの本だろうか。たしかにこの花を。」
霧散する何かを必死で繋ぎ留めたいという欲求と、それ自体が単なる錯覚に過ぎないのだと己を戒める理性とがルルディの頭と心をかき乱す。
その余波は彼女の身体の芯を小刻みに震わそうと、薄っすらと覆い被さろうとしてくるのを、彼女は懸命に自制しようと。
何か、何かに掴まりたいという切ないほど焦燥した思いで咄嗟に胸元のペンダントを握りしめる。
「ああ。これ。」
ルルディはペンダントの鍵を握りしめたことで自分の心が少し安堵したのを感じほっと吐息をもらした、と、その無意識が背を押したかのように彼女は本能的にかその窓ガラスの花をもっと見ようとした意識によって更に前に足を進めていたのだった。
彼女の内に言葉が浮かびあがる。
『 光輝く花の・・・。その愛し子。 』
花が。
そう、香りごと揺らいだ気がした。
『 そなたの名は? 』という音律が全身に声が響く。
「我が名は。
ルルディアーヌ・ステリルナジュ・セレフィロソネア。
光を継ぐもの。」
ルルディの声に反応するかのように、ガラスの中の花からルルディの握りしめた鍵へとパアーっと光が放たれたかと思うやいなや瞬時にルルディ自身も光に包まれた。
ルルディがあまりのその眩しさに瞳が耐えきれず反射的に目を瞑ったその刹那、彼女は自分が床から浮き上がるのを感じたのだった。