第8幕(Ⅱ) 黄金の鳥は羽搏く(後)
わがセレフィソネア皇家が治める皇国は大小さまざまな国が入り乱れる大陸の中でもその領土の広さ、権威の高さから大陸で最も大いなる強国として人々に認識されている。
皇国に忠誠を誓う属国的な友国が数多く存在することを、表面上は力学的な関係によるのだと分析しがちだが、実はその根底にあるのは皇国の成り立ちそのものであるセレフィソネア皇家に所以するのだということは大陸の歴史に刻みこまれた暗黙の真実といえるだろう。
大陸中に伝承として遺されたそれは煌めく神話の時代に遡る。
かつてこの大陸を興したといわれる光の神は、その慈愛の涙を堕としてこれを成されたといわれている。
そして神に最も愛された光の落とし子であるセレフィソネア皇がこの国を建てたのだと。
そう、皇国が大陸の始祖の国、神皇国と呼ばれる所以はそこにあるのだ。
よって建国以来、皇家と神聖との関係は深く、光の神を奉る神殿は民が崇める国教を司る聖域として在ることによって、皇家に対しても対等に近い影響力を持っていた。
代々の慣例に則り、皇家は神殿に丁重な礼節とそれに見合った十分な額の予算を国庫から与える責務を負う。そしてその対価として、中立の聖域である神殿は国の神事においては皇家に仕える義務を負うという図式が代々継承されてきた。
そして宰相であるルキウス兄上の調べでは、何十年かに一度ほどではあるが、稀に神殿から神託が下りるのだと。
そう。あの時とルルディは思い起こす。兄上は「皇国の秘蔵書庫を片っ端から調べあげて見つけた」とそう言って執務室の私のところへ古い文献を持って来られたのだ。
あの頃、国中の貴族、大陸のあらゆる国の王族、貴族、部族長達から、ルルディへの求婚の請願や水面下での工作など、女王の配偶者としての利権を狙うハイエナのような者たちが騒ぎ立てるおかげで、日常の政務にも弊害が出始めていた。
そんな面倒臭くて、国が絡むだけに厄介な問題にどう対処するかと思案していたところに、時を巻き込むかのように何十年振りかの旋風が巻き起こった。
聖なる山の神殿から舞い降りた瑞鳥が黄金色の渦を巻いて皇都の空に現れたのだ。それは皇家への神殿からの招致を意味していた。
聖なる瑞鳥、それは一人の人間がその生涯の内に一度でも遭遇することができるかどうかというほどの半ば伝説に近い存在である。
そしてその神の瑞鳥が黄金色の羽を羽ばたかせながら皇都の空にその存在を煌めかせたことは皇国中を興奮の坩堝に落としこんだも同然だった。
新しい女王の即位を祝するように飛来した瑞兆なる瑞鳥であると、大陸中の人々が皇国の栄光を女王の名のもとに称えあう。
そんな騒然とした周囲の状況とは真逆だったのは皇家だった。
古からの慣習に準じてきた皇家にとって、瑞鳥が示す神殿からの招致には容赦がない故に。
神殿からの説明も皆無のこの招致はその真意が全く不明であったとしても、いついかなる場合であろうとも、皇家にとっては最優先事項として従うしかないのである故に。
ルルディは宰相である兄と共に急遽政務の調整に入っていた。
そんな中で、兄ルキウスが持ち込んできたのが古い文献だった。
宰相ルキウスはこれを好機として、女王の成婚に「神託」を絡めるという一計を案じては?とルルディに提案してきたのだった。
これまでも、そしてこれからも女王である彼女に求婚してくる者が後を絶たないのは火を見るより明らかだった。
では、と宰相は悪戯な微笑みを浮かべながらルルディに案を示す。
この国のどれほど高位の貴族であろうと、大陸中のどの国の王族でろうとも、光の神のもたらす聖なる「神託」の前では、”女王の婚姻”に関して一切の権利を持ち得ないのではと。
そうして黄金の瑞鳥が皇国の空を舞ってからしばらく経った後に、宰相閣下から『女王の神殿への行幸』の宣旨が宮廷の貴族たちに伝えられることとなったのだった。
それからほどなくして、即位した女王が辺境領の視察を兼ねて神殿の神長に敬意を表すために聖なる山を訪れるというのは表向きの行幸では?という疑問が人々の口の端に上り始める。
そしてそれは、なんとこの行幸には”女王の国婿に関して神託を受ける”という真の理由があるのだという噂となって波紋を広げ始め、ついにはそれは暗黙の了承として宮廷中に浸透していったのであった。
「兄上は策士であられるな。」
つい独り言を漏らしたルルディは読みかけの本を膝に広げると、座り心地の良いソファに足を投げ出した。
窓から差し込む優しい光にまどろみながら、その時の宮廷の様子を思い出すと込み上がる笑いすら痛快だった。
そして両手を上に向けて背筋を伸ばしながら、ゆったりとした気持ちで周囲を見回す。
「この図書の館はほんとうに、心地よい場所だな。」
新旧に亘ってあらゆる分野を取りそろえているかのような膨大な蔵書の数々はもとより、この部屋自体が実に好ましい造りになっていた。
吹き抜けの天井からだけでなく、四方の様々な場所にはめ込まれたガラス窓からは光が差し込んでくる。そしてそれは書物に影響を与えないような箇所を炙り出したかのように設置されているのだということに、いったどれくらいの者が気付いているだろうか。
そして一番大きなガラス窓の近くにはゆったりと座れる椅子やソファが配置され、更にフロアの奥にはより専門的に集中して学びたい者のために様々な大きさの文机と椅子が幾つも置かれているようだった。
そしてルルディの中に更なる感嘆と敬意を呼び起こしたのは、この辺境伯夫人の館の主としての懐の深さだった。
彼女はこの図書の棟の使用を伯爵家一族の者だけに限らず、家門の騎士や学びたい意思のある使用人にまで許し、更には領地の子供達への学びの場を作り上げていたのである。
辺境伯夫人も、彼女に全ての権限を委ねている辺境伯も実に素晴らしいものだな、とルルディは何か胸に感じ入るものをそのまま染み入らせた。
「誠実、か。この地の主従が互いを信じるに足るからこそ、この場が成り立っているのだな。」
そういえば。と、ルルディは胸にかけたペンダントに手をやった。
「陛下。もし古い文献をお読みになりたくなった時の為にこれをお預けいたします。」
伯爵夫人がそう言ってルルディに託してくれたペンダントの先には美しい鍵が付いていた。
少し大きめの黄金色の鍵には何色もの小さな宝石がちりばめられている。
「この鍵をどう使うか、宝探しみたいでワクワクいたしますでしょう?
ルルディ様。どうぞお楽しみくださいませ。」
ふふふっといたずらっ子のように笑顔で鍵を渡すと、伯爵夫人は護衛とルルディを残して図書の館から去っていったのだった。
「彼女はほんとに、興味深い人だ。」
毎日のように伯爵夫人と茶会に臨んで色々な話をしたり、共に領地を視察して回ったりするうちに、ルルディは自分が彼女に魅了されていくのを感じ始めていた。
機智に富み、物事の視野が広く、そしてその紫色の瞳にはこちらの全てを見透かしているかのように深く澄んだ慈愛と達悟が垣間見える。
母のような、とはこういう女性をいうのだろうか。
確かにこの領地の人々にとっては彼女は主たる伯爵夫人というよりも地の母たる存在に近しいのだ。
屋敷の部屋にいるルルディは図書の棟から持ってきた読みかけの、伯爵夫人が薦めてくれた野草の本を近くの机に置いて立ち上がった。
本にはリューリランの花の記載は無かったが、植物の薬としての幅広い知識には大きく引き付けられた。
皇城にも、薬草園を作るとよいな。
温室も広げて、何かの時には都から地方に薬草を送れるようなシステムと、そうだ、地方の薬草も調査して都に常備できるようにして国中に、多くの民に行き渡るようなシステムにするには。
彼女の頭の中に様々な思案が浮かび上がり始め、こうなると彼女の思考はもう動きを止めない。
これには、確かあそこにあったあの本に記載が・・・。
もう夜も更けてはいたが、ルルディは知りたいことを明日まで待つのが嫌な性分だった。
行ってみるか・・・。